
(朝日新聞2025.01.23.ーオピニオン欄)
朝日新聞に「語り継ぐ戦争」という読者の声の欄があり、戦時中の色々な思い出を語り継ぐようになっているが、そこに載っていた文を転載しているのを偶然SNSで見た。
旧大日本帝国の軍隊では、ここの書かれているようなことは、他にもしばしば見られた。日本の軍隊は、他の役所でも同じようなものであったが、人の命よりも名誉ある組織を守り、保持、発展させることの方が重要だったのである。
それが必死の特攻隊攻撃の命令の発想にもつながったのである。「上官の命令は朕の命令と心得よ」と言われ、多くの命が失われたが、中にはこの例の如く、死ななくても良かった者まで簡単に殺されたのであった。
私も海軍兵学校の生徒だったので、他でも書いたが、戦争がもう半年も続いていたら、ほぼ確実に死んでいたことであろう。
戦後になって、このような理不尽な神国、大日本帝国の組織、体制の本質を知り、その全面的な否定、それへの反発が強まるとともに、私はその象徴であった日の丸を見たり、君が代を聴くと虫唾が走るようになり、絶対に見ない、歌わないことにしてきたものであった。この投稿者が君が代を絶対に歌わないようにしてきた気持ちと同様であろう。
ところが、困ったことに、時が経つにつれ、いつしか再び日の丸が国旗と定められ、君が代が国歌として復活してきてしまった。私はこの際、新しい国旗や国家を作るべきだったと思うが、多くの国民が選び、国旗、国家として喜んで使うならそれはそれで良いであろう。
しかし、私にとっては、日の丸、君が代はやっと否定した上で今がある、旧大日本帝国とあまりにも強く結びつき過ぎているのである。日の丸、君が代を見たり聞いたりすると、いつまで経っても、今でさえ昔を思い出して生理的に嫌な気分にさせられるのである。
何かのスポーツ大会で、日の丸鉢巻を巻いて「日本がんばれ!」などと騒いでいるのを見ると、戦時中を思い出して嫌な気分になり、思わずテレビを消してしまうし、いつも大相撲の優勝式で君が代が流れる間はスイッチを切って終わるのを待つことにしている。朝早くNHKテレビが始まる時に出てくる日の丸も顔をそ向けて見ないようにしている。
もうこれは死ぬまで変わらないであろう。そう言う人間がまだ生きていると言うことぐらいは知っておいて欲しいものである。
ただ皮肉に思うのは、音痴の私が弾けるピアノ曲が戦前に覚えた「レドレミソミレ ミソラソ・・・」の君が代しかないと言うのがあまりにも情けない。