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NHKで織田信長の無能息子の信雄をほめるドキュメントをやっていた

悪評なんかぶっ飛ばせ “自分流”を見つけ出せ 織田信雄 - 先人たちの底力 知恵泉(ちえいず) - NHK

織田信長の三男の織田信雄は伊賀の国に大将として攻め込んだ時に大敗して、本能寺の変の時にパニックになって安土城を全焼させてしまい、小牧長久手の戦いで豊臣秀吉と争った時に同盟していた徳川家康に無断で勝手に秀吉と和睦してしまい、最後には秀吉に領地を没収されて秀吉の家臣になるなど、とても信長の息子とは思えない無能ぶりだった。

 

 

僕は80歳を越えた母が心配なので母と同居をしていて、たまにリモートワークをして家にいるのだが、数字前に午後4時頃にリビングに降りたら母がNHK教育テレビの知恵泉(ちえいず)という番組を歴史ドキュメント番組を見ていて、その番組では織田信長の無能な息子として悪名高い織田信雄を特集していた。

だいたい、どんな歴史ドキュメント、歴史本でも父の織田信長に比べて3男の織田信雄はあまりにも無能すぎる人物と批判されていて、僕もこの定説が正しいと思っている。しかし、この番組では定説の逆で織田信雄はなんだかんだいっても戦国時代を生き残って豊臣秀吉よりも徳川家康よりも長生きしたのだから、天下人の信長の息子に生まれて過酷な人生を送らざるを得なかったが、戦国時代を生き延びて織田家の血筋を江戸時代、さらに織田信雄は徳川家の江戸幕府から上野国(今の群馬県)に領地を貰って、その血筋は江戸時代に何回かの改易を経て、幕末には出羽国(山形県)天童藩となり、他の戦国大名の多くが江戸時代に改易と廃藩で取り潰された中で生き残ることが出来た。だから、織田信雄は本当はサバイバル術に長けた人だったという内容だった。

でも、やはり僕は織田信雄は無能だったというか、争いの多い戦国時代には向かない人間だったという悪評は覆らないと思う。例として父の織田信長に命ぜられて伊賀国の平定を命ぜられてその総大将として出陣したが、伊賀の豪族と忍者の仕掛けた罠にはまり、織田軍は大敗をして危うく数名の有名な武将が討ち死にしそうになった。この大敗を父の信長は激怒している。また、本能寺の変で父信長が亡くなった後もすごく狼狽をして、信雄の命令ではないにしても、部下たちがパニックに陥って安土城に放火をして全焼させてしまうという大失態を演じている。

 

これだけでも十分に無能なのだが、豊臣秀吉が台頭をして柴田勝家と兄の信孝を討って織田家を乗っ取り始めるのだが、その時は徳川家康と組んで父信長がが亡くなった2年後に小牧長久手で秀吉軍と争う。しかし、家康軍は秀吉軍に戦術的な大勝利を収めるが、秀吉の居城の大坂に近い尾張国(今の愛知県)の清州城を居城としていた信雄は、秀吉には単独では到底勝てないという危機感を抱き、家康に相談なしに勝手に秀吉と和睦をして事実上の降伏をしてしまう。これで、家康は秀吉と争う大義名分を失い、家康もまた秀吉に臣従することになってしまう。

 

その後、豊臣秀吉が小田原城に籠る北条家を滅ぼした後に、秀吉の命で徳川家は北条家が治めていた関東地方に国替えとなり、信雄は家康が治めていた静岡地方に国替えになるのだが、信雄はここで「織田家の先祖代々の土地である尾張国を離れるのは拒否する。だいたい、秀吉は元はというと織田家の家臣だったではないか」と秀吉に逆らったので秀吉を激怒させて、追放されてしまう。ここでも無能ぶりを発揮している。この時に織田信雄に従っていた家臣と足軽の数千人が浪人となってしまっている。

 

こちらが織田信雄のウィキペディアの説明。

 

ja.wikipedia.org 

 

それから数年後、秀吉に赦されて御伽衆(おとしぎゅう)として秀吉に仕えている。またこの頃に出家をして常真(じょうしん)と称している。つまり、戦国の争い事には向いておらず、嫌気が差して出家をしたのである。その後、関ヶ原合戦の時は西軍につくも、大阪の陣の時はすぐに徳川家康方につくことを表明して上野(こうずけ)国に領地を与えられている。そして、全ての戦国の合戦を生き延びて1630年まで長生きした。

 

 

このNHKの番組では、どんな者に身を落とそうとも戦国時代を生き残って江戸時代の泰平の世を迎え、その後に信雄の子孫は江戸時代を生き残って幕末から現代まで生き残ったということを褒めている。しかし、そこには息子は父の跡取りとして家を継がなければいけないという封建時代の絶対の習慣が抜けている。現代の価値観で生き残ったからいいんだという評価は、何か違和感を覚える。

 

 

番組では、たとえどんな者に身を落とそうとも豊臣秀吉、徳川家康のような才能に溢れる者たちと争っても自分は勝てないと己の限界を知って、「織田信長の息子としての意地はないのか?」と他人から何と言われようとも、他人の評判は気にせずに戦国時代を生き延びて平和な江戸時代まで生き延びて織田家の血筋を幕末まで残した信雄のことを、生き延びることを最優先にした有能な人と結論づけていた。

 

しかし、伊賀の戦いでの無能な指揮ぶり、信雄の部下たちが安土城に放火してしまったこと、尾張から国替えなること拒否して数千人の家臣たちを浪人にして困らせてしまったという無能ぶりは、やはり歴史からは消えない。だいたい、信雄が生き延びることが出来たというのは、やはり、秀吉の上司であり家康の盟友であった織田信長の息子という親父の七光り以外の何物でもなく、もし彼が信長の息子ではなかったら、歴史の舞台に出ることもなく、戦国時代のある合戦で戦死していただろう。そういう歴史の事実を考えれば、この織田信雄をほめているNHK歴史ドキュメントは根底から間違っている。

 

何というか、この織田信雄をほめる歴史ドキュメントは息子は父の跡継ぎとなって家を継ぐのが当たり前だったという封建時代の習慣を、「生きてるだけでそれでいい」という今の視点で評価している。息子は父の跡を継いで家の主人となるという封建時代を、現代の価値観で評価すること自体が、歴史ドキュメントとして間違った評価方法だ。

 




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