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最後に残った昭和の家

 現在私の住んでいる所は、明治の終わり頃に、阪急の小林一三氏が日本で初めてサラリーマンを対象にした大阪の郊外の分譲地である。家族が移り住んだ昭和三十五年頃には、殆どの家が屋根のある門戸に続いた板塀か、植え込み塀に囲まれ、木造の二階建てで、小さい築庭なども備えていた。

 写真にあるような、和風の家に、一部屋だけ赤屋根の洋風の、部屋がくっついた家もよく見られた。昭和の初め頃に流行ったもので、多くは応接間として使われていたようで、その頃の我が家にも赤屋根ではなかったが、洋風の応接間があり、ソファーや飾り棚などが置かれていた。

 それから半世紀、世の中もずいぶん変わってしまった。ここに住み着いていた人たちも高齢化し、世代交代がおこり、殆どが新しい住民と入れ替わってしまった。土地は分割され、建物も新しくなり、今ではもうすっかり新しい街並みになってしまった。昔ながらの和風の家は殆ど姿を消してしまい、新建材の家並みが並び、家の前には車が並んでいる。

 すぐ近くのお米屋さんは高齢のため店を畳むそうだが、先代の父親が「もう77歳になったのです」と話していたのをつい先日のことのように覚えている。毎年お餅を持ってくれていた店であった。我が家もそのお米屋さんの角から3軒目だったのが、今ではもう5軒目になってしまった。

 そんな中で一軒だけ写真のような昭和の家が残っていた。老人の一人住まいか、破れた窓ガラスの一部が紙を当てた仮補修のままだったが、前を通るごとに懐かしさを覚えてわざわざ写真にまで撮ったのだったが、それが昨年のいつだったか、火災を起こして焼失し、解体されて更地になってしまった。

 時はどんどん流れて行く。新陳代謝は仕方がないことだが、昔を知る老人にとっては心寂しさを感じざるを得ない。

 そう思う百歳近い老人の私もやがていなくなってしまうことであろう。

 




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