以下の内容はhttps://dramama.hatenablog.com/entry/2025/08/02/174942より取得しました。


田中幹也は希望か絶望か?もし、田中幹也がドラゴンズに入っていなかったら――

「ここに田中がいたーー」「回り込んでーー田中!」「とって!間に合ったーー!」

もしここに田中幹也がいなかったら……!?ドラゴンズファンにとって、抜けていたら絶叫している打球を取るのが田中幹也だ。その守りは、諦めたくなるような試合でも希望をつないでくれる。

***
2025年シーズンで入団3年目。昨シーズンまで3年間指揮をとっていたのは立浪和義監督。その内野変革のシンボルといえるのが田中幹也だ。大型トレードも厭わずチームを変えていく中、ドラフト6位で指名。下位だったのには理由がある。実力は確かながら体力的な不安があったからだ。獲得を躊躇する球団との兼ね合いでドラゴンズに巡ってきた幸運。内野の要だった監督の目は確かだった。


心配をよそに1年目から一軍間違いなし、というキャンプでの活躍。だが、開幕直前に肩を脱臼。ルーキーイヤーはリハビリに多くの時間を費やした。待望の開幕をスタメンで迎えた2年目は112試合に出場。神宮で見た開幕戦は本当にワクワクした。3年目も勿論最初から、とはならずまたもケガにより戦線離脱。左手有鈎骨骨折のニュースにはショックを受けた。だが、最短で戻ってきたので今シーズンに望みをつなぐことが出来た。田中幹也の活躍は、きっと多くの人に希望をもたらしている。


***
もし、田中幹也がドラゴンズに入っていなかったら――。IBD(潰瘍性大腸炎)という病は、今ほど野球ファンに知られていなかったかもしれない。

試合中の華麗なプレーを見ているとつい忘れるが、田中には大腸がない。病が判明した大学3年時に全摘。指定難病であるIBDには根本的な治療法がなく、薬で炎症を抑えられない場合は大腸摘出になる。田中もインタビューに応えている「IBD患者さんの声」によると、症状が出ていた頃は血便が出たりトイレの機会が多かったりしたそうだ。

入院は3か月にも及んだという。大病を克服したら(生きているだけで良い)と、なりそうなものだ。それでもプロへの道を諦めなかった気持ちの強さ。辛いときには仲間が支えてくれたのだろう。入寮時に持ち込んだものが、入院時にチームメイトからもらった寄せ書きの色紙、というのが物語っている。

今は表立った症状はないという。とはいえ、大腸がないと水分の吸収をコントロールしづらいので脱水になりやすかったり、人一倍食事に気を使ったりすることもあるだろう。叶うなら全試合出てほしいが、現状はベンチスタートもありつつだ。それでも活躍の姿が励みになるはずだ。田中自身も、「僕がプロ野球選手として先頭に立って第一線で活躍できれば、同じ病気で苦しんでいる患者さんに希望を持ってもらうことにつながるのかなと考えています」とメッセージを発している。


***
もし、田中幹也がドラゴンズに入っていなかったら――。背の低いプロ野球選手は注目されなかったかもしれない。田中の身長は166㎝。これはNPBでは2番目に低い。2024年のNPB登録選手の平均身長は180.7㎝なので、だいぶ小柄だ。
164㎝といえば身長だけなら夫と変わらないが、比べてはいけない気すらするほど田中は俊敏だ。どうしてあんなに「忍者」と称されるように動けるのか。それは父親の教えにあったという。田中の父親は神奈川県の強豪・東海大相模でショートを守っていたという。幼い頃から練習を重ねる中で「誰よりも、低く速く」という教えを徹底し続けた賜物なのだ。

私が好きな小柄エピソードは背番号「111」だ。2025年5月13日の試合で、田中はユニフォームを忘れてしまう。そこで借りたのが背番号111、三輪ブルペンキャッチャーのもの。借りられる中で一番小さかったから選んだとのこと。それでもブカブカで、もはや五分袖だったのが印象的だった。本人もファンも不本意に思うかもしれないが、111のユニフォームを着たミッキーはなんだか可愛かった。

ちなみにその日はチーム49イニングぶりのタイムリーに、マルチヒット、華麗な(田中にとっては普通の?)ランニングスローも魅せて、と大活躍の一日だった。


***
もし、田中幹也がドラゴンズに入っていなかったら――。誰がセカンドを守っていたのだろう。ケガで復帰するまでは山本だったり、板山だったり、時には樋口や辻本を起用したり。全員野球を掲げる井上ドラゴンズには心強い内野手がいる。監督曰く「ポジティブバトル」が繰り広げられている。
野球を始めたら、いつだって試合に出ることを思い描くはずだ。

私には、田中を見る度にふと思い出す人がいる。

2年目の神宮、田中が開幕スタメンを飾った日。私たち家族の隣に座っていた青年のことだ。ファン同士、同じタイミングで喜んだりため息をついたりしているうちに言葉を交わすこともある。
聞けば「幹也さんがいたから、僕は内野手を諦めた」という。同じ大学の後輩だった。

息子に「野球、続けろよ」と言ってくれたあの青年は元気にしているだろうか。もし「幹也さん」の活躍をチェックしている中でここに辿りついたら、この場を借りて「続けているよ」と伝えたい。遺伝的には、たぶん、身長は伸びないけど望みはゼロじゃない。

彼にとって田中幹也は希望だっただろうか。試合後の神宮、グラウンドを後にする選手にファンはみな声援を送る。「みきやさーん!」という彼の呼びかけに、手を挙げて応えた先輩の姿はまぶしかった。


***
もし、田中幹也がドラゴンズに入っていなかったら――。5月21日のハマスタはあんなに湧かなかった。忘れもしない田中のホームランがあった日。私は、いちばん外野に近い内野の端に座っていた。DeNA入江の直球152㎞/h。振りぬいた打球はすぐ横の応援団の中に吸い込まれる。大歓声。ただでさえホームランが出ない球団の、守備の人の、小さな選手の一発が試合を決めた。監督をして「俺も予測してなかった。田中幹也さまさま」と言わしめた。f:id:rno670:20250802174649j:image

もし、田中幹也がドラゴンズに入っていなかったら――。いや、今はいる幸せを噛みしめよう。


いつだって、田中幹也に希望を見出しながら。



●IBDステーション内    IBD患者さんの声https://www.ibdstation.jp/ibd-intheirshoes/voice/interview

 

 

 

---------------------------------------

 

2020年に初めて応募した「文春野球フレッシュオールスター」のコラム。毎年応募したかったのですが、昨年2024年は書きあがらずに終えてしまいました(笠原で書いてた。その他書きかけの長い文章諸々眠ってるな……)

 

ということで、応募は二年ぶり。

結果はベンチ入りでした!

↑クソデカネックレスのコラムが最高です。

 

 

 

 

田中幹也についてはずっと書きたいな、と思っていたのです。

ここへきて、打撃も好調でドラゴンズに欠かせない選手になっています。あの守備は替えが利かない。とはいえ、休養は必要なはずなので。活躍を一回でも多く見られますよう。

 

 

 

dramama.hatenablog.com

三好スタメン。時の流れを感じるよ。




以上の内容はhttps://dramama.hatenablog.com/entry/2025/08/02/174942より取得しました。
このページはhttp://font.textar.tv/のウェブフォントを使用してます

不具合報告/要望等はこちらへお願いします。
モバイルやる夫Viewer Ver0.14