「枕草子」の第三段は、一月、三月、四月の出来事について、生き生きとした描写で語られている(二月は抜けている)。
今日読むのは、第三段冒頭の、一日について書かれている部分。短いけれど、解釈の難しい部分がある。
正月一日は、まいて空のけしきもうらうらと、めづらしうかすみこめたるに、世にありとある人は、みなすがたかたち心ことにつくろひ、君をも我をもいはひなどしたる、さまことにをかし。
「枕草子」(岩波古典文学(旧)大系) 第三段より(三巻本系)
他の本と比較してみる。
正月一日は、まいて空の気色うらうらと、珍しく霞こめたるに、世にありとある人は、姿かたち、心ことにつくろひ、君をもわが身をも、祝ひなどしたるさま、ことにをかし。
正月。
一日はまいて。空のけしきもうらうらと、めづらしうかすみこめたるに、世にありとある人はみな、姿かたち心ことにつくろひ、君をもわれをも祝ひなどしたる、さまことにをかし。
文意が激変するほどの違いはないけれど、句読点の位置などが少し違っている。
違いの中で一番気になるのは、冒頭の部分だ。
句点の位置で、何と比較して何が「まいて」(なおさら)なのかが変わってくる。
正月一日は、まいて空のけしき(も)うらうらと…
【意訳】
一月一日は、他の日にもまして、空の様子もうららかで…
正月。
一日はまいて。空のけしきもうらうらと…
【意訳】
一月は素敵。
元日はなおさら素敵。
空の様子もうららかで…
どちらの解釈がしっくりくるかは、判断の難しいところだけど、私は後者のほうを取りたい。
この後、七日、八日、十五日と、順に日付を取り立てて、行事の素敵さについて述べられるので、「素敵なことが続く一月の中でも、元日はなおさら」と、元日を特別に推していると考えるのが、流れとして自然に思える。
【語釈】
- まいて…「まして」と同じ。それにもまして。なおさら。いうまでもなく。
- けしき(気色)…(自然の)様子。(人の)様子、そぶり。
- うらうらと…のどかに。うららかに。
- めづらし…すばらしい。愛すべきだ。見慣れない、いままでに例がない。新鮮だ。清新だ。
- 霞こむ…霞が一面に立ち込める。(マ行下二段活用動詞)
- 心ことなり…並々でない。格別だ。
- つくろふ…手入れする。整えてかざる。
- いは(祝)ふ…幸いを願い祈る。祝福する。
- ことに…特に。とりわけ。
各本の訳や解説を参照しつつ、語の意味を調べているうちに、疑問が一つ生じた。
「めづらしうかすみこめたるに」の「めずらし」という形容詞を、「珍しい」と訳している本が、手元に見当たらないのだ。
だけど、元日の京都に霞が立ち込めるというのは、かなり珍しい気象現象ではないのだろうか。
旧暦の正月一日は、いまの暦だと、1月21日から2月20日頃になるという。
ちなみに、清少納言が定子に仕え始めた 正暦4年の元日は、西暦993年1月26日だった。
そして、定子の父、藤原道隆が亡くなった正暦6年(長徳元年)の元日は、西暦995年2月3日だった(Wikipediaの「正暦」のページより)。
一月下旬から二月上旬の京都に行ったことがないけれど、その隣の兵庫県でなら、年を越したことがある。
はっきりいって、ものすごく寒かった。🥶
晴れていても、「うらうら」どころではなく、キンキンに冷え上がっていた。
平安時代の元日前後が、いまより暖かかったというわけでもないようだ。
旧暦では、立春は12月後半から1月前半までのどこかになる。
二条の后(藤原高子)の春のはじめの御歌
雪のうちに春は来にけり鶯のこほれる涙いまやとくらむ
古今和歌集 春上 4
【怪しい意訳】
まだ雪が残ってるのに、暦の上では立春だっていうんだけど。この寒さだもの、ウグイスだってガチガチに凍ってるでしょ。それとも暦に合わせて解凍されるのかしら。まさかね。
……
春霞というものは、気温が上昇することで、植物の蒸散などで大気中の水蒸気が増えたり、偏西風で黄砂が飛来たりすることによって発生するものだという。
だいたい桜の開花時あたりに春霞が立つので、和歌でも春霞と桜を合わせて詠まれることが多い。
旧暦の元日あたりのクソ寒いであろう京都の植物群が、突如として活発に蒸散を行うとは考えにくい。
例年よりも早めに黄砂が飛んできたのか。
あるいは、たまたま気温が高くなって、地面から水蒸気がいい感じに上がり、靄(もや)がかかった状態になっていたのか。
いずれにせよ、それは元日の気象現象としては「珍しい」ものだったと思うのだ。
【恒例の怪しい意訳】
一月って最高だけど、元日は格別だと思うの。
たとえばこんな元日。
美しく晴れ渡った空。
柔らかであたたかな日差し。
花の季節でもないのに、霞が立ち込めて、遠い景色がぼんやりと紗がかかったようになっているから、まるで特別なステージに連れてこられたみたい。
そんな幻想的な場で、ありとあらゆる人々が、全身全霊で衣装や容姿を美しく整えて集まり、お仕えする主君に、そして自分自身に、幸いあれと祈念する。
その様子が、この上なく素敵。
…
上の意訳をGoogle翻訳で英語にして、AIさん(Designer)にイラスト化してもらったら、こうなった。

意訳では平安時代であることを指定していないので、まあ仕方がないと諦めて、改めて時代や衣装(十二単など)の文言を入力したのだけど…



違う…
そうじゃない…😭
古典文学解釈とAIイラストのコラボ成功までの道のりは、まだまだ、遠く険しいようだ。