80歳台の頃までは、毎年十一月の初めになると、郵便も扱っていた近くのお米屋さんが「今年は何枚にされますか」と年賀状の枚数を聞いてくれたので、三百〜四百枚だったかを注文して、今年はどんなデザインの賀状にするか思案し始めたものだった。
しかし、そのお米屋さんも、老齢のため店を閉じてしまったので、年賀状も郵便局まで買いに行かねばならない。つい年賀状を書くのも遅れてしまいがちである。
年賀状については、昔、毎年素晴らしい自作の賀状を送って下さる人があり、それに乗せられて、私もせめて年賀状ぐらいは自作のものを送ろうと思い、賀状は必ず自作の絵などを入れたものを作ることにしていた。
そのため毎年暮れが近づいて来ると、今年はどんなデザインにするかを決め、その原画を作り、それをプリントゴッコで印刷し、宛名を書くのが一仕事になっていた。
そして元旦になると、お屠蘇を済ませ、近くの神社まで初詣の様子を見に行ってから、分厚い元旦の新聞をめくり、配られた年賀状に目を通すことになる。色々な賀状があって見るだけでも楽しいが、こちらから出した賀状と来た賀状で合わないものが結構出てくる。それをどうするか。いちいち名簿とも照らし合わせて、慌てて賀状を書いたりして処理するのが一仕事であった。
しかし、90歳も超えると昔からの親しかった友人はもう誰もいなくなったし、仕事も辞めているので、その関係の賀状も減る。名簿の帳面をめくっても、丸々抹消の線で塗り潰されたページが増え、年賀状を出す相手も減るし、送られてくる賀状も減ってしまう。
正月が過ぎると、たちまち年賀状はまとめて箱の中で眠ってしまうが、十五日になると毎年、年賀はがきの抽選会がある、昔はテレビで賑々しくやった抽選会の様子を見て、「ひょっとして一等賞が当たっているかも」などと言ったりしながら、眠っていた葉書を引っ張り出してきてチェックしてりしたものだった。
「当たり籤が多かった、少なかったとか、2等賞も当たっていたぞ」などと言って、女房当ての賀状までチェックしたりしたものであったが、今では来た賀状の枚数も少なくなったので、当選を確かめるのも楽である。それにしても、昨年はまだ二枚当たり籤があったが、今年は当たり籤が一枚も見つからなかった。
近年はSNSなどでの挨拶などが増えて、葉書の賀状が減ったと言われているが、私の場合も、枚数も減ったが、一枚も当たり籤がなかったのは今年が初めてである。つくづく老いたものだなと感じた次第であった。