葛城の和歌と聞いて私が思い出すのは、大来皇女が、弟である大津皇子の刑死を傷んで詠んだ歌だ。
恋愛感情ではないけれど、一方通行の思慕を葛城連峰の山に向けているという点では、前回の「高間の山の峰の白雲」(新古今集、990)の歌と共通している。
大津皇子の屍を葛城の二上山に移し葬りし時、大来皇女哀傷みて作りませる御歌二首
うつそみの人なる吾や明日よりは二上山を兄弟(いろせ)とわが見む
(うつそみの ひとなるわれや あすよりは ふたがみやまを いろせとわがみむ)
磯の上に生ふるあしびを手折らめど見すべき君がありといはなくに
(いそのうえに おうるあしびを たおらめど みすべききみが ありといわなくに)
万葉集 巻二 165,166
【語釈】
- うつそみ…この世の人。うつせみ。
- いろせ…同母の兄弟。「いろ」は同母の意。
- あしび(馬酔木)…ツツジ科の常緑低木。春、白い壺状の小花が群がり咲く。牛馬などが、その葉を食うと中毒するところから、「馬酔木」の字をあてる。
(小学館「古語大辞典」より)
【二首まとめて多少怪しい意訳】
明日からは、愛する弟を埋めた二上山を、私と同じようにこの世で生きている弟と思って、眺めることにするわ。あの子は死んだんじゃないの。山になっただけなのよ。だから、悲しくなんかない…(165)
二上山になってしまったあなたに見せたくて、岩のそばに生えている馬酔木を折り取ったって、あなたが今もこの世にいるとは、誰も言ってはくれないのね。(166)
…………
切ない。
この歌の解釈については、いくつか自分に宿題を出そうと思う。
まず、山を思い人として擬人化する事例が、他にもあるかどうかの確認。
それから、なぜ牛馬が中毒するという馬酔木の花が、わざわば選ばれているのかということについて。他にも馬酔木を詠んだ歌があるかどうか、調べてみたい。
(_ _).。o○
神田外国語大学による英訳版萬葉集に掲載されている上の二首を、できるだけ英文に即した形で、日本語に戻してみる。
165.
I live and remain
In this hard and lonesome world;
From tomorrow on, Mt. Futagami alone
Being my dearest brother.
- lonesome…寂しい、心細い。人里離れた。
- remain…生き残る、取り残されている。
- from tomorrow on…明日から。
【訳】
この厳しく寂しい世界に、私は取り残されて生きている。
明日からは、二上山だけが私の最愛の弟だ。
……
「うつそみ」という一語の奥深さ、複雑さを訳出するには、「live and remain In this hard and lonesome world」の九語を当てる必要があったようだ。
「いろせ」(同母の兄弟)については、「同母」という要素が正確に英訳されていないのが残念だけれども、短い詩形のなかでそこまで盛り込むことは難しそうではある。
166.
The rhododendrons
Blooming on the rocky spot
With my hand I gather,
But whom shall I present them
Now that the Prince is no more?
【訳】
岩場に咲く馬酔木の花を、私が自分の手で摘み集めても、誰に贈るべきなの? 皇子はもういないのに…
……
こちらでは、「君がありといはなくに」が、「the Prince is no more」と、より直接的な表現に置き換えられている。
「皇子は(この世に)いない」
「あの人が(この世に)いるとは、誰も言ってくれない」
直接的な表現のほうには、叩きつけるような悲痛さを感じる。
逆に、周囲の人々の言動によって不在(死)を間接的に示すことで、喪失から目を逸らすことが許されず、孤独の中で心がゆるやかに冷え固まっていくような、重く静かな悲しみが表現されるように思う。
こうして比較してみると、和歌を他言語に翻訳する難しさが、少しだけれど分かる気がしてくる。
和歌に含まれる文化的な背景や、細やかなニュアンスなどまで訳出しようとすれば、長歌のように長い散文になってしまいそうだ。
それはともかく、英訳と比較することで、新たな視点から和歌を読むことができて楽しいので、頑張って続けてみようと思う。
(_ _).。o○
今回の記事を書くのに活躍してくれた、紙の本様たち。どちらも大変重いので、Kindle本のように寝転がって参照するのは不可能だ。
頑張って座って書こう。(´・ω・`)


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