今回は、古今和歌集の読み人知らずの恋の歌。
題しらず よみびとしらず
むば玉の闇の現はさだかなる夢にいくらもまさらざりけり
(むばたまの やみのうつつは さだかなる ゆめにいくらも まさらざりけり)
古今和歌集 巻第十三 恋三 (0647)
【普通の意訳】
闇の中の現実の出来事は、明るい光に満ちた夢の中の出来事に、そんなに勝っているわけじゃない。
顔も見えない暗がりでの逢瀬は、あっけなくて、終わった後は、とても切ないものだから。
夢の逢瀬だって虚しいけれど、行く末の分からない不安な現実から、ほんの少し目を逸らしてくれる。
いまだけでも、夢に浸っていたい。
……
歌の作者は、闇の中の現実と、明るくはっきりと見える明晰夢を比較して、現実なんて夢よりそんなに勝っていないと評価している。
暗闇の中で行われたのは、おそらくは恋人との逢瀬だろう。
大っぴらには出来ない関係だからか、人目を避けて、夜中に相手の家を訪問し、顔も見えないような暗い部屋であれこれして、夜が明ける前に立ち去っていく。
声は聞こえる。肌や髪に触れた感触もある。
でも、姿を見ることはできないし、お互いの思いの丈を語り尽くす時間もない。
顔を見たい、互いの全てを見尽くしたい、という強い思いが、何もかもがあからさまに「見える」夢を、あるいは理想を詰め込んだ精緻な妄想を、引き寄せたのかもしれない。
やがて夢のリアルな質感は、闇の中の現実を凌駕するまでになり…
【意訳という名の妄想…】
なぜかしら。
近頃、恋人と逢っても、気分があまり上がらない。
気持ちが冷めたわけじゃない。
むしろ出会ったころよりずっと、あの人への思いは強くなっている。
それはもう、一日中、逢瀬のことが頭から離れないほどに。
それなのに、念願叶って一夜を過ごしたあと、なぜか、
「あれ? こんなものだっけ?」
という微妙な気分になってしまうのよ。
こんなおかしな気持ちが生まれたのは、たぶん、あの夢を見た時だと思う。
何もかもを明るく照らす、不思議な光の中で、素晴らしいあのお方のお姿が、少しも隠されることなくあらわになっていたの。
着衣のあの方も。
そうでないあの方も…
夢だって分かっていても、身体中の血が沸騰してしまいそうなほど、ドキドキしたわ。
愛のささやきも、暗闇の中で聞くのと、あの方の愛しいお顔を間近に見ながら聞くのとでは、トキメキの威力が全然違っていたわ。
何度も何度も、あの夢を思い返しているうちに、肌の感触や匂いまで、脳内で自由自在に再現できるようになってきて、それはまるで、私が心から望んでいる逢瀬のあり方そのもので……
ああ、そういうことなのね。
暗闇の中での現実の逢瀬は、私にとっては、バーチャル逢瀬を構築するための素材に過ぎなくなっていたんだわ。
現実があってこその夢なのは分かってる。
でも現実の恋愛なんて、きっといつか終わってしまう。
夢の中のあの方は永遠不滅。
心の力で磨き上げれば、この恋はいつまでも輝くの。
……
現代日本の誇るオタク文化の妄想力の根源は、こんなところ(古今和歌集)にもあったようだ。
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