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一月七日の若菜摘み 枕草子と古今和歌集より

 

 

今年は枕草子を読了しようという目標を立てて、じりじりと読み進めているのだけど、このペースではどう考えても年内読了は不可能だし、もう一つの目標である和歌集の読解になかなか手をつけられないので、いっそのこと、 両方を関連づけながら、まとめてやろうと思いついた。

 

というわけで、前回の続きから。

 

七日、 雪間の若菜つみ。青やかにて、例はさしもさる物目近からぬ所に、もてさわぎたるこそをかしけれ。

 

河添房江・津島知明 訳註『新訂 枕草子 上」 (角川ソフィア文庫) 第三段より

 

【語釈】

  • 雪間…雪が溶けているところ。
  • 若菜…春の初めに芽生えたばかりの食用の草。正月七日に羹にして食べる若菜。万病を去り邪気を払うとされていた。
  • 青やかなり…青く鮮やかだ。
  • 例は…普段は、いつもは。
  • さしも…(打ち消しの語を伴って)それほどには、そんなに。
  • 目近し…見慣れている。
  • もてさわぐ…もてはやす。大騒ぎする。

 

【普通の意訳】

一月七日は、雪の間に芽生えている若菜摘み。青くみずみずしいそれを、普段であれば、目に入らないような場所に持ち込んで、もてはやしているのは、ほんとうに面白い。

 

……

 

清少納言は、ギャップのある取り合わせや、普段とは違った特別感のある状況に、感興を覚えることが多い女性のようだ。

 

前回読んだ「正月一日」の記事でも、一年の初めという特別な日に、「めずらしうかすみこめたる」(元日にしては珍しく、濃い霞が立ち込めている)という状況で、普段よりもことさらに美しく着飾った人々によって、晴れがましく年賀の挨拶が行われていることを「ことにをかし」と言っている。元日は、ギャップと特別感がてんこ盛りの一日だったのだ。

 

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「七日」の記事も、恒例行事である「若菜摘み」そのものを「をかし」というのではなく、普段は食材などを持ちこまない場所に、葉物野菜が積み上げられて、皆でその瑞々しさを愛でて大騒ぎするという、非日常的な状況を見て、「をかし」と評している。

 

清少納言が「もてさわぎたるこそおかしけれ」と書いた一月七日の光景が、いつ、どの場所でのものかは分からない。

 

けれども、その光景のなかに定子がいたとすれば、場所の特定はある程度可能かもしれない。

 

中宮定子は入内後、登華殿、もしくは梅壺を与えられていて、996年に懐妊した時には、里邸である二条宮に移っている。

 

996年1月16日、定子の兄の伊周らが花山法皇に矢を射かけるというトンデモ事件を引き起こす。

事が露見して、同年5月、検非違使が二条宮に強制捜査に入ると、里下がりをしていた定子は発作的に髪を切ってしまい、出家したと認識されることとなる。

 

996年12月16日、定子は、脩子内親王を出産する。場所は不明。

 

通常、出家した女性が再び入内するということはあり得ないという。

けれども一条天皇のゴリ押しで、再び召された定子は、職の御曹司(しきのみぞうし)と呼ばれる、内裏の東側にある建物を御所とされた。

 

ところが職の御曹司では通うのに遠すぎるというので、一条天皇が、より近いところに別の建物を用意し、足繁く通ったという。

 

その結果、999年、定子は再び懐妊したけれど、里邸だった二条宮は焼失していたため、平生昌(たいらのなりまさ)の邸宅が、里帰り先となった。

 

999年11月、定子は生昌邸で敦康親王を出産。

1000年12月には、また生昌邸で媄子内親王を出産した翌日、亡くなってしまう。

 

上に書いた中で、定子と清少納言が、揃って一月七日に滞在した可能性がなさそうなのは、平生昌邸だろう。定子の出産時期が十一月月と十二月だったことから考えて、一月にはまだ職の御曹司にいたと考えられる。

 

脩子内親王が生まれた場所は不明だけれど、生まれ月が十二月だから、そこにも一月七日には滞在していないと思われる。

 

となると、

  • 入内後に暮らしていた登華殿もしくは梅壺
  • 兄たちが失脚した後に入った職の御曹司、あるいはその後に移った建物
  • または、焼失前の里邸である二条宮

ということになる。

 

いま私が手元で見ることのできる資料では、上のどれが有力であるかを決める手がかりは見つからない。

 

けれどもここで、一つ思い出されることがある。

 

源氏物語」の主人公、光源氏の母である桐壺の更衣は、天皇の暮らす清涼殿から最も遠い桐壺を当てがわれていたけれど、帝のもとへ上がる通路を他の女御や更衣たちに塞がれたり、汚物を置かれたりという嫌がらせが酷かったために、心配した帝によって、清涼殿の西隣にある後涼殿に移されている。後涼殿には別の更衣が入っていたけれども、その人を追い出して桐壺の更衣を住まわせたという。

 

中宮定子にあてがわれた職の御曹司は、桐壺よりもさらに清涼殿から遠い場所にある。

後涼殿は、清涼殿のすぐお隣。

もしかしたら一条天皇は、定子のために後涼殿に部屋を用意したのではなかろうか。

 

ちなみに、天皇の食事は、後涼殿の御厨子所(みずしどころ)で作られていたという。

 

一月七日、若菜を摘んで後涼殿に戻ってきた女房たちは、すぐに御厨子所に運び入れず、わざわざ中宮様がいらっしゃる部屋に持ち込んでご覧に入れて、皆ではしゃいで盛り上がっていたのでは……

 

そんな妄想を働かせたくなってくる。

 

(_ _).。o○

 

若菜といえば、百人一首光孝天皇の歌が印象深い。

 

仁和の帝、親王におましましける時に、人に若菜賜ひける御歌

 

君がため春の野に出でて若菜つむ我が衣手に雪は降りつつ

 

古今和歌集 巻一 春上 21

 

 

【普通の意訳】

光孝天皇が、まだ親王でいらっしゃった頃に、若菜を人に差し上げるときに詠んだ歌

 

あなたに差し上げるために、春とはいいながら凍てついた野に出かけて、若菜を摘んでいる私の着物の袖に、雪がしんしんと降りかかっている。

 

……

 

百人一首にも入っている有名な歌だけれども、なんだか恩着せがましい内容だと思うのは、私だけだろうか。(´・ω・`)

 

親王からこんなカードを添えた春の七草をもらったら、返礼にものすごく気を使いそうだ。

 

詞書(ことばがき)の「仁和」は、光孝天皇即位後に改元された年号。

 

光孝天皇は、先代の陽成天皇が、自身の乳兄弟が宮中で何者かに撲殺されるという、謎の殺人事件の容疑者として廃位されたあと、母方の従兄弟である藤原基経の強い推しによって、55歳という高齢で即位している。

 

即位する前は、親王が就任することになっている役職のほぼ全てを歴任していたというから、だいぶ苦労人だったのかもしれない。

 

即位後も苦労人らしい気遣いを発揮して、自分の子供全員を臣籍降下させ、自分の子孫に天皇の位を継がせない意向を示したりしている。関白だった藤原基経への忖度だったらしい。

 

仁和三年七月に、仁和地震(東海・東南海・南海連動型地震)が起きて、大阪湾の大津波など、各地に大きな被害をもたらしたという。おそらく京都も大変だったことだろう。

苦労人の光孝天皇は、大地震の翌月、大病にかかり、即位三年目で崩御している。

 

そんなしんどそうな経緯を思うと、少しばかり恩着せがましい歌を詠んでいても、なんだか許せる気がしてくる。

 

(_ _).。o○

 

光孝天皇を推した藤原基経は、藤原道長の祖父の祖父にあたる。

 

基経 →忠平 →師輔 →兼家 →道長

 

基経が摂政になったのは872年。光孝天皇の即位は884年。

道長清少納言たちが宮中で活躍した時代よりも、ざっと110年〜120年ほど前の人ということになる。

 

古今集には、「若菜」を詠んだ歌が八首ほど掲載されているけれど(Kindle本の検索機能で目視確認しただけなので総数が違っているかもしれません)、野に出て若菜を摘む場面か、摘むことのできる日を待ち望む歌など、アウトドア志向のものがほとんどで、「枕草子」のように、雪間で摘み終えて室内に持ち込んだ若菜を愛でてはしゃいでいる場面にスポットライトを当てている歌は見当たらない。

 

そうした清少納言の視点は、古今和歌集などの和歌に詠まれた感興とは一線を画す、斬新なものだったことだろう。

 

………

 

光孝天皇の歌の英訳も見てみる。

 

No.21

Together with a gift of young herbs given by Enperor Kohko when he was still Crown Prince

 

Out in the field of spring I go 

to cull young herbs for you,

but now descends the snow on me

to wet my germents.

 

「THE KOKIN WAKA-SHU 英訳古今和歌集」本田平八郎 訳 北星堂出版

 

【語釈】

  • crown prince 皇太子
  • cull  摘む
  • descend 降る、降りる
  • garments 衣類 衣装

 

【だいぶ怪しい逆翻訳】

 

春の野原に私は行きます。

あなたに差し上げるための、新鮮なハーブを摘みに。

けれどもいま、雪が私めがけて落ちてくるのです。

私の衣装を濡らすために…

あなたの思いが信じきれないから、私はこんなに凍えて、雪のように冷たい涙を落としているのですよ…

 

……

 

英訳をAIイラスト化してもらったら、恐ろしく美麗な光孝天皇(即位前の親王時代)が出来上がった。

 

 

美しいけれど、その花は、食用には適さないような気がする。

 

(_ _).。o○

 

上に書き散らしたことを踏まえつつ、記事の冒頭に引用した「枕草子」の若菜についての文章を意訳してみる。

 

【完全に怪しい意訳】

 

一月七日といえば、毎年恒例の若菜摘みと、摘みたて葉物野菜スープの日。

 

同僚の子たちと駆けずり回って、雪の間に生えてるみずみずしい葉っぱをどっさり摘んで、キッチンじゃなくて、中宮様のいらっしゃるお部屋に持ち込んで、みんなで「お野菜鑑賞会」を開催したのよ。

 

普段は食材なんて持ち込まない場所に、山盛りの葉っぱがあるのがおかしくて、みんなでずっと笑ってた。中宮様は少し困ったようなお顔をしつつも、一緒に笑ってくださったわ。

 

一月七日に摘みたての若菜のスープを食べるという習慣は、中国から伝わった七種菜羹(しちしゅさいこう)に由来するのですって。中国のスープは羊のお肉が入ったりするらしいけど、こちらでは、入れるとすれば魚か鳥のお肉よね。でもお正月疲れで胃腸も弱ったりしてるから、お野菜だけでシンプルにいただきたい気もするわね。

 

なんにせよ、今日のスープは無病息災、健康長寿を願うためのものだから、中宮様がお元気になるように、しっかり作ってもらわなくちゃ。

 

さて、鑑賞会はそろそろお開きにして、お野菜が萎れる前にキッチンに運んで、美味しく調理してもらいましょ。

 

同じ建物の中にキッチンがあるのって、最初はどうかと思ったけど、住んでみるとなかなか便利で、悪くないかも。お料理の様子とかも分かるし、運んでるうちに冷めちゃったりもしないじゃない。お辛いことが重なって、食が細くなっていらっしゃる中宮様のためには、常識なんか無視してでも、いろいろ工夫していかなくちゃね。

 

………

 

AIのCopilotさんに頼んて、若菜のスープを飲む古代の王妃様の絵を描いてもらったら、こうなった・・・

 

「古代日本の」と指定すると、どうしても高島田を結った振袖の女性を描かれてしまうので、もうこれでいいことにする。

 



 




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