まえがき
私たちは誰なのか。どこから来たのか。どこへ向かって行くのだろうか。私たちが待ちうけているのは何なのか。何が私たちを待ちうけているのだろうか。
(エルンスト・ブロッホ 「希望の原理」第一巻 まえがき)
「どこへ行くのか何?」という問いかけで真っ先に連想されるのは、「クォ・ヴァディス」というラテン語表現(ヘンリク・シェンキエビチの小説のタイトルでもある)とともに知られている、新約聖書のイエスとペトロの会話だ。
シモン・ペトロがイエスに言った。「主よ、どこへ行かれるのですか。」イエスが答えられた。
「わたしの行く所に、あなたは今ついて来ることはできないが、後でついて来ることになる。」
このやりとりの後、イエスは、ペトロが保身のために自分を裏切ると予言し、その通りになる。
「どこへ行くのか」という問いは、先が見えないことに対する根源的な不安を抱えている印象がある。聖書のなかのペテロは、イエスが弟子の自分たちから離れていくことを恐れていた。その恐怖のために、「後でついてことになる」というイエスの予言をそのまま受け止められず、希望を抱くことができなかったのだろう。
ブロッホの「まえがき」の冒頭の問いが、聖書を意識したものかどうかは分からないけれども、このあとには、「大地はゆらぎ」という、原因不明の現象に対する不安と恐怖について語られている。
多くの人はただ当惑するばかりだ。大地はゆらぎ、人びとは、それがなぜなのか、何のせいなのか、知らない。人びとのこうした状態は不安であり、それがさらにはっきりしたものになれば、恐怖である。
(「希望の原理」第一巻 まえがき)
1755年に起きた「リスボン大地震」は、津波による一万人の死者を含め、6万人を超える犠牲者を出した災害で、「国家が対応と復興に責任を持った最初の近代的災害」と言われているという。
大地震などめったに起こらないヨーロッパでの、この大災害は、ヴォルテールなどの思想家に大きな影響を与えたという。
ヴォルテールは、「カンディード、あるいは楽天主義説」という小説で、主人公の楽天主義者だったカンディードを、これでもかというほど理不尽な境遇に陥れている。リスボン大地震に巻き込まれたカンディードは、異端審問にかけられて、地震を止めるためという理由であやうく処刑されそうになったという。
ブロッホは、「Tuebinger Einleitung in die Philosophie I.」(チュービンゲン哲学入門)という著書で、この「カンディード」について言及しているらしいので、「まえがき」に出てくる大地のゆらぎが、リスボン大地震を意識したものである可能性はある。
なぜブロッホは、「希望の原理」の冒頭に、大地震への恐怖を掲げたのだろう。
1885年生まれのブロッホは、リスボン大地震は経験していないけれど、二度の世界大戦と、1億人以上もの死者を出したとされるスペイン風邪によるパンデミックを経験している。
戦争について、ブロッホは「この世界の遺産」という著作で、ワイマール共和国がナチスを生み出し、ヒトラーを政権につかせた理由について解明しているという。
また、ハンデミックについては、「ナチズム 地獄と神々の黄昏」で、ナチズムやファシズムの台頭を「ペストのような時代」として捉えているという。
想像だけれども、ブロッホにとって、戦争を引き起こすようなイデオロギーや、その比喩としても有効なパンディミックは、思索によるアプローチが可能な理不尽であるけれども、大地震は、人智ではどうにもならない絶対的な理不尽であり、希望の対極として巻頭に掲げるのに相応しいものだったのかもしれない。





