こんにちは。

なんとなく、過去日記転載強化週間開始。
目標、1日5本以上転載!
というわけで、今日の一本目。
2005年9月23日の育児日記。
子どもたちが日曜日になるとやたら早起きだったのは、なんとなく覚えている。
息子は19年後のいまも早起きだけど、長女さんと末っ子は起きてこない人になった。
フラッシュアニメにハマったことは、よく覚えている。
友人に教えてもらった「ナイトメアシティ」というフラッシュ作品に影響されて、入門書的なホームページを見ながら、長女さんに下絵を描いてもらって、いろいろと作って遊んだ。
親子で過集中を発揮して1日でフラッシュ作成を覚え、作品を作ったので、いまは亡き友人に心底あきれられたことも、懐かしい思い出だ。
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二本目は、2005年6月29日。
長女さんが手足口病を発症して自宅療養になり、退屈を持て余している。
あとから思えば、うつの始まりも「つまらない。やりたいことがない」という訴えから始まったのだけど、それが子どもにありがちな退屈な気分などではなく、意欲の著しい減退であることに、当時の私は気づけなかった。
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三本目。2005年10月25日曜。末っ子の観察日記。ただただ、懐かしい。
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四本目。
末っ子を授かったとき、産婦人科の医師に、出生前診断を受けるかとうかを尋ねられた。
42歳の高齢出産の場合、ダウン症の確率はそれなりに高いという。詳しい数字は忘れたけれども、80人に一人くらいだったと思う。
私はその場で出生前診断をお断りした。
長女が十万人に数人という難病児で、息子が一万人に数人という重度の自閉症。三人目にダウン症児がやってきても、もはや驚かないし、うちはやっていける。
そう答えたら、上の二人を取り上げてくれた先生は、破顔一笑、「よく言った!」と褒めてくれた。
実のところ、内心では、ここまで極小確率を引き当てて「大当たり」したのだから、次は大丈夫だろうという、根拠薄弱な計算もあった。
きょうだいで自閉症というご家庭は周囲に複数あった。息子の療育のつながりで、双子の自閉症児も2組ほど知っていた。
長女さんのような難病児と自閉症児とのきょうだいは、少ないけれども、それなりにいたように記憶している。
けれども私の知る限り、自閉症児のきょうだい児に、ダウン症児がいるという事例を知らなかった。
だから、今回は大丈夫じゃないかなと。
結果的に、その予想は当たったわけだけど。
あの頃の私に、こっそり教えてやりたい。
目に入れてもちょっと痛い程度に可愛い末っ子は、自閉症にも難治性ネフローゼ症候群にもならないかわりに、ADHDと診断されて、上の二人の時とは全く別の育児スキルを求められるようになるのだと。
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五本目。
寝つきの悪い乳児だった末っ子の、怒りに満ちた日常の一コマ。
覚えていなかったけど、こんな夜もあったんだなと、懐かしい気持ちになる。
乳幼児期の末っ子の難しさ、扱いにくさ、危なっかしさは、重度自閉症の息子をはるかにこえていた。三人目の子どもなのに、上の二人を育てた経験など、ほとんど役に立たないほど、大変だった。
この日記のなかの末っ子の様子は、近い将来に末っ子がどんな風に育つのかを、明確に示しているのだけど、当時の私は知る由もないのだった…