こんにちは。

体調不良で一週間ほどブログの更新ができなかった(昨日は書いたけど)。
たぶん、長女さん(28歳・ASD)がグループホームに入居したことで、気が抜けたのだろう。 ぷしゅーっと。🎈
自分のことは、意外なほど分からないものだと、いい加減自覚するべきなのだろう。
とくに精神面。緊張やストレスがとっくに限界を超えていても、「なんだかちょっと調子悪いかも」ぐらいに思ってやり過ごしているうちに、取り返しが難しいレベルまで悪化させてしまっている。
自分では気づいていなかったけど、長女さんのグループホーム入居の件で、相当に消耗したのだろうと思う。心配で。
今回、私はほとんど関与していない。
ケアマネさんや福祉事業所さんとの面談には、亭主に出向いてもらっていた。関わったのは、先週の入居日に車で長女さんと荷物を送り届け、挨拶をして、規約説明どを聞き、契約書類を作るのに立ち会った時だけだ(ダイニングテーブルの椅子に座っていたけど)。
福祉サービス利用時というと、契約書への住所氏名の書き入れと捺印がたくさんあって、なかなか大変だったりするのだけど、今回は長女さんが全て自分でやってくれたので、私は横で見ているだけ。楽ちんだった。
息子の時は、毎度私が全部(必ず4部ある)代筆することになる。悪筆な上に、よく描き間違うから、人前で記入するのは半端なく緊張する。些細なストレスだけども、うつ病持ちには結構堪えるのだ。
それでなくても、イレギュラーに他人に会うことだけでも、豆腐メンタルは削られる。鬱になる前は、こんなことはなかったのだけども、そもそも鬱の主原因が対人ストレスだったのだから、そこが症状悪化のトリガーとして残存してしまっているのだろう。人に会わないのが1番の薬。出会いは書物とネットくらいで十分。出入力を、こちらでコントロールできるから。
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「出入力」って、どうして「出」が前で「入」が後なのか。「入出力」じゃなダメな理由が何かあるんだろうか。日本語学者に聞いてみるか。
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具合が悪くても、出かける用事はある。
主に通院。自分の診察はもちろんサボれない。長女さんの通院の送迎も、できる限りやる。
診察待ちで座っているのがつらい時は、ひたすら読書で気を紛らわす。いい感じにハマっている小説があれば、多少の体調不良はごまかせる。
ちょうどいい小説がなければ、Kindleで漫画の再読をする。「ミステリと言う勿れ」シリーズの比較的平和な巻は、体調不良をごまかすのに最適だ。整(ととのう)くんが、とてもいい子だから。
世界にたくさんの引き出しがあることを思い出させてくれる作品は、心の支えに最適だ。
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「小説家になろう」で読んでいた小説の、何気ないフレーズが、妙に心に刺さった。
無実の罪で処刑されそうになって逃げ出した令嬢が、難関ダンジョンの中層の安全地帯に追い込まれ、逃げ出すこともできないまま、その場で「道の駅」を運営することになるという、異世界ラノベの、主人公の令嬢の述懐。
ま、どうせ人間いつか死ぬんだし、それが遅かろうが早かろうが結果は変わりゃしない。
死んでからのほうが長いくらいさ。
それこそ、私が死んでからも何千年も何万年も何千兆年も世界は続くわけだしね。
私の一生なんて取るに足らないものなのさ。
とか諦観しつつも、いざとなったら泣き喚くんだろうけどね。
海野幸彦「 地上を追放されたので、ダンジョンで《道の駅》を始めたら大人気スポットになりました ~戻ってこいと言われても、お客の冒険者たちが離してくれません~」
https://ncode.syosetu.com/novelview/infotop/ncode/n5961je/
死んでからのほうが長い。確かに。
あと、生まれる前も、それと同じくらいかどうかは分からないけど、生きている間よりは遥かに長い。
自分が存在したりしなかったりする、膨大な時空に、自分にとっての意味はあるのか。その時空に、自分の存在したりしなかったりすることの、意味はあるのか。
どれくらいの量か分からないけど、どう考えても膨大な地球の大気圏内で、だった一つの酸素原子が持つ存在意義のほうが、まだ把握しやすいかもしれない。
だった一個の酸素原子が消えても、目に見えるような影響はないかもしれない。
けれども、その一個とそっくり同じの、他の数えきれないほどの酸素原子が一斉に消えたなら、影響は計り知れない。酸素原子が参画している、ありとあらゆる物質全てが、成り立たなくなるのだろうから。
私一人が消えても、世界にさしたる影響はない。
けれども、私と同じ人類がまるごと消滅したなら。
考えてみると、自由意志を持って、特に合理的な理由もなく、自ら消滅することのできる存在というのは、恐ろしいものだと思う。酸素原子が「自分から消える」ような気まぐれなものだとしたら、地球の生物はたまったものではない。
一個人の意志が人類を滅ぼすことはまずないだろうけれども、人類の意志の総体が、巡りめぐってダメな方向に行ってしまった結果、破滅を迎えるということは十分にありえる気がする。この世に存在しているうちは、自分もその意志の総体の一部なのだから、どうしたって無関係とは言えない。
私が一人だけ消えたり病んだり壊れたりしても、たいした問題ではないけれど、「私」が七十億人消えたり病んだり壊れたりしたら…
一人の「私」が十全で、幸福で、和やかで、健やかであるということの意味は、計り知れないほど大きいのだと、自信を持って言える気がする。
大事にしよう。
私を。
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やっぱり、だいぶ疲れている気がする。