来年の年賀状に「数えで98歳になる」と書いていたら、「どうしてサバ読むの、まだ96歳なのに」と女房に言われた。別にサバを読んでいるわけではなく、正真正銘、来年の正月には、98歳になるのである。
昔は年齢は数え歳で言っていたものだが、戦後は外国に合わせて満年齢でいうのが普通になった。しかし、100歳を目前に控えるようになると、何とかその区切りの良い年齢まで行きたいと思うのが人情であろう。ところがそこまで行けるかどうかは分からないので、少しでもそれに近づきたいと思う。99歳を百から上の一をとって「白寿」として祝うのも、もう一年だから頑張れということであろう。
長い人生では、人は自分を実年齢より年上に見せたい事もあるし、若く見せたい事もある。小学校の高学年にでもなると、自分はもう子供ではない、もう少し大きいのだぞ、と顕示したくなるものである。すぐにバレることがわかっていながら12歳なのに13歳だの14歳だと言いたくなるのが年齢偽証の事始めであろうか。「俺の方がお前より年上なんだぞ」といばりたいこともある。
そんな年上へのサバ読みの傾向はその後、次第に膨らみ、青年期から大人になる頃になると、人によって違うが、より顕著になることが多い。「もう子供でなく一人前だぞ」と誇示したくなるのである。更には、「もう大人なんだぞ、一人前に扱え」というメッセージでもある。
それはもう少し先の二十代後半から三十代頃まで続くことが多い。今度は「若造の癖にいばりやがって」などと言わせぬために、サバをよむことになりやすい。手塚治は私の中学校の同級生だったが、彼は戦後売り出し始めた頃には、大正15年生まれだなどとサバを読んでいたものだった。
ところが、三十代の後半から四十代になると、今度は人によっては、若さを売り物にして、「あんなに若いのに偉いなあ」と褒められたく、逆に若さを誇示したくなる人たちが出てくるのも面白い。ところが、四十代、五十代ぐらいになると「万年青年」といって若さを誇示する人もいるが、多くの人はまともに実年齢を受け入れているかのようである。
そして還暦、定年、古希、喜寿、傘寿、卒寿となってくると、まともに年齢を受け入れるより致し方なくなってくのではなかろうか。
以上は男性の話であるが、女性の場合は少し違っていて、少しでも若く見られたい心情が強いので、一生を通じて、逆に歳をサバを読んで若く誤魔化す人が多い。昔、もう四十に近い女性と一緒の佐渡島へ行ったことがあったが、新潟の港で高速艇に乗る時、乗船名簿に10歳ぐらいも若い年齢を書いて、シレットして提出しているのを見て驚いたことを思い出す。
こういう時には旧日本式の数えの年齢や満年齢と、年齢が複数あるのが少しは助けとなるのではなかろうか。サバを読まずに歳を変えられることは些細な事ではあるが、場合によっては、多少とも気分を慰めてくれるぐらいの効用もあろうと言うものであろうか。