パリ・オリンピックの開催で、日本選手の出る競技の中継がテレビでも多く流され、久しぶりに日の丸の出てくる場面が多かった。
丁度、今は八月、日本の敗戦の月である。この敗戦を機会に「日の丸」も「君が代」もその歴史を大きく変えてしまった。アメリカ占領軍により、「日の丸」も「君が代」もしばらく消えてしまっていた。
しかし、占領が終わり、日本が再び国として世界に窓口を開くと、必然的に国家や国旗が必要になる。以前の「日の丸」や「君が代」をそのまま復活させるのが一番簡単であるが、日本は敗戦によってすっかり変わってしまったのである。戦争で無惨な目に遭った国民はもう二度と同じようなことを繰り返したくないとして、憲法は変えられ、天皇は国民の象徴とされ、民主国家となった。当然、過去の苦い経験に結びつく国旗や国歌も止めて、新しい民主国家にふさわしい国旗や国歌を作ろうという動きも起こった。
ところが戦後も靖国神社に参拝する右翼や旧守派の勢力の強い政府は、強引に戦前の国旗や国歌をそのまま復活させてしまい、法的にも、今や「日の丸」「君が代」が正式な国旗、国歌と決められた。
国旗や国歌は国民がそれを受け入れるなら何でも良いわけだが、戦争を知っている者にとっては、「日の丸」に「君が代」は苦々しい戦争の記憶と強く結びついているので、周囲からどう言われようと避諱したくなるのはどうすることも出来ない。
友人、知人が皆で寄せ書きをして武運長久を祈った日章旗、占領地に翩翻と翻った「日の丸」その下での残虐行為、軍隊の集合、敬礼、訓示、天皇陛下万歳の声。また、式典の前後に直立不動の姿勢で聞かされ、歌わされた「君が代」、それらの背景にあった戦争の時代の厳しかった生活、焼け出されたり。飢えに苦しんだり、無数の悲哀、無惨な悲報、多くの死、等等。
そういった苦しみや悲哀の象徴となってしまった「日の丸」や「君が代」。戦争経験者には目を閉じ、耳を塞ぐ嫌な思い出となってしまっているのである。私は今でも、朝早くテレビが始まる時に流される「日の丸」の映像、相撲の優勝式での「君が代」斉唱などが流れる間は、自然とテレビを消すか、そっぽを向くのが長年の習慣になってしまっている。
国家の象徴としての日の丸や君が代に人々が敬意を払うのを邪魔する気はないし、それなりに尊重するが、未だ過去の戦争の被害を引きずり、生理的に「日の丸」「君が代」に馴染めない者がいることも忘れないで欲しいものである。