
1週間ほど前から日本全土に大寒波が来ていて全国で大雪が降ったが、仙台は東北地方だけどほとんど雪は積もらなかった。
一週間前ほどから全国に寒波が来襲していて、北海道、東北、日本海側から西日本までの広い範囲で大雪が降ったが、仙台市は東北地方にあるにもかかわらず降雪は少なかった。仙台の気候を説明したウィキペディアの説明を引用する。
概要
仙台市都心部は、太平洋に開けた仙台平野(仙南平野)の西部に位置するため、海洋性気候(太平洋側気候)の傾向を持つ。そのため、冬は東北地方としては温暖で、冬日は比較的多いが、真冬日は少ない。降雪量は少なく、積雪が一週間以上残存することは少ない。
冬
仙台は、一般的には東日本として区分されるが、気象予報上では北日本として区分されている。しかし、降雪量は少なく、気温もさほど低くはならない。東北地方の太平洋側南部に位置する仙台平野(旧仙台市)、並びに福島県中通りと浜通りは、国土交通省からも「豪雪地帯」の指定を受けていない。
年間の積雪量でも青森が630センチ、福島が235センチなのに比べて、仙台は90センチであり、東北の県庁所在地の中で唯一100センチ以下である。だから、山形市、盛岡市などでは学校での冬の体育の授業ではスキーが必修で、ほぼ全市民がスキーができるらしいが、仙台では冬でも校庭に雪が積もることは少ないからスキーの授業はないので、東北地方だけど僕を含めてスキーができない仙台市民はけっこう多い。
仙台は冬でも雪があまり積もらない街であるのだが、本当にこの土地に城下町を作ることを決めた伊達政宗と伊達家の家臣に感謝しなけらばならない。伊達家は本当に良い土地に城下町を作ることを決めたと思う。
仙台が東北地方なのに雪が少ない都市になったというのは、本当に江戸時代初期にこの土地に仙台という大きな街を作ろうと決めた伊達政宗とその家臣たちに感謝をしないといけない。伊達家は元はというと室町から戦国時代は山形県の米沢を本拠地にしていたが、その後、豊臣秀吉が天下統一した時に米沢から宮城県北部の岩出山に本拠地を移動させられたが、岩出山は海から遠くて山の中にあって大きな街を作るには不向きだったので、伊達政宗はもっと海に近くて平野が広がる仙台に関ケ原の合戦後に本拠地を移したのである。
仙台は、ここに伊達家が本拠地を作ろうと決めて城下町を作り始めた当時は、仙道地区(今の宮城県南部から福島県北部の地区)の北部にある人口5万人ほどの町だったが、伊達家は本当に良い場所に仙台を作ったと思う。もし海運の利益を求めて太平洋沿岸に町を作っていたら、その後に何度も東北を襲った津波で町は流されて住民の多くが亡くなっていただろうし、敵との合戦を考えて山城だった岩出山城に城下町を作っていたら、冬には住民は豪雪に悩むことになっていただろう。
そう考えると、太平洋沿岸地区から数キロ離れた広瀬川と名取川の合流地点付近で、奥羽山脈の端っこの丘陵地に平山城の仙台城を作った伊達政宗と伊達家の家臣たちは、本当に城下町作りの天才だったと思う。