今年も桜が咲き始めた。桜は春の象徴である。毎年桜が待ち遠しい。寒い冬が終わり、やっとまた春が来る。待ち焦がれた春の到来とともに、久方ぶりの陽気に浮かれて、つい花見に出かけ、酒宴でも開いて、桜をだしに春を祝うということになろうというものである。
桜は日本の象徴とも言えるが、桜には暗い歴史が付きまとうことも忘れてはならない。我々戦争体験者である老人には、桜を見ると今なお旧大日本帝国の軍隊や、惨めな敗戦で終わり、今なおその余韻に悩まされている戦争と切っても切り離せない記憶が蘇って来るのである。
桜は旧大日本帝国の軍隊、皇軍に、その象徴としてフルに利用されていたからである。
桜を見るれば、戦後も長い間「万朶の桜か襟の色、花は吉野に嵐吹く、大和男子と生まれなば、散兵戦の花と散れ」の合唱とともに行進する部隊の軍靴の響きが蘇り、「貴様と俺とは同期の桜、同じ兵学校の庭に咲く、咲いた花なら散るのは覚悟、見事散りましょ国のため」の歌が聞こえてきて、江田島の桜並木が浮かんで来たのである。
旧大日本帝国の軍隊は桜をその象徴として何にでも用いており、いかに多くの軍人たちが「桜の花の如く散って、靖国神社で会いましょう」と言って死んでいったことだろう。特攻隊の部隊名なども、殆どが桜のついた名前になっていたのではなかろうか。
そんな世界を通って来た私には、戦後長らく花見が嫌だった。昔は紅白の万幕などを張って花見の宴をしたものだが、万幕の後ろから戦死した兵士の亡霊がそっと覗き込む様な気がしてならなかったものだった。京の疏水の花筏を見て、思わず戦死者の霊が浮かんだこともあった。戦後は靖国神社へは怖くて行けなかった。
それでも春の喜びの桜の魅力は強い。戦後半世紀も経って、ようやく桜の開花を本当に楽しむことが出来る様になった。やはり春は桜である。しかし。今でも桜の影に戦争を思いださないでおれない。