
4727号
2月3日(月)夜
さて。
今日は、両国の[ももんじや]。
もちろん、猪鍋の。
なにか、毎年、この寒い時期の決まりになっている。
場所は、両国橋を東に渡って、すぐ右の
京葉道路沿い。
今は両国一丁目。
今、両国というと駅もあり、両国橋の東、墨田区側だが、
以前は、ただ両国といえば、以前は橋の西、浅草橋側を
言った。
東、本所側を言いう場合には、わざわざ東を付けて、
東両国あるいは向(むこう)両国と呼んでいた。
江戸の頃から、東側も西側も橋の袂は広場(広小路、
火避け地)になっており、小屋掛けの芝居や、見世物、
屋台店などあり、これらは、いつなん時でも取り払える
ように仮設。
ただ、その背後の町には、どちらも常設の茶店、料亭、寄席
などもある一大盛り場であった。三遊亭圓生師が語って
いたが、東と西で小屋掛けのものでも違いがあった
ようで、西は、将軍様が通るので、因果ものといった
ような怪しいものはいけなかった、と。
江戸の地図。
[ももんじや]は享保3年(1718年)の創業といい、
なんと吉宗の頃。今に残る東京の飲食店としては、
指折りの歴史である。
東両国の橋の袂の昔の町名は尾上町。
今とは、橋の掛かっている位置も若干違っており、
また、区画も違っている。
[ももんじや]のあったと思われるところに★を付けたが、
こんな感じであったよう。
さて、こんな浮世絵がある。
今も、この店のマッチ箱に使われているものである。
江戸名所 東両国とよだ屋 廣重画
雪の両国橋。山くじらの大きな看板。
山くじらは山の鯨。
一応、江戸期には、獣食はタブーであったので、
猪肉は山の鯨です、とエクスキューズをしていた
のである。(まあ、鯨も哺乳類ではあるが、当時は、鯨は
一般には魚であったわけである。おもしろいものである。)
オリジナルは上方ねたのようだが落語に「二番煎じ」という
噺がある。武士も出てくるがあれも猪肉の鍋を食べている。
実は、こんなのもある。
ちょっと、似ている。
名所江戸百景 びくにはし雪中 廣重画
同じ雪景色で、山くじらの看板はまったく同じ構図。
橋の向きが少し違う。
山くじらを出す店は、江戸市中でもいくつも
あったことがわかる。
実は、これ、こちらがオリジナルというのか、公に
安政5年(1858年)に発売されたご存知の廣重の名所
江戸百景の一枚なのである。
で、両国橋の方は、おそらく後にこの店が、宣伝のために
頼んで描いてもらったものではないか、と。
こういう例は他にもあるよう。
廣重も初代がいわゆる有名な廣重だが、その後
江戸期でも名前を継いだ廣重が複数いるし、ひょっとすると
初代の自信の仕事かもしれぬ。まあ、そんなこともあった
であろうことは十分に想像できよう。
むろんのこと、両国橋のものも浮世絵として、また、
史料としても、価値のあるものである。
18時の予約。
この店の、京葉道路側。
いつもある。
今ははく製だが、以前はほんものであったろう。
はく製でも、ちょいと、こわい。
金の猪。
入って、名乗る。
お二階へ。
ここも少し前に代替わりをしたよう。
二階へ上がると、今までは座敷しかなかったが、
テーブル席ができている。
そちらへ。
内儀(かみ)さんは座敷がよかったという。
私は、まあどちらでもよい、か。
ここの座敷は、一応、襖のある個室だが、お膳は
二つあり、中で入れ込み。
テーブル席に鍋とザク。
鉄鍋につゆと味噌が張られている。
味噌は、やはり黒い甘い、江戸甘系のようだが、
実際にはもっと甘いし、他の味噌なり、なにか
様々加えているのであろう。
猪鍋のコース6,600円也を予約時に頼んである。
寒いが、やはり、ビール。
ここはスーパードライ。なぜか大瓶。

お通しは、猪肉モツの煮込み。
白っぽい味噌味でやっぱり甘めで、うまい。
いつももっと食べたくなる。
つづく
墨田区両国1-10-2
03-3631-5596
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