民主主義とはフランス革命以来、自由、平等、博愛のことだと言われてきた。フランスのトクビルは新生アメリカを訪れて、その民主主義を礼賛したが、当時はまだ奴隷であった黒人などは眼中になかったので、人間の平等には気がつかなかったのであろうか。
当時のアメリカには白人の民主主義はあっても、原住民や黒人は人権さえ認められていなかった。それがアメリカの民主主義の始まりであった。
しかし、王侯貴族もなく、人々は皆が能力に応じて自由に好きなように振る舞える建国当時のアメリカの民主主義は、古い伝統に押し込められていたヨーロッパの人たちにとっては、目を見張るような明るい輝かしい世界として移ったことは容易に想像できる。
自由、平等、博愛の中でも、最優先は自由である。誰にも気兼ねせずに、何でも自由に出来ることほど楽しいことはない。しかし、社会は自分一人ではない。社会の皆が全く自由に振る舞えば、お互いの間で争いが起こるのは当然である。
それを防ぐためには、皆が平等に自由に振る舞える方法を考え、それを守ることが前提でなければならない。そうでなければ、自由主義は 力を持っている者の自由となり、他人への搾取の自由となり、格差拡大、実質的な階級制度の復活などと、甚だ不平等な世界へ導かれる。
アメリカの民主主義の最大の欠点は、平等を無視せんばかりの自由主義である。人種問題、奴隷制度など、過去の歴史を別にしても、トランプ大統領が DEI(DIversity Equaity Inclusiveness)を否定していることだけでもわかるのがアメリカの民主主義である。どう見ても平等な権利という概念からは程遠い。
現在のアメリカでは、1%の金持ちが残りの99%の人たち全部の財を上回る資産を持ち、金持ち達が権力を握り、平等を唱えても、こう経済格差がひどく、政治的な平等さえなく、学歴による人間の尊厳まで、その開きが大きければ、どう見ても虚偽の平等、虚偽の民主主義に過ぎない。
博愛も平等な助け合いではなく、何でも上から目線の慈善であり、寄付でさえ施しが多い。
権力者の自由はあっても、貧しい大多数の民衆の自由、平等、博愛はない。
その権力者たちは国内に留まらず、”正反対の正義”をかざして、世界中で侵略や戦争を起こして来た。そしてそのためには卑劣な謀略さえ繰り返している。
スペイン戦争ではキューバにおける戦艦ワシントン号爆破事件、ベトナム戦争のトンキン湾事件のでっち上げ、イラク戦争開始のための偽核疑惑情報、9.11.事件の疑惑など、数え上げればきりがない。
一時は世界の警察官として、民主主義を旗印にして、世界中を我が物顔に振る舞って来た国の実態が如何なるものであったか。そして、今後どちらの方向に進もうとしているのか、しかと確かめておく必要があるのではなかろうか。