以下の内容はhttps://delete-all.hatenablog.com/より取得しました。


毎日がお通夜だった。

新商品の試作を「夕飯にするから」といって持ち帰ろうとしていた同僚が「夕飯まで仕事かよ」とからかわれているのを見て、昔のことを思い出した。約三十年前、僕が大学生の頃、母が職場から持ち帰ってきてくれた弁当が我が家の夕飯だった。父が亡くなって生活に余裕はなかったけれども「苦しい」「金がない」「お先が真っ暗」みたいなことを僕が言うと母は怒った。それが現実のど真ん中を撃ちぬく言葉であっても、「声に出したら言霊になって抜け出せなくなる」が母の理屈だった。お金や努力といった目に見えるものしか信じない、オカルトとは一千万光年くらい離れたところにいる人が言霊を持ち出すなんて……それくらい余裕がなかったのだ。

母が職場から持って帰ってくる弁当は、ハンバーグ弁当、唐揚げ弁当、とんかつ弁当といったカロリーオーバー気味の普通の(?)弁当ではなかった。母は葬儀屋で働いていた。そこではお通夜振舞いとして弁当が出されていた。弁当は、足りなくなることがないように余裕をもって多めに発注していたので、かならず何個か余っていた。母は、それを持ち帰っていた。「社割でただ同然で買えた」と言っていたけれども、たぶん、廃棄されるものをただでもらっていた。僕が車で迎えにいったとき、弁当を忘れた母を警備員のおじさんが追いかけてきて「タダでも忘れたらもったいないよ」と言っていたからだ。僕が聞こえないふりをしたのは言うまでもない。

葬祭場の仕事は終わるのが遅い。僕もアルバイトを掛け持ちしていた。そのため、我が家の夕食は遅かった。時間の経過で冷たく、かたくなったお弁当ははっきりいって美味しくなかった。通夜の振舞いなので、和食が中心。焼き魚、煮魚、煮物、豆腐、酢の物がスターティングメンバー。ときどき天ぷらが入っていてテンションがあがっても海老天ぷらではなく野菜天ぷらだと知って肩を落とした。弁当については何も言わずに黙々と食べた。母も何も言わなかった。母がプライドを捨てて持って帰ってきたものに文句を言えるはずなどなかった。廃棄される弁当を食べていることについて文句や愚痴といった言葉にしてしまったらとことん惨めな気持ちになってしまうから。黙々と食べていれば、大学を卒業して社会に出て給料をもらう立場になる。夜寝ているあいだに通過していた子供の頃の台風みたいに、乾いた通夜振る舞いを食べる時期は終わる。そう思っていた。

でも若い僕にとってその数年間は長すぎた。押さえつけていたものが抑えられなくなった。なぜこんなものを食べなければいけないのだろう。何も悪いことをしていないのに。言葉にしたら言霊となって母を傷つけてしまう。だから僕は弁当を見ては露骨に「はあ」とため息をついたり、おかずを残したりした。そういう卑怯なやり方で母を非難した。母は悪くないのに。通夜&通夜&通夜。連夜の通夜振る舞い弁当に嫌気がさしていたし、油断すると父の葬式を僕に思い出させた。限界だったのだ。わざとらしく肩を落とす、露骨にため息をつく、という卑劣なゲリラ戦法に対して母は正攻法で挑んできた。ある夏の夜。いつものように乾いた弁当を食卓に出すと母は突然「さあ、お通夜を始めるよ」と言った。意表をつかれ呆気に取られている僕に母は「毎日お通夜気分を味わえるなんて貴重よ。とことん味わってから抜け出しなさい。わーお!」と言い放ったのだ。母はただ、どん底を味わえとだけ言った。

もし「ごめんね」「もうしわけない」といった謝罪や「明るい未来が待っている」という希望を口にされていたら、どうなっていただろう。惨めな気分はより深いものになって、根拠のない希望に対して「それが何の役に立つの?」と苛立ちを隠せなかったかもしれない。謝罪や希望は救いにも弁当に彩りを与えない。どん底を味わえ、覚悟を決めろと言われて、僕はかえって救われた気がしたのだった。それから僕が社会に出るまでお通夜の振る舞い弁当の夕食は続いた。黙々と食べ続けた。それから三十年くらい経ったけれども、あの通夜振る舞い弁当に思い出補正がかかって「振り返れば素朴で美味しかった」食事に昇華することはない。一生ない。死んでもない。

母も歳を取り八十歳をこえた。記憶はまばらになってしまって、当時の記憶も曖昧のようで、僕が「最低の食事だったよな」と言っても反応が薄い。あるいは、母は忘れたふりをしているのではないかと僕は疑っている。そうすることで当時著しく損なわれたプライドを守っているような気がする。それでいい。僕も追及しない。ときどき、三十年前の静かな夜の食卓の時間を懐かしく思うときがある。そして、あの、廃棄されるはずだった、あまり美味しくなかった弁当も、不味さもそのまま、人生の宝物になっていることに僕は気づく。(所要時間25分)

営業職の仕事でAIを使うには「妥協」か「発想」が必要。

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僕は食品会社の営業部長。昨年から営業の業務にAI(生成AI)を導入して、効率化とコスト削減をすすめている。まず、初期の企画提案書に添付するイメージやパースを業者からAIに切り替えた。理由は、中小企業なのでビジネスになるかどうかわからないものにコストをかける余裕がないため、それから、一件当たりにかける労力を下げて多くの案件にエントリーするためだ。これまでは業者に依頼していたけれどもコストとスピードの点で不満があったのだ。ただ、正式な企画提案書には精密な図面やイメージ図が必要になるため、そこでは業者の力がまだまだ必要だ。つまりAIを使うところと使わないところを分けて仕事をしている。AIで作成したもののクオリティーについては、そこそこ、及第点といったところ。初期段階のイメージ図なら許せるというレベル。ちょっと著作権的に危ない感じもするので使用には注意が必要ではある。

先日、部下が作成した企画案にがっかりした。体裁が整っていて、論理的に破綻がなかったのだ。現在のトレンドや顧客のニーズを拾い上げて、的確なプランとその効果が記載されていた。まとまってはいたが、ごくありふれたものだった。ひとことでいうと意外性がなかった。その部下はトレンドや常識から外れたぶっとんだアイデアを持ってくるのが長所だった。彼の、ぶっとんだアイデアに対して、どう実現していこうか考えるというのがチームの強みだったので、僕はがっかりしたのだ。案の定、それはAIで作ったものだった。

企画提案のアイデア出しとそれのまとめにAIを使っているけれども、作られたものに面白味は感じない。尖ったところがなく、無難なのだ。一見すると、内容はまともで、論理的で、見落としていた部分も拾い上げてくれて、体裁が整っているので、こんな感じでいいかも、と思うのだ。それは妥協だと僕は思う。「こういうものが欲しい」というものから離れていても、こんな感じかな、と妥協してしまうのだ。真面目な人が真面目な顔で真面目に語ってくると面白味はないけど説得力があるので、まあそれでいいじゃないか、と妥協して賛成してしまうようなものだ。体裁が整っていることに人間は弱いのだ。

昨年末に、とあるコンペにおいて同業他社の企画提案書を見る幸運に恵まれた。驚いた。おそらくAIを使って作成したものだと思われるが、当社がAIで作った不採用にした企画とほぼ同じだったのだ。独自技術と開発力のある巨大企業は別として、ごく一部の例外を除けば、中小企業に特別アピールできるものはない。その証拠に地方のテレビで放送されている中小企業のCMはどれもこれも「地域密着」と「信頼と実績」「創業何年」しか謳っていない。事業規模・事業圏、サービスや商品が類似した中小企業がAIをつかって企画案を作成すると、似たものが作られてしまう可能性があるようだ。つまり与えられる材料が同じであれば、AIは同じものを吐き出すのなのだろう。

これまで中小企業の営業として僕がやってきたのは、大企業にはできない無謀なチャレンジとか、細かすぎて効率の悪い仕事とか、ハッタリをかますとか、年間数万円にしかならないニッチな仕事とか、人の気持ちの裏をかいたり、意表をついたりするような企画提案を考えることだったけれども、そういう類のものをAIは苦手としているみたいだ(今のところ)。真正直すぎるのだ。それでいて嘘を真実のように言うから困りものなのだ。厄介だ。

それでもこれからの時代を平凡な中小企業が生き残っていくためには、AIをうまくつかって効率よく業務をすすめていくことが不可欠だ。企画案なら、AIが作り出したものを「体裁いいよね」って妥協して採用するか、既存の常識にとらわれない斬新な商品やアイデアを苦しみ抜いて考えてAIを使って企画にまとめていくか、この二つだと思う。できたら後者にしたい。というわけでAIを使って平凡な企画を作成した部下に「体裁や常識はいいから君の発想を企画にまとめてみて」と指示を出したら、速攻で、老人ホームの利用者向けに「通夜振る舞い食イベント」企画をもってきた。斬新だ。間違いがあっても困るので念のために「通夜振る舞い食というのはお通夜のあとに遺族が食べるあの食事だよね」と確認したら「そのとおりです」と部下は答えた。縁起が悪すぎるので却下したのは言うまでもない。だいたいクライアント(老人ホーム)に出せるわけがない。まずは、「通夜振る舞い」を老人ホームで再現することの是非について、AIに相談してもらいたかったものである。(所要時間26分)最新お仕事エッセイ本はこちらです。

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「仕事に『やりがい』を感じない」と部下から言われます。

僕は食品会社の営業部長だ。3月である。年度末である。気分が沈む。というのもこの時期はノルマ未達見込みの部下が作り上げた出来の悪い言い訳を聞かされるという苦行が待っているからである。彼らは先行きの見えない社会を呪い、己の不運を嘆く。「仕事にやりがいがない」「モチベーションが上がらない」と真顔で言う。彼らは、失敗の理由がわかっていながら、言い訳をする。聞くだけ無駄だ。やりがいはない。でも仕事だから真顔で聞く。ひととおり話を聞き、アドバイスしたあとで「やりがいは仕事に必要かな?」と質問する。彼らから、やりがいは不可欠ではないけれどあった方がいい、という答えが返ってくる。そんな彼らに僕が出来ることは「仕事は生活のためにやるものだよ」と言うことくらいしかない。

仕事についての考え方は人それぞれである。だがそれでも僕は仕事は生活のためにやるものであり、それ以上でもそれ以下でもないと考えている。生活はやりがいより圧倒的上位にある。やりがいがなくても、気分が乗らなくても、対価をもらっている以上、生活のためにやる。やるしかない。それが仕事というものだ。二十年前、僕はとある有料老人ホームで働いていた。厨房スタッフに欠員が出て、その補充で派遣されたのだ。当時も今も同じ営業職だ。厨房仕事は僕の本業ではない。もちろん不満はあった。モチベーションもゼロだ。やりがいなんて一ミリもない。それでも仕事だからと自分に言い聞かせて、納得させ、早番から遅番までこなした。欠員自体、一応、やりがいが原因ということになっていた。「毎日、淡々と食事提供する業務に対してやりがいを感じられない」という理由でスタッフが離職していた。そういわれたら「まあしょうがないよね」としか言えない。やりがいは便利な無敵ワードなのだ。

確かに、その老人ホームの業務は、食事提供時間にあわせて調理盛り付け作業を粛々と進めていくものだった。献立や指示書通りにこなす。個性は出せない。そのうえ個人対応が細かく神経を使う。間違えると命にかかわるから責任も大きい。それでも、決められたことをこなしていくだけの仕事だ。だから、そこにやりがいを感じないという言い分はわからなくもなかった。でも、仕事だからやるしかないのだ。なぜなら仕事はやりがいのためでなく生活のためにするものだからだ。

厨房スタッフの定数がそろわないので、完全調理品や冷凍食品を多用して工程を簡略化しようという意見が出たが、話し合いの結果、手作り感のある食事を続けることになった。仕事は生活のためにある。その生活は客のものでもあるからだ。有料ホームに入っている人の生活のなかで食事は大きな割合を占める。その食事を変えることは生活を変えることになると考えたのだ。その方向性が正しかったのかはわからない。ただ、良かったとは思っている。ある日の夕方、僕が食堂のテーブルを拭いているときに入居しているじいさんから声をかけられた。彼はブルース・リーに酷似していた。ブルースは「ここの食事は家庭のごはんを思い出すよ」と褒めてくれた。ブルースは元気で陽気なじいさんだった。ホームの夏祭りではどこからか持ち込んだ一升瓶を片手に顔を赤くしていたのが印象に残っていた。ブルースは翌日ホーム内で突然倒れて亡くなった。ブルースが生前最期の食事と、かつて自宅で家族と食べていた食事とを重ねられて本当によかった。そしてそのとき僕は、仕事は自分だけでなく相手の生活のためにあることを再確認した。

仕事は生活のためにある。生活とは仕事として製品やサービスを提供する側の生活であり、提供される側の生活でもある。仕事はクソつまらないけれど、生活のためだからやれるのだ。また、やる価値があるのだ。それが仕事というものであり、やりがいのあるなしで仕事に影響が出るなど論外なのだ。これまで僕は、ブルースじいさんの胸熱エピソードを話してきたけれど、ゆとり世代の部下からは「やりがいがない仕事なんて夢がないっすよ」という薄味の反応しか返ってこなくて、そのうち、やめてしまった。Z世代からは「コスパが悪い」と笑われるだけだろう。

僕はやりがいを否定しない。実際、ブルースの生前最期の言葉にやりがいを感じた。だが、それは仕事の副産物だ。やりがいは仕事の目的ではなく、仕事をするなかでときどき出会えるラッキーな宝物みたいなものなのだ。そんな出会えるかどうかわからないラッキーを仕事の目的にしていたら、うまくいくわけがないのだ。僕はそう思うよ。(所要時間25分)昨年出したエッセイ本です→

 

プロ経営者が あらわれた!

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僕は食品会社の営業部長だ。先日の会議で、会社上層部に「なぜ業界のことを知ろうとしないのですか?」と質問をした。彼らは金融機関からの出向でやってきて、取締役におさまった。そして、十年もその立場にあって業界の知識とコネがゼロで、的外れなことばかりしている。先日も受託している社員食堂の販売価格を、委託契約を無視して上げようとして先方とトラブルになりかけた。「牛丼屋だって自由に価格に決めている」が言い分であった。外食産業と給食事業の区別がついていないのだ。質問に対する専務(上層部トップ)の回答が想定外だった。「あえて学ばないようにしている」と彼は言い切ったのだ。「君たちは業界の知識常識に縛られているが、私たちはフラットな視点で見ることができる。なぜかわかるかね営業部長」。わからない。わかりたくもない。「我々はプロの経営者だからだ」と彼は付け加えた。プロ経営者があらわれた!

プロ経営者と聞いてフラットな気持ちになった。プロとは仕事人である。対価を得るために商品やサービスを提供する。そのために必要な技術を習得して実戦で経験を積む。それが仕事人だ。フラットな気持ちでプロについて考え、思い浮かぶのは、子供の頃に川崎球場で見たロッテオリオンズの落合選手だ。贔屓目に見ても数十人しか客がいないライトスタンドに淡々とホームランを打つ姿は幼い僕に「プロ」の凄みを教えてくれた。翌日のスポーツ欄に観客動員五千人と書ききった記者のプロ意識も忘れられない。また、我が家の奥様もプロの仕事ぶりを評価している。変な犯罪が報道されるたびに「もしムラムラしてどうしようもなくなったらプロの店に行ってくれ」と僕に懇願してくる。それくらいプロはすごいのだ。

それに対して当社の会社上層部はどこがプロなのかまったくわからなかった。真顔でプロ経営者を自称されると、フラットな気持ちでいようとしても思わず(笑)になってしまう。そもそも経営者はプロだ。プロでない経営者などいるのか。プロ経営者が経営に参画して酷いことになった企業は数知れない。なかでもマーケットの専門家やマーケターは地雷。でも、招へいする側が悪い。わざわざ「負ーけっと」「負ーけたー」と名刺に記載されているのだから。市場が読めるという傲慢と、成功体験だけを記憶して失敗を忘却する図々しさがよろしくない方向へ企業を動かす。大金を集めて沖縄にハリボテのジェラシックパークを築く。きっつー。

会議は衆院選の話題になった。食料品が減税の対象になったら事業に大きな影響が出るからだ。僕が「プロ経営者のフラットな視点から見て今回の結果はどうですか」と話を振ると、専務は「まだまだ世襲議員、二世三世が多い。全然駄目だ。政治に染まっていない、フラットな視点をもった人がこれからの政治には必要なのではないか」と発言した。ごくごく平凡で予想通りでフラットな意見だった。上層部のメンバーが口々に、さすが、わかってらっしゃる、と専務を持ち上げた。

するとそれまでニコニコと楽しそうに話を聞いていた社長が「私も二世なのだが」とひとこと言った。抑揚のないフラットな口調だった。一瞬で会議室の空気が重苦しくなる。会社上層部たちは、あっ、という声にならない声をあげた表情でかたまった。それから社長は会議室にいる人間一人一人に「なんで二世はダメなのかな」と詰めていった。「社長は特別です」「例外です」という哀れな老人たちを「その特別な理由を聞かせてください」「例外という答えは答えになっていませんね」と追い詰める社長。詰められた人たちの心電図がフラットになっていくようだった。社長はプロの殺し屋だ。

いよいよ僕の番。答えを間違えたら最悪、失脚。フラットライナーズの仲間入りだ。咄嗟の機転で「メジャーリーグのグリフィーはお父さんも良い選手でしたが、息子さんの方がメジャー史に残る名選手ですよね」と言った。社長は満足したようにうなずいた。ありがとうメジャーリーグ。僕の次に詰められた経理部長は僕が野球で乗り切ったのを真似して、長嶋茂雄・一茂親子を持ち出した。カズシゲはアウトだろう、怒声が来ると思って身構えていたら、社長は「一茂は売れっ子だからね」と許していた。社長の怒りポイントがわからない。

ここまで読んでお気づきだろうか。僕は、会話を誘導することによって、自らの力を使わずに対抗勢力にダメージを与えている。すなわち僕はプロの工作員。こんなクソみたいなデスゲームに勝ち残りながら、僕は会社員人生をなんとか生きている。会議の終りには、専務も心電図フラットから生き返って「次回の会議ですが」と各自の日程を調整していた。さすが自称・プロ経営者。なかなかしぶとい。みんな必死に生きている。(所要時間25分)エッセイ集を出しました。よろしく。→

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上野、パンダ、それからロックンロール。

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三連休の初日に大学時代の友人Aと後輩Bに会った。三人で会うのは2004年以来になる。物理的距離的体力的な問題の同時多発的な発生により、ずっと会うことが出来なかった。友人Aが2010年の冬に体調を崩してどうにもならなくなり東京から故郷の青森に帰省し、新聞社に勤めていた後輩Bはすでに九州へ異動していたため、三人で会うにも会えなかったのだ。おっさん三人には若いカップルのような遠距離を埋めるほどの愛の力はなかった。昨年、後輩Bが長年の激務が祟って体調を崩して仕事を辞め、地元の栃木に帰ってきた。そして、10数年かけて生活の安定した友人Aが青森から夜行バスで上京することになり、後輩Bも合流して上野で会うことになったのである。

上野恩賜公園のカエル噴水で待ち合わせした友人Aは元気そうだった。16年経って僕らは52歳のおじさんになっていた。青森へ帰るとき、死人みたいな青白い顔をしていたので、顔をあわせるなり「お前…」と絶句するような展開を覚悟していたので、「よう」と軽い感じで声をかけられて力が抜けてしまった。遅れて合流した後輩Bも顔色は悪くなかった。仕事を辞めて体調が回復しているのだろう。唯一働き続けている僕だけがストレスで頭髪が白くなり老人みたいだった。

居酒屋に入り、生ビールで乾杯をしたら、所属していた研究会の地下組織のアジトのような部屋で、煙草を吸いながら三人でアホな話をしていた日々が昨日のことのように蘇った。美しいエピソードはひとつもない。映画とか小説とかアニメとかロックとか女の子とか風俗とか割のいいアルバイトとか単位の取りやすい講義とかそういうどうでもいい話ばかりしていた。ときどき照れ臭かったけれど自分たちの才能に見合わない夢について語ったりもした。若い僕らには恐れはなく、失うものもなかった。90年代半ばで暗い時代が始まりかけていたけれど、なんとかなるという根拠のない楽観がいつも前にある闇を明るく照らしていた。僕らは失うものがなかったのではなく、何を失うのかわかっていなかったのだ。

50代になった僕らの飲み会は予想外に、「あの頃は」「昔は」「あいつは今」みたいに、2020年代2010年代2000年代の壁をアルコールの力で乗り越える、センチメンタルな確認作業にはならなかった。ひたすら今の話をした。あとはせいぜい近未来の話。僕らはずっと会っていなかったけれども、お互いの不在の時間を埋めるような答え合わせを必要としなかった。だから簡単な経緯報告を終えると「まあ大変だったよな。お互いに」と生ビールの乾杯で「昔」を終わらせた。思い通りにはいかなかった、完璧からは遠い人生。若い頃、自分で自分に期待したレベルには及ばなかった才能。体調不良や病、努力ではどうにもならないこともたくさんあった。僕らは、そういうものをいちいち取り上げて嘆くようなダサい大人にはなりたくなかった。だからひたすら「今」と「近未来」の話をした。今、俺はこんなことをしている、明日はあんなことをしたい、みたいに。友人Aは「手帳持ちになってしまったけれど悪いことばかりではない」と今の仕事について語った。東京時代よりも津軽訛りが強くなって三割くらいは識別が難しかった。後輩Bは、仕事を辞めて体を休めたら改善されてきたのでそろそろ動くつもりだ、と言った。僕は、体が壊れても前へ進む二人の前で早期退職とは言い出せず、なんとか定年まで頑張ってみるつもりだと言った。

僕らは長い時間をかけて少しずつ失うものをなくしていた。夢や希望や目標は叶わなかったかもしれない。思ったよりずっと低空飛行だったかもしれない。でも、大学を出て約三十年生きてきた。その時間は他人から見ても、自分が思うよりも、しょぼくて情けないものかもしれないけれど、それだけで価値と意味のあることなのだ。友人は「未来は見るのをやめた」とも言った。僕はそれを正しいと思う。今を積み重ねていけばいい。僕らは未来がクソみたいになりうることを、身をもって知っている。僕らがこの手でつかめるのは今だけだ。クソみたいな未来にならないようにクソみたいな今を足掻く。それだけだ。もう若くもない。才能も体力もない。全員、体がボロボロでひとりは手帳持ちで、ひとりは休職中で、ひとりは中小企業の中間管理職だ。だからなんだって言うのだ。僕らにはもう失うものはないのだ。何だってできる。高いところを飛ぶより低空飛行のほうが面白いだろう。最高だ。

「とにかく生き残ろう」と誓って僕らは別れた。じゃあな、と言って。軽く手をあげて。まるで三十年前に大学のキャンパスで「また明日な」と言って別れたときのようなあっさりとした別れだ。僕らには明日がある。ありふれた明日だ。最高の気分だった。だって、友達を再発見できたのだから。友人Aが土産といってパンダのぬいぐるみをくれた。「パンダは去ったが俺たちの魂は上野に永遠にあり続ける」みたいな熱いメッセージが込められているのだろうか。いや、おそらく何の意図もないのだろう。僕はこのパンダのぬいぐるみに「最後まで生き残る。絶対にくたばりはしない」と誓った。かたく誓ったんだ。(所要時間28分)最新エッセイ本になります→

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