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自己肯定感というか、自己評価が曖昧でずっとうまくいってなかったけど最近うまくいくようになった

四半世紀かかった」の続きというか、派生エントリー。

25年くらい社会人としての自己評価に悩まされてきたのだけど、思春期を越えたあたりから今まで、さまざまなコンプレックスに悩まされてきた。全部挙げると大変な数になる。なので最近わかってきたことをなんとなくまとめてみる。

「自己肯定感低くてもなんとか頑張れたいくつかの方法」を読む

blux.hatenablog.com

こちらの記事に非常によくまとまっているのでまずはこれを見てくれ。

だいたい言語化されていたのでもう書かなくてもいいかな?と思ったけど、

songmu.jp

こういう話もあるのでまあ書いてもいいかなとも思った。ので続きも書く。

「まずは自分を愛そう」とか思わない。それはハイレベルすぎる。

「自分を愛する」という言い回しが広く使われているのは、たぶん聖書のマタイによる福音書22章39節からなんじゃないかと思う。違ったら教えてください。

しかし、聖書の教えを深く学んでいる方でもこの聖句の解釈は大変だという。一番まとまっているのが内田樹さんのエントリーだったのではっておく。

blog.tatsuru.com

それでなくても日本人にとって「愛」というのは厄介な概念なんじゃないのかなと思う。人類愛だけではなく性愛や恋愛や情愛も含む表意文字である。昔キリスト教の布教において「愛」を「御大切(ごたいせつ)」と言い換えたそうだけど、「大切」の方がわかりやすくてよかったんじゃないかな……個人の感想ですが……。

つまりは「自分を愛そう」とはせずに「自分を大切にね」くらいに思っておけばよいのではなかろうか、と思った。何も丁寧な暮らしをせんでもいい。「セルフネグレクトしないようにね(でないと他のこともうまくいかないからね)」という具合が落としどころなんじゃないかと思う。

過度な自己否定は意識的に避ける

それができたら苦労はしないよね!!!!!

でも鶏が先か卵が先かってなくらいで、無意識に自己否定をするなら、意識的に避けるようにして対抗すればいいのだった。無意識はもうしょうがない。ほっとく。家で、布団の中で、反省会をしたくなる気持ちはわかる。それに抗う。抗いきれない時だってあるだろう。何しろ私など40歳過ぎてもやってましたからね!!

でも意識的にはやらないようにすると、そのうち慣れてきて、「あっ自己否定し(自己否定を否定)」くらいの速さで瞬殺できるようになる。これは「自己否定をしない」のではなくて、「自己否定をする自分を律する」訓練です。練習です。身につけられると思う。麻を飛び越える忍者のごとく。

自己啓発本に頼らない

私には精神的にまいると本を買う悪いくせがあり、30代の頃は、今はなき六本木ヒルズヴィレッジヴァンガードに大金を突っ込んでいた。いろいろな本に触れるのはよいことだと思っているが、自己啓発本はよくなかった。「そうはなれない自分」を突きつけられてしんどくなってしまうのだ。あれはエンタメだ。話半分に聞くか、消費して流してしまおう。

ちょっと前のポッドキャスト「ほっとテック」でyouheiさんが「本を役立つと思って読んだことがない」という話をしており、最近は私も確かにそうだなーと思った。ので貼っておく。

www.hotto.tech

1冊だけ「これはあってよかった」と思ったのは、デール・カーネギーの「道は開ける」かな……。ガチの自己啓発本だけど、ガチで悩みまくっていた頃に「他にもこんなに悩みのパターンがあるんだ」という気持ちになった記憶がある。それ以外のことは忘れた。

とはいえ本を味方につける

さっき読み過ぎるなと言ったばかりだけど、本は味方にもなる。人に相談できない話は本でなんとかしよう。買うのがいやだったら図書館に行こう。今のうちなら、図書館はあなたの閲覧履歴を守ってくれます(いつどうなるかわからんな……という懸念がある)。

過去最悪に仕事に自信が持てなかった時に役に立ったのが、川崎貴子さんが紹介されていた『なぜ女は男のように自信をもてないのか』。データで突きつけられるので大変タイミングがよかった。

next.rikunabi.com

子宮の摘出手術を受ける際には、その川崎貴子さんが書いた『我がおっぱいに未練なし』を読んでいた。

自意識に振り回されっぱなしになってた時には、雨宮まみさんの連載をまとめた『女の子よ銃を取れ』が効いた。

落ち込みっぱなしになっていたときは、一穂ミチさんのお仕事系BLがよかった。唐突にすみません。今や押しも押されもせぬ大作家になってしまった……。

誰か一人でもいいので話を聞いてくれる人を探す

これも難しい。鶏が先か卵が先か。でも私はこれをやりたくなくて溜め込んだ結果、職場を出た瞬間に泣く、みたいなことに陥ったので、誰かにちょっとだけでもいいので(全部話すのはお互いのためによくないので)聞いてもらえるような環境を作る。

私は夫に頼んだ。「これこれかくかくしかじかの理由で家では仕事の話をしなくなったが、今後は話を聞いてほしい」と言った(別にそれまでも聞いてくれないわけではなかったが、私が勝手に話さなかっただけだった)。あとは分散させるように心がけた。この話はこの人に、この人にはここまで、みたいに切り分けると、「重い人」みたいに思われずになんとかなる場合もある。

その結果、加減がわからなくていろいろ言いまくってしまって閉口させることもたびたび起きたけど、そこは加減を徐々に覚えていく感じでなんとか練習しよう。結局練習かよ!と思われそうだけど……。

あとは日記に書いたりブログに書いたりしてもいいかもしれない。私は長いこと、Webでのアウトプット場所に救われてきた感じがある。プライベートをさらけだすなら完全匿名にしよう。顕名でもできないこともないけど、そのうちうっかりそのサービスの関係者になったりすると大変。

意外とみんなも大変であることを意識する

自分が大変だなーとか自分マジ無能~とか自分の生きてる意味わかんねえ、とか考えている時には忘れがちだけど、意外と他の人もいろいろ大変なのである。

例えばうっかり家族が入院していたり、本人が病気だったり、相続の話に巻き込まれていたり、借金があったりするかもしれない。もしかしたら宝くじで大当たりして、あなたの話を聞いているどころじゃないかもしれない(っていうケースはこれまで私はありませんでしたが、まああってもおかしくなさそう)。

リアルであったことといえば、私が周囲の義理の親族に振り回されてめちゃくちゃな感じになっていた頃にふと会った人に近況を話したら「それはよくある話だね、それで自分の仕事の話なんだけど」って話を持っていかれてしまって、一言で終わりかい!!って内心ブチ切れてた時があった。だいぶ前の話なのにまだ覚えている。でも、その辺で「ああ、他人にとっては自分の話って割とどうでもいいんだよな」と楽になれた気もする。

他にもまだまだありそうだけど

いったんここで筆を置く。もうそろそろ半世紀生きてる感じになりそうなのにまだまだ人生修行中といったところだけど、案外「若い頃にはわからなかったな」という加齢に伴う心境の変化もあったりするので、またそれは別の機会に。




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