以下の内容はhttps://deutschland-lab.hatenablog.com/entry/20240904/1725428149より取得しました。


博士号を持っていたのでヒトラー暗殺事件に関与したけど処刑されなかった将軍

undefined

ハンス・シュパイデル陸軍中将は反ヒトラーグループの中枢人物であり、ロンメル、クルーゲなどの勇名な将軍を反ヒトラーグループに引き入れる説得を行っていた。ヒトラー暗殺事件の後に2人の将軍が自殺を強要されても、シュパイデルは博士号を持っていたので他の将軍たちによって守られて処刑されなかった。

 

 

今日は久しぶりにこのブログのタイトルどおり、ドイツ軍に関するブログ記事を書こうと思う。

 

ハンス・シュパイデル中将は1944年6月6日に米英連合軍がノルマンディに上陸した時はロンメル元帥の副官であり、シュタウフェンベルク中佐を中心とする反ヒトラーグループに深く関与して、ドイツ陸軍の高級将校たちを反ヒトラーグループの運動に参加するように説得する工作を行っていた。ロンメルを反ヒトラー運動に参加するように説得をしており、7月20日にシュタウフェンベルク中佐が東プロイセンにある総統大本営で爆弾を爆発させてヒトラーを暗殺しようとした後に、10月にロンメルはヒトラーの命令で自殺を強要されるのだが、ロンメルがこのようになった原因はシュパイデルが副官であり、彼に「シュタウフェンベルクたちによろしくと言っておいてくれ」ということを言ったことだったという。また、ロンメルが7月17日にイギリス軍戦闘機の空襲で負傷して、その後任にクルーゲ元帥が着任すると、クルーゲも反ヒトラー運動に参加させようとした。クルーゲもシュパイデルが副官であり親密な中にあったことが原因で自殺している。

 

ところが、このように反ヒトラー運動の中心人物であったにも関わらず、シュパイデルはナチスドイツの独裁政治の中枢であるゲシュタポも傘下に含む国家保安本部によって逮捕されたがすぐに釈放されて、その後は軍の刑務所に監禁された。このように軍がシュパイデルをゲシュタポに引き渡すことに抵抗したのは、最前線で戦う武装親衛隊の軍人までを含むドイツ軍の軍人たちが、「シュパイデルのような軍人として勤務しながら大学に通い、歴史学の博士号を取った人物が逮捕されて死刑になったら、ドイツ軍という組織が崩壊してしまう」と言ってシュパイデルの人民法廷での裁判と処刑に激しく抵抗したからである。抵抗した人物の中には、陸軍のルントシュテット、グデーリアン、カイテル、武装親衛隊のディートリッヒといった多くの有名な軍人たちが含まれている。そして、僕がドイツで買ったドイツ語で書かれた戦記の中にはシュパイデルも登場するが、そこにはシュパイデル博士陸軍中将と書かれている。一方で、博士号を持っていないロンメルなどの軍人には博士とは書かれていない。

 

 

シュパイデルは博士号を持っていたことでナチス恐怖政治の時代を生き延びて、戦後も軍人となってドイツ軍の再建に努力をしてNATOの要職に就いた。このように、ドイツは博士号を持っている人間にはかなりの敬意が払われる学歴社会のようだ。

 

 

そして、シュパイデルは戦後はドイツ連邦軍の再建に努力をして、東部戦線で従軍をして対ソ連軍の経験があることから、北大西洋条約機構(NATO)で重要な職務について、隠居生活に入った後には1970年代に来日をして靖国神社に参拝もしている。

 

こちらが、ハンス・シュパイデルのウィキペディアの説明。

 

ja.wikipedia.org

 

同年4月、西部戦線のB軍集団参謀長に異動。B軍集団司令官エルヴィン・ロンメル元帥をヒトラー暗殺計画に引き込もうと画策した。ロンメルが負傷して後任にギュンター・フォン・クルーゲが着任すると、シュパイデルはクルーゲも反ナチス抵抗運動に誘った。ヒトラー暗殺作戦が失敗し、嫌疑をかけられたクルーゲが自殺すると、9月7日にシュパイデルもゲシュタポに逮捕され投獄された。しかしヨーゼフ・ディートリヒ国家保安本部に圧をかけてまでシュパイデルを釈放させたため起訴もされなかった。

 

戦後

 

1950年、西ドイツ首相コンラート・アデナウアーの軍事部門の補佐官となり、ヒンメロート覚書の作成に関与。1951年にブランク機関(国防省の前身)に就職し、ドイツ再軍備の準備に従事。1951年から1954年まで、欧州防衛共同体結成会議での西ドイツ代表を務める。

1954年から翌年にかけて、NATO加盟交渉で西ドイツ側代表を務める。1955年の西ドイツ再軍備と共に国防省統合軍局長に就任し、ドイツ連邦軍中将となる。1957年、大将に昇進。1957年から1963年まで、NATOの欧州連合軍中央連合部隊司令官(COMLANDCENT – Commander Allied Land Forces Central Europe)として、パリ・フォンテーヌブロー宮殿の司令部にあり、ドイツ連邦軍のNATOへの組み込みに意を砕いた。

 

このウィキペディアの説明を読めばわかるように、ドイツは大学院で勉強をして博士号を持っている人に対してはかなりの敬意を払う社会である。それは今でも続いており、博士号を持っている人に対してはテレビなどで字幕で名前を紹介される時に、[Herr Doktor](男性)[Frau Doktorin](女性)という博士号を持っているという説明が付くほどある。

 

果たしてロンメル、クルーゲなどももし大学院まで進んで博士号を持っていたら、ナチス独裁政権から自殺を強要されることはなかったのかということはということまではわからないが、少なくともシュパイデルについては若い時に博士号を取っていたことが、彼をナチス政権から救ったのだった。

 




以上の内容はhttps://deutschland-lab.hatenablog.com/entry/20240904/1725428149より取得しました。
このページはhttp://font.textar.tv/のウェブフォントを使用してます

不具合報告/要望等はこちらへお願いします。
モバイルやる夫Viewer Ver0.14