
やまぶきの立ちよそひたる山清水汲みに行かめど道の知らなく
万葉集 巻1 158
【語釈】
- やまぶき……バラ科の落葉低木。春に黄色い花を咲かせる。
- よそひ……装う。飾り整える。
- 山の中で湧き出る、清らかで冷たい水。
【普通の意訳】
山吹の花に美しく飾り整えられた山清水を汲みに行きたいと思うけれども、そこへ行く道が分からない。
亡くなった十市皇女を悼んで詠まれた歌だと、詞書にある。
歌の作者である高市皇子は、十市皇女の異母兄にあたるのだけれども、彼女の死を悼む歌があまりにも痛切であるために、恋愛関係、もしくは事実上の夫婦関係にあったのではないかとか、皇子が片思いをしていたのではないかという説がある。真実は分からないけれども、歌に込められたどうしようもない喪失感は、1300年の歳月を超えて、確かに伝わってくる。
十市皇女は、天武天皇と額田王の娘で、天智天皇の息子である大友皇子の正妃だった。
壬申の乱(673年)で、天武天皇が大友皇子を倒したあとは、父である天武のところに身を寄せていたらしいけれど、いろいろな意味で微妙な立場であったことは想像に難くない。
三十歳前後で、突然に発症した病気によって、その日のうちに亡くなったとされているけれども(678年)、不審死であるために、自殺説や暗殺説もあるのだとか。(Wikipediaの「十市皇女」の記事による)
自殺であるとすれば、その原因は、置かれていた立場の苦しさから逃れるためかと思われるけれども、彼女は天武天皇に愛される額田王の娘であるのだから、父に守られていなかったはずはない。
けれども、彼女が父の天武に守られれば守られるほど、その存在を疎ましく感じるような、高位の人物がいたとしたなら、どうだろうか。
高市皇子は天武天皇の長男であり、壬申の乱では父を助けるために大いに活躍したという。母の身分が低いためか、皇太子にはならなかったものの、天武の息子の中での地位は、草壁皇子と大津皇子(どちらの母も天智天皇の皇女)に次ぐ第三位だった。
そんな高市皇子が、天武の愛娘だったであろう十市皇女と結ばれて、子を成したなら、自分の生んだ息子の立場が危ういんじゃなかろうかと、考えそうな人物がいなかっただろうか。
天武天皇の皇后であり、皇太子となった草壁皇子の実母である持統天皇にとって、夫の政敵だった大友皇子の妃だった十市皇女は、夫の愛人(額田王)の娘ということもあり、長く喉にささったまま抜けない魚の小骨みたいな存在だった可能性がある。大きな脅威ではないけれども、心の平安を地味に乱し続ける、若い女。
父の天武天皇が守っていたとしても、その父の正妃の立場であれば、食事に毒を盛るなども容易だったことだろう、と想像する。
【だいぶ怪しい意訳】
命にかえても守りたかったひとを、守りきることができなかった。
僕の命など、あのおそろしい御方の思惑の前では、塵ほどの重さもないと分かってはいたけれども、それでも何かできることはあるはずと、今日までは信じていた。
皆に誤解されているけれど、彼女に恋をしていたわけではない。
心の奥底で結ばれたいと少しも願わなかったのかと問われれば、否定することはできないけれど、そうすることで彼女を生かし守ることができるならという思いがあっただけだ。
彼女は、ただただ美しかった。
その美しさに、僕は焦がれた。
どうしようもない運命に弄ばれて、死地に追いやられたときでさえ、彼女のありようは静謐で、宿命に殉じる覚悟を持ってそこにいた。
自分の夫を討つために働いた僕と向き合っていても、彼女の目は山清水のように澄んでいて、冷たくて、でも僅かの憐憫を滲ませていた。
おかわいそうな方と、彼女の目は僕に告げていた。
そうかもしれない。僕にはあなたのような覚悟はない。手折られて、踏み躙られて終わろうとも、一瞬の金色の輝きを放って咲き続ける覚悟など。
あなたを失った世で、僕はいじましく、死ぬことを恐れながら、生き続けることになるのだろう。
せめて、苦しんで逝ってしまったあなたのために、おぞましい死の毒を流し去るための清水を汲みに行きたいのだけれども、どこに行けばその水を汲むことができるのか、いまはどうしても分からない。
(_ _).。o○
天武天皇の死の直後、草壁皇子と持統天皇の邪魔になりそうな大津皇子が、謀反の疑いで捕まり、自殺に追い込まれている。(686年)
その後、高市皇子は太政大臣となり、皇族の最高位者として持統天皇の治世を支え続けたけれど、持統よりも早く、696年に薨去。
高市皇子は持統天皇に粛清されることはなかったけれど、息子である長屋王は、藤原四兄弟の陰謀によって、一家ほぼ全員が自殺に追い込まれている。