こんにちは。

手持ちの画像を「連続テレビ小説」のタイトル画面にする遊びに、まだハマっている。
末っ子にも教えたら、いろいろ悪用して友人たちと遊んでいるようだ。
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長女さん(28歳・ASD)は、今日は就労支援。
今月に入ってから、具合のよくない日が続いていたけれど、ゆっくりじっくり休養することで、なんとか調子を取り戻してくれたようだ。
発達障害を抱えている人は、集団生活の中で、健常な人よりも疲れをためやすいという。私も学生時代はほぼ毎日、頭痛か腹痛に悩まされていた。
人疲れは、集団から離れて休養するのが一番だけれど、学校や仕事があれば、物理的に距離を取ることが難しい。
だから、趣味などに心を向けて、メンタル面だけでもストレスフルな状況からガードする必要があるのだけど、それなりに修練が必要なことなので、若いうちは難しい。
私が読書に耽溺するのも、子どもの頃に自分の心を守るために作り上げた防御方法が、物語の中への逃避だったからだ。本が自由に買えなかった頃は、ひたすら自分で物語を作っていた。
ネットでラノベをたくさん発表している作者さんたちの中には、私と同じような幼少期を歩んできた方々が結構いるのではないかと思う。作品に、逃げ込むための異世界の扉が設置されているのを感じるのだ。
異世界ラノベが流行しているのも、同じ理由なのかもしれない。この世界で生き続けるために、異世界に通じる扉を密かに傍に置く必要がある若い人が、きっとたくさんいるのだろう。
そういう読書を実人生からの逃避と言って、わざわざ蔑むような人が時々いる。口当たりのいいファンタジーに逃げ込まずに、リアルな不幸を直視させる辛口の物語を受容する訓練をすべきだという人もいる。
「ハリーポッター」シリーズが大流行した頃に、そんな批判をしていた評論家の文章を読んで、呆れたことがあった。両親を殺され、叔母の家で虐待され、親の仇のボルデモートに命を狙われながら、慕う人々や最愛のペットまで次々と亡くしてしまう少年の物語の、どこが甘口の逃避場所になりえるのだろうか。
そんな物語に没頭することで得られるのは、つかのまの安らぎや、作り物の幸福などではなく、生きるのに必要な勇気や洞察力、そして、自分の人生の主役となるためのスキルの獲得だろう。よい読書には、確かにそんな効果もあるのだから。
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昨日の晩ご飯。
焼き餃子(生協の冷凍食品)、ほうれん草の胡麻和え、筑前煮、なます、デコポン寒天、ごはん、キャベツの味噌汁。亭主作。
