先週土曜日(3月14日)
末っ子と二人で実家に帰省したら、母(88歳)が立てなくなっていた。
朝の5時にゴミを出しに外に出て、道端で転んだのだという。
同居している父(94歳)は、目が覚めて、家の中に母がいないのに気づき、玄関先で倒れている母を発見。
母は、ゴミ捨て場からの30メートルほどを、何十分もかけて、玄関前まで這い戻ったらしい。😭
足腰の悪い父が、なんとか頑張って家に引っ張り上げたものの、母は自力で立ち上がれる状態ではなかったため、2階の寝室ではなく、玄関そばにある居間のコタツまで、引きずるようにして連れて入ったという。
末っ子と私が実家に到着した時、母は、大鍋いっぱいに炊いた赤飯をコタツの上に据え、せっせとかき混ぜていた。
私たちが帰省する時、母は必ず赤飯を大量に炊いてくれる。転んで台所に立てないので、普段は全く料理をしない父に指令を出して、赤飯を炊かせ、魚を焼かせ、惣菜なども作らせていたのだとか。
座って赤飯を混ぜている母は、口は猛烈に元気だったけど、顔色が紙のように白かった。これまでの人生で、ここまで顔色の悪い人を私は見たことがない。転んだだけで、こんなに白くなるものかと思いながら、身体の痛みの様子を聞いてみたけど、
「ただの打ち身だから、動くと痛いけど、座ってれば、どうってことないの!」
と、元気に言い張る。外科で診てもらったほうがいいと言っても、「湿布貼ってるから大丈夫!」という。
それならば湿布の在庫はあるのかと確認すると、ほとんどないというので、近所のドラッグストアまで買いに出ることにしたのだけど…
両親の住む家は、私が実家を離れてから建てたものなので、私は住んだことがなく、周辺の土地勘もない。
Googleマップで位置を確認して向かったら、ドラッグストアの看板は見えてきたのに、入り口と反対側の道に出てしまった。店の周囲をぐるりと迂回するのが面倒で、隣の店の駐車場を横切ってショートカットをしたのだけど、隣の店の敷地とドラッグストア入り口へ続く道との間に、30センチ弱ほどの段差があった。
その段差を、階段を降りるようなつもりで降りたのが、まずかった。
片足が下についた時に、落下の勢いがついていたらしく、体を支えきれず、見事にコケた。
メガネが吹っ飛び、両膝をそこそこ強打。
咄嗟に地面についた左手のおかげで、頭などを打つことはなかったものの、左手中指を猛烈に突き指した。
数分、動けなかったものの、足回りの痛みはそれほどでもなく、捻挫もしていなかったので、なんとかドラッグストアまで行って、痛みどめ効果のある湿布などを、どっさり買い込んで帰宅した。
打ち身程度であれば、泣くほど痛くても(正直泣きそうだった)、私のように立ち上がって歩いて帰れるのだ。
転んだまま立ち上がれず、30分も這っていたという母は、本当に打ち身程度なんだろうかと思ったけれども、本人に病院に行ってもらわなければ、どうにもならない。けれども母は病院は必要ないと言って、ゆずらない。
なにはともあれと、買ってきた湿布を母に貼る作業を開始。
痛むのは、左太もも上部の裏側だという。湿布を貼るためには、ズボンを脱いで、うつ伏せか横向きに寝てもらう必要があるのだけど、母は上半身を少し動かすだけでも激痛が走るようで、支えながら、少しづつ体を倒して、なんとか横になってもらった。
湿布を貼るために、少し触っただけでも、痛みがひどい様子だった。当分トイレに立つのは無理だと、母も分かっていたようで、紙オムツを装着していた。なんでオムツがあるのかと思ったら、前に父が入院した時に買ったものだったという。それって確か、10年以上は前だったのではと思ったけど、オムツに賞味期限はないだろうから気にしないことにした。
打ち身にしては、やはり痛がり方が酷すぎる。
もしかしたら、骨折しているのではないかと思って、外科で診てもらったらと言っても、やっぱり病院には行かない、必要ないという。土曜の午後だから診察をやっていないだろう、タクシーに乗るにしても起き上がれないから無理、貼ってもらった湿布のおかげで少し痛みが引いてきた…と、病院に行かない理由ばかり積み上がる。
それなら救急車を呼ぼうと言ってみても、とんでもない、いらないと元気いっぱい断られる。😭
(この時に強引にでも救急車を呼んでいればと、翌日深く後悔することになる…)
湿布のために横になって以降、母は座ることも出来なくなった。夕食の時間になっても食欲がなく、末っ子が切って用意したいちごを数個食べただけで、もう入らないという。水分不足が心配なので、お茶や豆乳を少しずつ飲んでもらった。
母の容赦ない指示で家事をしてくれていた父は、だいぶ疲弊していたはずなのに、なにかというと甲斐甲斐しく立ち働いてしまい、なかなかゆっくり休んでくれない。
末っ子と私は一泊だけして、日曜午後には帰る予定だったけど、このままでは母(88歳)の介助に奔走する父(94歳)が先に倒れる未来が、嫌でも見えた。
3月15日(月曜日)
朝起きて、母の様子を見に行くと、顔色に生気というものが全くなくなっていた。痛みのせいで全く眠れず、38度を超える熱も出たという。
どう考えてもまずいと思ったけど、母はそれでも「湿布貼って、家で治す」という。
父も心配そうにはしているものの、母が元気に喋れているためか、緊急を要する状況とは思えないらしく、病院行きを推してくれない。母がしばらく寝込んでも、自分が世話するから心配ないと言うばかりだ。
ここに至って末っ子と私は覚悟を決め、帰宅を延期し、母の救急搬送に向けて動くことにした。
まず、年中無休の救急電話相談窓口に連絡して、母の状態を伝えたところ、「救急車を呼ぶべき状態です」と断言された。
それを両親に伝え、問答無用で119番に電話。娘の私だと止められるかもしれないので、孫(最強)の末っ子にかけてもらった。
数分で救急車が家の前に到着。
救急隊員さんが、丁寧に母や私たちに聞き取り調査をして、足の状態を確認した上で、
「おそらく折れてますので、救急対応の病院を探しますが、ご希望はありますか?」
と聞かれた。他県在住の私が通いやすいように、新幹線の駅の近くの病院を考えようかとも言われたけれど、この時点で実家での長期滞在を覚悟していたので、実家近くの病院にしてもらった。
ほどなく搬送先が決まり、母は居間で担架に乗せられ、救急車へと運ばれて行った。
母の着替えや処方薬、マイナンバーカードなどの諸々を抱えて、私も同乗。
生まれて初めて乗った救急車は、乗り心地は大変良かったけれど、握った手が異様に冷たい母のバイタル表示が気になって、あまり生きた心地はしなかった。
午前9時過ぎに病院に到着。
私は救急外来の待合室に行って、看護師さんに声をかけられるまで待つように言われた。母は別の入り口から運び込まれていった。
一時間ほど待ったところで、診察室に呼ばれ、医師から説明を聞いた。
大腿部頸部骨折。
かなりの量の内出血。
高血圧。
酷い貧血状態。
CTの映像を見せてもらった。折れたというより、も、大腿骨の先端の一部分が、三角形に欠けて無くなっているように見えた。
母、どれほど痛かったことだろう。
座って赤飯などかき回している場合ではなかった。絶対に。
骨折については、金属を入れる手術をすれば、立てるようにはなるけれど、これまでのように歩行できるようになるには、長いリハビリが必要であるという。
手術の日取りは未定。
手術の前に貧血の治療が必要になる可能性もあるけれど、そのあたりを判断できる外科医が日曜日で出勤していないため、今はなんともいえないという。
で、手術前の入院期間が長期になりそうであれば、転院してもらうことになると言われた。
救急対応の病院なので、手術が速やかに済んだ場合でも、今月中には転院になるとのこと。
そんなことを今言われてもどうすりゃいいんだああああっ😱と、心でムンクになっていたのが顔に出たのか、転院については、病院のソーシャルワーカーさんが相談に乗ってくれると言われたので、叫ばずに済んだ。
説明はさらに続いた。
母の状況によっては寝たきりになる可能性もあり、そうでなくても、年齢的に、いつ何があるかは分からないので、それは覚悟しておいてほしいと。
さらに、骨粗鬆症で骨が脆くなっていた場合、そちらの治療も必要になるし、手術で入れた金属を付け替えるような処置も必要になるかもしれない…という話もあった気がする。
怒涛の説明が終わり、待合室に戻って座っていると、看護師さんが入院案内のパンフレットを持ってきて、今後のことを一通り説明してくれた。入院中の母の着替えなどはすべてレンタル、オムツなども必要な分だけ購入手配してくれるとのことだった。
レンタル申し込み書や、いろいろな同意書など、何枚もの書類にサインをしてから、さらに待っていたら、お腹が空いているような気がした。起きてから飲まず食わずだったことも思い出し、入院案内のパンフで院内地図を見たら、ローソンが入っていると書いてあったので、おにぎりとトマトジュースを買って食べた。
その後、またしばらく待った。
退屈だけど、さすがの私でも本を読むような気分でもないので、入院案内パンフを精読していたら、見舞いの人は不織布のマスク着用のこと、ウレタンマスクや布マスクは不可と書いてあった。
慌ててローソンに戻ってマスクを買い、待合室に戻ろうとしたところで、看護師さんにつかまった。母の病室が決まったのを知らせるために、私を探しまわってていたらしい。申し訳ないことをした。😭
母は、点滴をして痛み止めを処方してもらったためか、顔に赤みがさしていた。ほっとした。
ここから先の出来事の時系列が、すでに怪しくなっている。あまりにもいろんなことがありすぎて、前後関係が分からなくなっているのだ。
これ以上分からなくならないように、覚えていることを順不同で書いていく。
病棟での面会は15分以内とパンフレットにあったけど、入院初日ということで、おまけしてもらって、母とゆっくり話した。
3月16日(月曜日)
LINEで従兄弟と話していた内容を再読したところ、この日の午前中に、私は地域包括センターに電話したようだ。
生活支援コーディネーターの方に両親の現状を伝えて、要介護認定申請をお願いしたところ、母の申請については入院先の主治医との間で進めてくれるとのことだった。父の申請については、コーディネーターの方が実家に足を運んでくれることになった。
認定が出るのは、4月下旬くらいになるという。
母は病院でお世話になっているから心配ないけれど、私が帰ってしまえば、父が実家で一人になる。
家事のほとんどを母がやっていたから、父一人では食事もきちんと取れない可能性がある。
福祉の支援を受けられるようになるまで、私が実家に居られればいいのだけども、私の家には要介護4の息子(28歳・重度自閉症)がいる。いまは亭主が春休みで家にいるから問題ないけど、仕事が始まると人手が足りない。
コーディネーターの方に、一人になってしまう父の食事について相談したところ、介護認定前でも使えるケータリング兼見守りサービスを紹介してもらえることになった。父はそんなものは不要だと言い張るけれども、独断で申し込んでしまうこことにした。
お昼頃だったか、母の担当の看護師さんから電話が来た。
急遽、本日最後の手術枠が空いたので、病院に来てほしいとのこと。昼食後、タクシーを呼んで、病院に向かった。
午後2時過ぎ、外科の病棟に行くと、看護師さんが出迎えてくれた。母は大部屋から個室に移動していた。輸血を受けたからか、顔色がすっかり良くなっていて、握った手もあたたかだった。
医師の説明を聞くように言われ、小部屋に案内された。すぐに外科の先生が来て、パソコンで母のCTの映像を出して見せながら、妙に圧の強い声で、怒涛の説明を展開した。
骨折の状態と、手術後のリハビリについては、救急外来で聞いた説明とほぼ同じだったように思う。
骨折による内出血がひどかったせいで、とにかく貧血が重いので、輸血で対応するために、術中と術後の血液の手配をしていると言われた。
………
もしも、転んだ日のうちに強引にでも救急車に乗せていたら、貧血の重症化だけでも免れたかもしれないし、痛みで一晩寝られないような思いをさせることもなかった。打ちどころがもっと悪ければ、最悪の事態だってあり得たと思う。
老人の転倒は、絶対に甘く考えてはいけない。
たとえ本人が「たいしたことない、大丈夫」とか「家で治す」とか、強硬に言い張っていても、とにかく病院に運ぶべし。歩けなければ問答無用速攻で、救急車を呼ぶべし。逡巡、ダメ、絶対!
両親が生きている限り、このことを肝に銘じることに決めた。
………
私が後悔をガンガンと肝に銘じている間も、医師の怒涛の説明は強圧モードで続いていた。
手術で切ったところはテープでしっかり押さえて、傷口が開かないように管理するという話もあって、今時は縫わないだなあと思ったことも覚えている。
大腿骨骨折の話が一通り済んだあと、おまけのように言われたことで、思考が止まった。
「全身を撮るから色々分かっちゃうんですけど、肺に二か所、それなりに大きな影がありますねえ。あと、胆嚢と腎臓に、結構大きい石がありそうで」
肺にそれなりの大きな影っていうのは、いわるゆ癌ってやつなのでは。
胆嚢や腎臓の石が結構大きかったら、いずれ遠からず、激痛のフェーズが来るんじゃないの……
母。
マジでほんとに、赤飯混ぜてる場合じゃなかったよ…
それらの病気については、外科では判断できないので、他の科に相談してほしいと言われた。先々のことを思うと頭痛がしたけど、いまは大腿骨問題が最優先なのは間違いないので、棚上げすることにした。
説明が終わり、母の病室に戻ると、看護師さんから手術についてのお話があった。本日最後の枠なので、前の手術との兼ね合いで、開始が夜になるかもしれないけど、どうしますかと言われたので、病院内で待ちますと伝えた。
ところが何分もたたないうちに、看護師さんがカッ飛んできて、「これからすぐ手術室に入ります!」と言って、バタバタと準備が始まった。
「私は頑張らない!」という母を「頑張らないように頑張って戻ってきて!」と見送ったあと、終わるまでどこで待てばいいかと看護師さんに聞いたら、院内のローソン前のベンチを推薦してもらったので、そこで軽食など取りながら待つことにした。
ローソンのヴィジソワースは、怒涛の状況に疲弊していた胃と心に、優しく沁みた。
母の手術は二時間ほどで終わったようだ。
ローソン前のベンチで呆然としていると、看護師さんがわざわざ迎えにきてくれた。もしかすると、館内放送で呼びだされたかもしれないれけど、全く聞こえていなかった。
外科の病棟に上がると、執刀してくれた医師からの説明があった。手術前に怒涛の説明をしてくれたのと同じ先生だったけど、別人のように圧が抜けて、ふわふわと頼りなさげな声色だったので、まさか手術に不具合でもあったのかと不安になったけれども、そんなことはなく、すっかりうまくいったらしい。外科のことは何も分からないけれど、手術が激務であることは間違いないから、きっと燃え尽きて消耗した状態だったのだろう。
説明を聞き終えて、母の病室に行った。母はまだ麻酔から覚めていなかったので、部屋に来てくれていた看護師さんとお話をしていたのだけど、何を話したのか全く覚えていない。私もだいぶ疲れていたのかもしれない。
しばらくして、母が目を覚ましたので、少しだけ話をした。痛みは遠くれる離れたところに去った感じがして、寒さや冷たさも感じないという。顔色はとても良かった。
タクシーで実家に戻ると、末っ子が晩ご飯を用意してくれていたので、父と3人で食べた。
あまりにも長くなったので、とりあえずここで切る。