若い人の死因は大抵はっきりしている。外傷であるとか、事故、自殺、感染症、悪性新生物、遺伝的疾患その他、ある特定される出来事によって体が侵され死に至るので、その因果関係がはっきりしていることが殆どである。
しかし、歳をとると、誰しも体のあちこちの老化が進むし、それまで生きてきた歴史の中で生じた、数多の臓器や組織の欠陥や、機能不全も積み重なって来る。傷の治癒過程一つを見ても判るように、全身の老化も進み、機能は衰え、回復力も悪くなる。
癌などの悪性新生物にも罹りやすいばかりか、動脈硬化も進むし、心機能、腎機能なども衰えて来る。長く生きれば生きる程、幾つもの病気を抱えることにもなりがちである。いくつもの病院や医院にかかり、何種類もの薬を飲んでいるのが老人だと言っても良いぐらいで、薬の飲み合わせによる副作用さえ見られる。
こうなると、ある老人が死んだとしても、どれが死因か判らないことも多くなる。一体どれがこの人を殺したのか。あらかじめ主になる病気が判っている場合はよいが、幾つもの病気を抱えていればいるほど、本当の死因は分かり難くなる。死ぬまではっきりした病気がなかった老人の場合などでは尚更である。
身体は全体として死ぬのである。どんな些細な変化も含めて、身体は全体として働き、全体として死を迎えるのである。いつもどれが本当にメインな死因であるのか判然としないことがあっても当然である。そんな場合、九十歳も超えるような老人については、死因は老衰とされることになる。
若い時には、老衰などと誤魔化さないで、徹底的に死因を究明すべきだなどと思ったものだったが、死因をどれか一つの原因に絞る方が間違いで、体全体の老化が進み、その上に何処かの欠陥や何らかの病気が死の引き金になったと考える方が事実に合っていることの方が多いのではなかろうか。