ヤマザキコレ「魔法使いの嫁」というマンガは、現代イギリスを舞台にしたファンタジーで、ケルト神話など、イギリスの伝承のモチーフがふんだんに出てくるのだけど、ちらちらとキリスト教の影が見え隠れすることもある。
例えば、主人公チセの使い魔、ルツ。
旧約聖書のルツ記によると、モアブ人の寡婦だったルツは、姑のナオミに従ってベツレヘムへ行き、亡くなった舅エリメレクの遺産を取り戻すために、その権利を持つボアズの妻の一人となる。
ルツの産んだ息子は、イスラエルの王ダビデの祖父となる。ダビデはイエスの直系の祖先でもある(イエスは処女受胎で生まれたのだから、生物学的にはルツやダビデの直系ではないのかもしれないけど、ややこしいのでこの際脇に置いておく)。
聖書のルツは女性だけど、「魔法使いの嫁」のルツは、元は雄犬だった。両者に共通点があるとすれば、前の主人(女性は夫、犬は飼い主)に死なれているところだろうか。
チセと対決するヨセフ(カルタファルス)という魔法使いは、十字架にかけられる前のイエスを罵って暴力を払ったために、永遠に生きて彷徨う呪いを与えられたとされている。
「さまよえるユダヤ人」ヨセフの伝承は、13世紀に書かれた「歴史の花」という書物が初出であると、Wikipediaにあった。
イエスの母であるマリアの夫もヨセフだった。カルタフィルスとは関係がなさそうだけど、どうしたってイエスを連想させられる名前ではある。
最新刊(21巻)では、赤いドラゴンの存在が示唆されて、大きく物語が動いていく。
ドラゴンというと、あまりキリスト教に縁の深いイメージではなかったけど、新約聖書の「ヨハネの黙示録」の中に、赤い龍が登場している。
見よ、大きな、赤い龍がいた。それに七つの頭と十の角とがあり、その頭に七つの冠をかぶっていた。
(中略)
龍は子を産もうとしている女の前に立ち、生まれたなら、その子を食い尽くそうとかまえていた。
ヨハネの黙示録 第12章 3-4節
この物騒な龍は、天で、天使ミカエルとその御使たちと戦ったけれど勝てず、手下もろとも地に投げ落とされたという。ということは、悪魔(サタン)と同じような存在なのだろう。
七つの頭のある龍は、ローマ帝国の隠喩であるとも言われているようで、七つの頭は七人のローマ皇帝( アウグストゥス、ティベリウス、カリグラ、クラウディウス、ネロ、ヴェスパシアヌス、ティトス)のことを指すのだとか(Wikipedia「黙示録の獣」のページより)。
主のかいなよ、
さめよ、さめよ、力を着よ。
さめて、いにしえの日、昔の代にあったようになれ。
ラハブを切り殺し、龍を刺し貫いたのは、あなたではなかったか。
イザヤ書 第51章 9節
聖書でラハブといえば、エリコの街でイスラエルの民を匿った遊女ラハブを思い出すのだけど、イザヤ書のラハブは、イスラエルの民を虐げていたエジプトのことであり、龍と同じものと考えられるという。
聖書の中のドラゴン、龍は、どうやら、アブラハムの信じた神を信仰する民を虐げようとする政治権力を象徴するもののようだ。
「魔法使いの嫁」の中のドラゴンは、アイスランドで密かに保護されている絶滅危惧種だけれど、それらとは別に、地の底で長く眠っているものもいるようで、それが目覚めると、イギリスにとんでもないことが起きるとされているらしい。
主人公のチセは、成り行きで、ドラゴンの呪いと、カルタフィルス(ヨセフ)の呪いを、ダブルで身に宿し、両者を拮抗させることで、際どく生きながらえている。
どちらの呪いも、反キリスト的な存在に由来するわけだけれど、チセ自身も、キリスト教圏内とは言いにくい日本の出身で、イギリスに渡ってからも、どちらかと言えば、キリスト教によって否定された側の神やドラゴン、妖精たちに親和的な立ち位置にいる。
けれどもチセは、イエスの直系の先祖ルツの名を持つ使い魔に守られ、イエスを害したというカルタフィルスに与えられた不死の呪いによって生かされている。
そういえば、チセを弟子にしたエリアスの師匠は、ラハブという女性の魔法使いだった。このラハブは、ドラゴンではなく、エリコの街のほうのラハブだろう。
本来、相容れないはずのあらゆるものが、なんとなく共存してしまうあたり、とても日本的な物語なのかもしれない。
最新刊が出たばかりだけど、続きがでるのが待ち遠しい。


