
大伴坂上郎女、親族と宴せる歌一首
斯くしつつ遊び飲みこそ草木すら春はもえつつ秋は散りゆく
(かくしつつ あそびのみこそ くさきすら はるはもえつつ あきはちりゆく)
万葉集 巻6 995
【普通の意訳】
こんなふうに、飲んで遊びましょうよ。草木だって、春には元気いっぱい芽吹いて、秋には散っていくんですから、生きているうちに楽しまなくちゃ。
【語釈】
- こそ……終助詞。動詞の連用形について、 「〜してほしい」という願望をあらわす。
- 萌ゆ……草木の芽がでる。
大伴坂上郎女(おおとものさかのうえのいらつめ)は、万葉集における収録歌数が86首と、女性では最も多く、「額田王以降、最大の女性歌人」と(Wikipediaで)言われている。
「最大の」という評価は、歌の収録数に由来するのかもしれないけれど、その歌から読み取れる彼女の人柄や人生にも、奥深い魅力がある。
十代で、天武天皇の息子である穂積皇子に嫁いで、深く寵愛されたけれど、二年ほどで死別。
その後、藤原不比等の四男である麻呂の妻にになったけれども、なぜか数年で離縁したらしく、二十代後半で異母兄の大伴宿奈麻呂と再婚し、娘を二人産んだ。
けれど大伴宿奈麻呂も、結婚三年目くらいに早死にしてしまう。
つくづく、結婚運のない女性である。(´・ω・`)
大伴坂上郎女が三人目の夫に先立たれたのと同じころ、異母兄であり、大伴氏の氏長だった大伴旅人(665〜731)も、太宰府の赴任中に妻を亡くしている。
三十歳前後で二度目の寡婦となった大伴坂上郎女は、太宰府で男寡となっていた旅人の元へ行き、同居して、旅人の息子たち(家持と書持)を育てたと言われている。
大伴坂上郎女と旅人は異母兄妹同士だけれど、三十歳ほどの年齢差があったようだ。
太宰府での同居の際に、旅人と彼女が夫婦としての関係を持ったかどうかは分からない。特に根拠はないけれど、なんとなく、男女関係ではなかったように思う。
大伴坂上郎女が、唯一死に別れていない夫である藤原麻呂と離婚した理由は不明。
万葉集には、大伴坂上郎女と藤原麻呂との相聞歌が掲載されている。
よくわたる人は年にもありとふをいつの間ぞもわが恋ひにける
万葉集 巻4 523
【意訳】
我慢強い人は、一年も愛しい人に会わずにいるというが、お前と最後にあったのはいつだったろうか。俺はもう、辛抱たまらん!
佐保河の小石ふみ渡りぬばたまの黒馬の来る夜は年にもあらぬか
万葉集 巻4 525
来むといふも来ぬ時あるを来じといふを来むとは待たじ来じといふものを
万葉集 巻4 527
佐保河の岸のつかさの柴な刈りそね在りつつも春し来らば立ち隠るがね
万葉集 巻4 529
【意訳】
あなたの乗った黒馬が、佐保川の小石を踏み渡って、私のところに来てくれる夜が、一年に一度でもあればいいのに。(525)
あなたという人は、「行くよ」と言っても来ない時があるんですから、わざわざ「行かない」と知らせてくるなら、来るかもしれないなんて思って待ったりしませんからね。(527)
佐保川の岸の小高くなったところの柴を、刈らずにおいてくださいな。春が来たら、そこで隠れてあなたに会うために。(529)
(_ _).。o○
とんでもない遠距離恋愛というわけでもなさそうなのに、思い合っている二人が年に一度も会えないというのは、一体どういうことなのか。
しかもこの二人、人目を忍んで隠れて会わなくてはならなかったらしい。
二人が付き合っていた頃、藤原不比等が亡くなり、その息子である麻呂たち四兄弟は大出世する。特に麻呂は、従五位下から従四位上へと、一気に五階級も昇進し、左右京太夫に任命された。
麻呂は単に仕事が忙しくて、会いにいけなかったのか。
それとも、もう少し別の事情があったのか。
大伴坂上郎女が、三人目の夫と結婚したのは、聖武天皇が即位した724年頃だったらしいので、藤原麻呂とは、その前に別れていたことになる。
聖武天皇は、実母も妻も藤原不比等の娘である。つまり、藤原麻呂たち四兄弟にとって、聖武天皇は、甥であり、義兄弟でもあるわけで、四兄弟は強力な出世コースに乗っかっていたことになる。
一方で、老境の大伴旅人が太宰府に赴任させられていた背景に、藤原四兄弟による長屋王排除の陰謀があり、その妨げになりそうな旅人は左遷されていた、という見方があるという。
旅人の太宰府赴任中に、長屋王は国家転覆を企んでいると密告されて、屋敷を軍勢に取り囲まれて、厳しく糾弾され、自殺に追い込まれてしまう。
蛇足になるけれども、長屋王は、前回の記事で取り上げた高市皇子の息子。
父の高市皇子は粛清されずに生き延びたのに、息子の代で粛清を食らってしまったのだった。
話を戻すと、藤原麻呂は大伴坂上郎女に求婚はしたものの、政権掌握を狙う藤原四兄弟のシンパとは言えない大伴氏の女のために、わざわざ時間を割いて人目を忍んでまで会いに行く気にはなれなかった、ということなのかもしれない。
そして、いつ来るか分からない男を待つのに嫌気がさした大伴坂上郎女は、麻呂との関係をきっぱり精算し、近くにいていつでも会える異母兄(大友宿奈麻呂)を再婚相手に選び、子どもを成した、のかもしれない。
けれども、その結婚も早すぎる夫の死によって、あっけなく終わってしまう。
まだ幼い娘二人を抱えていたはずの大伴坂上郎女が、太宰府の異母兄(旅人)の元に飛んで行って、育児の手伝いをしようと思ったのは、悲しい結婚生活の思い出が降り積もった都から離れたかったからかもしれない。
【だいぶ怪しい意訳】
恋多き女なんて言われてた私だけど、恋なんて、好きじゃなかった。
燃え上がる恋なんて、早々と火が消えちゃったら、何にも残らないじゃない。
私はね、家族が好きなの。
兄弟姉妹、甥に姪。孫はまだいないけど、きっとそのうちたくさん増えて、びっくりするほど、あったかくて、賑やかになるはず。
夫なんて、もういらない。
だって夫は、家族じゃないもの。
あれは、よそから通ってくる他人。
勝手に来なくなっちゃったり、さっさと死んでいなくなったり。ほんと、寒い存在よね。
もちろん家族だって、永遠に一緒にいられるわけじゃない。草木みたいに芽生えて生い茂る季節のあとには、枯れて散っていく時がくるって、分かってる。
だから、いまの団欒を、かけがえのないこの賑やかさを、心ゆくまで楽しみたいのよ。
さあ、今夜は一族みんなで飲み明かすわよ!
