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昭和とともに生きて

 今年は昭和百年と言われる。戦後から数えてももう八十年になる。12月29日の朝日歌壇には「返り花戦争知らぬ古希と喜寿」(対馬市・神宮斎之)という句が載っていた。

 昭和三年生まれの私は昭和と共に育ち、敗戦で全てを失い、再出発しなければならなかったので、敗戦の昭和二十年が全ての区切り、仕切り直しのようなものであった。この大きな衝撃は何年経っても忘れられず、未だに、まるで昨日のことのようの思い出される。

 それがもう八十年も昔のことになって、今や古希や喜寿の老人さえ知らない時代の出来事になってしまっているのである。もう殆どの人たちにとっては、あの戦争も歴史上の出来事となってしまったのである。

 私にとっては、未だにあの冬の夜空全体から降ってきた見渡す限りの焼夷弾の火、次々と燃えあがる家、寺、街、火の海。垣根をよじ登って逃げた慶沢園の庭、周りすべてが焼け落ちてしまった焼け跡、江田島で見たピカッ・ドーンに続いてモクモクと空高く盛り上がった広島の原子雲、瀬戸の浅瀬に沈座してしまった多くの軍艦、弾薬を抱えて敵の戦車のキャタピラめがけて飛び込む訓練、そして最後に8月15日の玉音放送が成長期をしめくくったようなものであった。

 そして戦後の混乱、餓え、占領軍、闇市、買い出し、浮浪児、傷痍軍人、娼婦などなど、未だに昨日のことのように鮮明に思い出す。日本人の知能指数は12歳、日本は3等国だと見下げられ、アメリカの属国になってしまった。私が生き直すのにも時間がかかった。

 「光陰矢の如し」というが、もう戦争を知っている人たちは殆ど鬼籍に入ってしまい、今や次世代、その次の世代の世の中になってしまっている。

 日本人も変わってしまった。外観も、もう鼻ぺちゃでのっぺらぼうの顔も見なくなり、今や、白髪の男までも背が高いし、大根足の女性もいなくなった。外見が変われば内面も変わる。内面は想像するよりないが、種々の反応に見られる人々の反応や行動も、もう昔と同じではない。食事や行動様式、習慣まで変わってしまった。

 どれだけの人が真の国の独立を願っているかもわからない。私はやがていなくなるが、せめてさして遠くない未来に、この国が真の独立を獲得し、人々が自分たちのことを自分たちで決められる日が来ることを願ってやまない。




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