
- ナチスドイツ軍の長老であったルントシュテット元帥は、1944年12月16日から西部戦線で始まったバルジ大作戦の指揮を執ったが、彼自身はヒトラーとナチス党を嫌っており、ドイツ軍は弾薬燃料不足なのでこの作戦は成功しないとわかっていた。
- 第二次大戦のナチスドイツ軍でルントシュテットのような軍人はとても多く、戦争の勝利の希望がなくなっても国民がヒトラーを支持して戦争の勝利を望んでいる以上、軍人は軍務を果たすべきだと考えていた。一方で国民は国の指導者と軍人が戦争を勝利に導いてくれると洗脳された状態だった。これは日本も全く同じだった。
ナチスドイツ軍の長老であったルントシュテット元帥は、1944年12月16日から西部戦線で始まったバルジ大作戦の指揮を執ったが、彼自身はヒトラーとナチス党を嫌っており、ドイツ軍は弾薬燃料不足なのでこの作戦は成功しないとわかっていた。
今はクリスマスシーズンだが、僕のようなドイツ軍マニアはこの時期になると、ドイツ軍が西部戦線で米英連合軍撃破の最後の望みをかけて行った「バルジ大作戦」を思い出すので、この作戦に関する記事を書こうと思う。上の写真はルントシュテットの写真とハノーファーにあるお墓。お墓は僕が実際にハノーファー市内にある墓地まで2015年に行って、お墓を探して撮影した。民間人と同じように妻と一緒に葬られていた。
1944年12月16日にドイツ軍はドイツ国境まで押し寄せた米英連合軍に対して、それを撃破する一縷の望みをかけて大攻勢をかけた。ハリウッド映画「バルジ大作戦」でもこの様子が描かれているが、この映画に出てくるヘスラー大佐のモデルとなっているのは、明らかに武装親衛隊パイパー戦闘団を率いたヨッヘン・パイパー中佐である。そして、ドイツ軍が大戦車軍団で攻撃をかけて、最後は戦車の燃料切れで戦車を放棄して撤退したのは事実だが、それ以外はかなりが脚色されて描かれている。
ルントシュテット元帥はこの作戦の総指揮を西方総軍指揮官として、この作戦の総指揮を引き受けた。しかし、彼は連合軍の圧倒的な物量に対して、燃料弾薬が不足しているドイツ軍は最後には攻勢が失敗することを予測していたが嫌々ながらも引き受けた。それは国民がドイツ軍の勝利を期待している以上は軍人は任務を全うしなければならないという義務感からだろう。そして、攻勢は彼が予想していたようにドイツ軍戦車部隊の燃料弾薬切れで失敗に終わった。
第二次大戦のナチスドイツ軍でルントシュテットのような軍人はとても多く、戦争の勝利の希望がなくなっても国民がヒトラーを支持して戦争の勝利を望んでいる以上、軍人は軍務を果たすべきだと考えていた。一方で国民は国の指導者と軍人が戦争を勝利に導いてくれると洗脳された状態だった。これは日本も全く同じだった。
第二次大戦中のナチスドイツ軍の高級将校で、ルントシュテットのような人物は非常に多くて、ルントシュテットが第一次大戦を少佐で終えたのに対してヒトラーは伍長で終えていて、しかもルントシュテットの方がヒトラーよりも10歳以上も年上だったので、ルントシュテットはナチス高官と軍の将校がいる前でヒトラーを「ボヘミア出身の成り上がり者の伍長!」と罵倒したり、ホロコーストを知った時にはそれを止めるように進言したが、ヒトラーはルントシュテットを収容所送りにしたり、死刑にしたりしなかった。それは、彼がドイツ軍の長老であるので、彼を処罰するとドイツ軍全体が敵に回る可能性が高かったからである。
ただし、ルントシュテットはバルバロッサ作戦が失敗した時の1941年12月、米英連合軍がノルマンディ上陸に成功した後の1944年6月末にヒトラーの怒りを買って2回予備役に回されている。でも、2回ともその数か月後に再任されて、最終的には1945年3月にレマーゲン鉄橋が連合軍に占領されて西部戦線が崩壊した責任を取らされて解任された。一方で、1944年7月20日にシュタウフェンベルク大佐を指導者とした国防軍の高級将校たちがヒトラー暗殺事件を起こした時には、その翌日にグデーリアンと共にヒトラー総統への忠誠を誓う文書を国防軍将校のトップとして差し出している。
ナチスドイツ軍の軍人はルントシュテットのようなスタンスの人がほとんどだった。ヒトラーのナチス政権とユダヤ人虐待などの残虐行為には疑問を抱いているが、国民がヒトラーとナチス党を支持しており、国民が戦争の勝利を望んでいる以上は軍人は国民の期待に応えて軍務を全うするべきだというスタンスである。
これは、ドイツと同盟していた日本でも言えることである。ドイツでは既に勝利の可能性がほとんどなくなった後でも[Endsieg](最終勝利)が叫ばれて、日本では「一撃講和」が叫ばれた。国民は国の指導者たちについていけば連合軍に大打撃を与えて有利な条件で講和が結べると信じており、国の指導者たちは国民が戦争の継続を望んでいるなら勝利を目指して戦争を継続しないといけないと思っていた。つまり、このような両者共に戦争の勝利に向けて洗脳された状態で、「もう戦争の勝利は諦めて無条件降伏をしよう」と言い出すのは極めて難しかったのである。
