以下の内容はhttps://dakkimaru.hatenablog.comより取得しました。


介護メモ(3月24日〜3月27日)

3月24日(火曜日)

 

朝8時に、父(94歳)の通院のために家を出た。

 

通院先は、実家から800メートルほど。健常な大人であれば、徒歩12分ほどで着く距離だけど、足腰が弱っている父の足だと、途中何度も休憩しながらなので、20分以上はかかる。雨や雪の日は、タクシーを呼ぶべきだろうなと思いながら、一緒にゆっくり歩いた。

 

病院に到着して、父が受付をしている間、トイレに行ったら……いきなり血尿が出たので、私も即座に受診することにした😱。マイナンバーカードとお薬手帳は、外出時には常にポーチに入れて持っている。尿検査の結果、「疲労で膀胱炎になったんでしょう。抗生剤出すから五日間飲んでねー」となった。とほほ。

 

父の検査結果は良好だったようで、いつものお薬を処方されていた。それと、地域包括センターのほうから、父の主治医に連絡が入っているとも言われたようだ。たぶん意見書のことだろう。

 

病院の隣の薬局でお薬をもらってから、コンビニで少し買い物をし、メガネ屋さんにも寄って、転んだときに歪んだフレームを直してもらった。

 

父とゆっくり歩いて帰宅。

 

(_ _).。o○

 

 

 

Amazon Echo Show 8 が届いたので、

さっそく実家のリビングにセットした。

 

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本体の設定は、めちゃくちゃ簡単だった。

簡単すぎて、なにをどうやったのか、すでに覚えていないほどだ。😆

 

セットアップを終えて最初にやったのは、リマインダーの登録。

 

父の服薬や通院、ゴミ出し、毎日のお弁当の届く時間などを、私のiPhoneの Alexaで設定して、Alexaの音声でアナウンスしてもらうのだ。

 

見守り機能もある。

iPhoneのAlexaから、実家リビングのEcho Showに直接呼びかけて、テレビ電話をすることができるのだ。

 

いま父は、二階の寝室ではなく、一階リビングに布団を下ろして、Echo Show をセットしたローテーブル(コタツとも言う)の横で、就寝している。父はスマホを持っておらず、iPadも使わないので、万が一立ち上がって電話に出られない状態であっても、Echo Showで呼びかけて、様子を知ることができる。

 

Echo Show 8では、音楽や動画の視聴もできる。父にプライム・ビデオの使い方を教えたら、さっそく「鬼平犯科帳」を見ていた。

 

使っていない間は、Amazon Photoに入っている画像から、自動的に家族写真を選んでスライドショーをしてくれる。Amazon 

 

Echoあまりにも便利なので、いろいろ落ち着いて家に帰ったら、自分用のも絶対に買おうと思っている。

 

(_ _).。o○

 

3月25日(水曜日)

 

朝からAmazon Echoのアナウンスが居間に流れた。

 

「今日は、午後一時半に、○○調査センターの人の訪問があります」

 

父の介護保険認定のための面談だ。

ケアマネジャーなどの有資格者が、面談を担当するらしい。

 

どんな方が来るのかなーと、ちょっとドキドキして待っていたら、私よりもだいぶ年上な感じの、すごくシャキシャキした女性が、軽自動車で颯爽といらっしゃった。

 

面談は小一時間ほどで、たくさんの質問を、気軽な世間話みたいな、リラックスした流れでこなしてもらえた。

 

日常生活のほとんどを自立して過ごせている父の介護レベルがどの程度になるのかは、まだわからない。要介護ではなく、要支援レベルだろうとは思うけれども、父の94歳という年齢や、母の骨折入院という状況なども踏まえて、要支援2で落ち着くのかなと予想している。

 

要支援2であれば、デイケアかデイサービスが、週二回は利用できるという。また、ヘルパー利用で、ゴミ出しなどもお願いできるようだ。

 

母は、早朝のゴミ出しで転倒して大腿骨を骨折し、輸血の必要な手術をすることになってしまった。私がいる間はいいけれど、いずれ母が退院し、父と二人で過ごすようになった時、生活上のリスクはできる限り減らしたい。

 

介護認定が出るまで、あと一か月ほどかかる。それまでの間に、リスクのリストアップを徹底的にやっておいて、使うべきサービスについて、地域包括センターの方とといろいろ相談していく必要がありそうだ。

 

(_ _).。o○

 

 

3月26日(木曜日)

 

いよいよ、母が転院する日が来た。

 

12時半までに病棟に来て欲しいと言われていたけど、少し早めに家を出て、11時半には病院に着いた。

 

時間外窓口で、退院手続きに来たことと、約束の時間よりまだだいぶ早いことを伝えると、「早くても大丈夫ですよ」と、すぐに病棟に連絡してくれて、書類の確認やサイン、入院費の支払いなどをスムーズに済ますことができた。

 

その後、病棟の自販機コーナーのベンチで待っていると、外出用の服に着替えた母が、看護師さんの押す車椅子で病室から出てきた。

 

一週間ぶりに会う母は、予想よりずっと元気で顔色も良かった。病院のご飯が美味しくて、すべて完食していること、手術後は痛みもほとんどなく、リハビリを頑張っていたことなどを話してくれた。

 

お世話になった看護師さんに見送られ、病院が呼んでくれた介護タクシーに乗って、転院先の病院へ移動した。

 

介護タクシーの料金は、一般のタクシーの倍額くらいだった。車椅子ごと乗れる上に、運転手さんの介助もあるのだから、高いのも納得ではある。介護保険が使えるようになれば、もう少し安くなるのだろう。

 

転院先の病院は、全体的にゆったりとした雰囲気で、アットホームな印象だった。救急対応メイン(長期入院不可)だという前の入院先と違って、リハビリのための長期入院を受け入れる病院だからなのかもしれない。

 

ただ、面会制限がだいぶ厳しい。

 

予約必須で、多くても週一回、面会者は二人までとのこと。即日予約をお願いしたけど、直近で空いているのは十日後と言われた。

 

せっかく実家から近い病院に転院できたのだから、父といっしょに毎日でも会いに行くつもりだったのに、ちょっとがっかりした。(´・ω・`)

 

たぶん、コロナ禍の影響なのだろう。

 

転院前の病院も、予約や日数制限の縛りこそなかったものの、面会時間は15分以内で、話の途中で「時間ですから〜」と看護師さんに部屋を出されていた。

 

感染症対策はもちろん大切なことだけれど、患者さんによっては、家族と疎遠になることで、認知症の悪化やリハビリ意欲の低下などの悪影響もあるのじゃないかと、気になった。

 

ただ、面会はできなくても、届け物には回数制限などはないため、着替えといっしょに手紙などを差し入れることはできるという。洗濯物の引き取りが、週一くらいのペースで必要とのことなので、その時にいろいろ差し入れをしようかと思う。

 

 

3月27日(金)

 

実家に着いた日(3月14日)に、買い物に出て転倒し、左手中指を酷く突き指したことは、以前に書いた。

 

そのうち治るだろうと思って、少しばかり冷やしただけで放置していたのだけど、二週間近くたっても、治るどころか、痛みがどんどん悪化して、曲げ伸ばしもほとんどできなくなってしまった。

 

末っ子が、突き指情報をネットで検索して、「それ、たぶん折れてると思うぞ。病院行け」と、怖い顔で何度も言うので、まさかとは思いながらも、実家から一番近い整形外科を受診し、レントゲン撮影をしてもらった結果…

 

しっかり折れていた。😭

 

しかも、ちょっとめんどくさい折れ方だったようで、手指専門の整形外科に、即日行くようにと支持された。

 

その病院でも、レントゲンを撮られ、「折れてます。しかも腱が断裂してます」と、嫌な太鼓判をいただいた。

 

折れた当日であれば、手術が適応となる状況だったとも言われた。よく分からないけど、折れて二週間も放置していたせいで、手術しても取り返しがつかない状況であるらしい。

 

よりによって、母が転んで骨折したのと同じ日に、私まで骨など折らなくてもいいものを…

 

転んだ時の状況や、実家に滞在している事情などを、看護師さんに詳しく質問されたので、母の骨折入院や、高齢の父のこと、両親の介護保険認定を申し込んだばかりであることなどを話したら、ガッツリお説教をされた。

 

「いいですか、ご両親が大変なこの状況にあるからこそ、ねこたまさん、あなたの健康と安全をこそ、最優先に考えて生活を回していくべきなんですよ! 無理しない! 自分で全部やらない! 頼れるものは全部頼る!」

 

ひたすら、頷くばかりだった。

 

「地域包括センターに、骨折したことを伝えて、少しでも早く介護保険が使えるように、頑張ってもらってください!」

 

とも言われた。うちに面談に来てくださった包括センターの方は、最速で動いてくれているとは思うけれども、週明けに一度電話してみようと思う。

 

熱いお説教と人生へのエールを受けながら、折れた中指を軽く伸ばした状態で添木をされ、非伸縮テープで固定してもらった。添木とテープは入浴時なども絶対に外さないように言われた。次の写真は、二週間後。それまでに骨、くっついてるといいな…😭

 

 

 

介護メモ(3月21日〜3月23日)

 

3月21日(土曜日)

 

眠れない。

寝ついても、眠りが浅い。

疲れのせいもあるけど、強風がうるさすぎて、うとうとしても、すぐに目が覚めてしまう。

 

午前1時、3時と目が覚めて、そのあとはどうにも眠れず、起きていた。

 

7時過ぎに父と朝食を取ったあと、父の分の昼食を用意してから、お昼前の新幹線で地元に戻った。

 

私と入れ違いに、末っ子が実家に向かっでくれたので、父が家で一人になる時間は、四時間ほどで済んだ。

 

新幹線を降りてから、自宅に寄らずに病院に直行した。

 

長く診てもらっていた精神科の先生が、今年度いっぱいで別の病院に転勤になるので、それに合わせて私も転院することになったのだけど、先生の転勤先は私の家からだいぶ遠く、家の近所(徒歩7分くらい)のクリニックは、

 

「転院希望が、なぜか最近一気に何十人も来たので、これ以上無理」

 

とお断りされたようだ。転院難民が押し寄せた理由は、十中八九、先生の転勤だと思う。コンサータ(ADHD治療薬)を処方できる医師や病院が限られているので、こういうことになるのだと思う。

 

それで、徒歩圏内ではないけれど、タクシーでそれほどメーターが上がらないところにあるクリニックに目星をつけているのだけど、そこも評判のいい病院なので、私のような転院難民が漂着しているかもしれない。そこも断られてしまったら、通うのが少し大変でも、先生の転勤先にお世話になろうと、先月話していたのだけど…

 

かくかくしかじかで、当分親の実家のある他県に滞在するから、転院してもまともに通院できるか分からないと事情を話したら、先生、一瞬、頭を抱えていらしたけど、大きな駅だと、駅ナカクリニック的な病院が各地にできているので、実家滞在中だけ、そういう病院で薬を処方してもらうという方法で乗り切っていこう、ということになった。紹介状は、自宅近くの病院こ分と、駅ナカクリニックの分と、二通用意して、自宅に郵送してくださるとのこと。

 

帰宅後、Google検索してみたら、実家のある町の駅にはなかったけど、大きな駅まで行くと、確かにそういうクリニックが駅ビルに入っていて、コンサータの処方にも対応できるとホームページに書いてあった。なんとかなりそうで、ホッとした。

 

あと、前回、コンサータの流通が枯渇していたために、代わりにベタナミンという薬をお試しで処方してもらっていたけど、それの服用を始めてから、大転倒一回、自動ドアへの激突3回、戸棚の扉などに頭をヒットすること無数という状況で、しかも不合理な不安や焦燥感に駆られてじっとしていられず、壊滅的に体に合わないと思うと伝えて、処方をやめてもらった。

 

幸い、今回はコンサータの在庫が少しだけあると薬局から連絡があったとのことで、無事、元の処方に戻してもらえた。

 

(_ _).。o○

 

8日ぶりに自宅に帰ったら、息子(28歳・重度自閉症)が、なんとも言えない表情で私を見つめ、その後も近くで見張るように視線を送ってよこすので、「大丈夫、おかーさんは元気だよ」と声をかけてみたけれど、信用ならんという顔をされた。

 

晩ご飯は、亭主が豆乳鍋を用意してくれた。美味しかった。

 

(_ _).。o○

 

介護経験者のお友達から、見守りに便利なサービスやグッズを教えてもらった。

 

それを参考に、自分でも調べてみて、Amazon Echo Show 8 を実家に導入することに決めて、即ポチッた。

 

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久々の自宅ベッドで、しっかり熟睡した。

 

(_ _).。o○

 

 

3月22日(日曜日)

 

朝は少しゆっくり寝かせてもらった。

亭主と息子が買い物に出て、握り寿司を買ってきてくれたので、それをいただいてから、再び新幹線で実家へGO。

 

実家では、末っ子が父(94歳)の食事や投薬の世話をしっかりしてくれていた。

 

夜、Amazon Echo Showが届いたので、早速セッティングした。といっても、今回自宅から持ってきたFire Maxを横に置いておくだけで、全部勝手にやってくれるので、全く手がかからない。

 

端末を買うたびに、セッティングの失敗で半日費やしていた日々は、すでに遠い。あれはあれで、お祭り騒ぎみたいで嫌いじゃなかったけど。😅

 

Amazon Echo Showには、見守りカメラ代わりに使える機能がある。

 

iPhoneにAlexaのアプリを入れれば、実家の居間のコタツの上に置いた Echo Showを通して、直接呼びかけることができ、カメラで室内の様子を確認することもできる。スマホやiPadのテレビ電話機能と違って、両親側が応答の操作をする必要がないのがいい。

 

そのほか、通院や投薬、ゴミ捨てなどの予定を、リマインダー登録しておくと、Alexaが音声で知らせてくれるので、私が実家を離れたあとも、だいぶ安心になる。

 

ただ、FIRE MAXやKindleと違って、Amazon Echo Showには充電機能がないので、電源コードを抜かれてしまうと、声がけもカメラも使えなくなってしまう。父に、「これ絶対に電源抜かないでね」と、何度も何度も念を押した。

 

3月23日(月曜日)

 

朝起きて、iPhoneのAlexaアプリを立ち上げて、居間の Echo Showに話しかけたのに、反応がない。

 

居間に行ってみると、案の定、父は Echoの電源コードを抜いていた。節約家なので、つけっぱなしというのが、どうにも落ち着かなかったのかもしれない。

 

父に、 Echoをつけっぱなしにしても、電気代は1日2円しかかからないからと説明し、どうか電源を抜かないでと、改めて説明したけれど、電子レンジや洗濯機の電源コードも普段から抜いている父なので、さしっぱなし、つけっぱなしに慣れるのには、かなりかかりそうな気がする。こちらも気長に構えて、ゆるゆる慣れてもらうしかなさそうだ。

 

 

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介護メモ(3月18日〜3月19日)

3月18日(水曜日)

 

実は、亭主の母(88歳)も、先週から大腿骨骨折で入院している。状況は私の母と似た感じだけど、入院から手術まで、一週間ほど待たされたようだ。

 

入院翌日に即手術になった母は、相当にラッキーだった。

 

亭主の実家は私の実家よりもだいぶ遠い。電車賃は、ほぼ倍額。かかる時間は三倍ほど。家には息子(28歳・重度自閉症)がいて、私も実家にかかりきりなので、亭主は身動きが取れない状態。

 

幸い、亭主は三人きょうだいで、実家近くには頼れる親戚(元ケアマネ)もいるそうで、なんとか回しているとのこと。

 

私は一人っ子で、実家近くには親戚もいない。

 

以前は叔父夫妻が住んでいたけど、数年前に叔父(父の弟)は病死、残された叔母は福祉の介入を拒否して、孤独死してしまったと聞いた。子どものいないご夫婦だったので、遺産の問題や、マンションの管理費請求などの問題に父も巻き込まれ(脅しのような請求書がいきなり届いたらしい…)、裁判所に出向かなければならず、いろいろ大変だったと、全て片付いてしまってから聞いた。(´・ω・`)

 

 

(_ _).。o○

 

父(94歳)のための配食サービスのお試し、初日。今回を含めて三回分、無料で試せるとのこと。

 

配食は、利用者の見守りも兼ねて、必ず手渡しすることになっているという。配達の人がドアチャイムを鳴らしても反応がなかったり、異変があったりした場合、地域包括センターと家族に連絡してくれるそうだ。

 

届いたお弁当は、プラスチックのケースに、彩りのいい和食が盛り付けられていて、栄養のバランスも良さそうだった。

 

電子レンジをほとんど使ったことのない父に、あたため方をレクチャーし、さっそくお昼に食べてもらった。

 

全体的に薄味だったようだけど、父にはとても食べやすいお味だったようで、とても気に入ってくれた。

 

ケータリング利用には消極的だった父だけど、「これが毎日届くなら、いいな」と、受け入れてくれたので、すぐに地域包括センターに電話して、契約をお願いした。母の退院後は二人分をオーダーしよう。

 

(_ _).。o○

 

お弁当を受け取ったあと、父と一緒に銀行に行った。

 

母の入院費の支払いなどのお金を準備する必要があるのに、父のカードの暗証番号と、届け出ている印鑑がどれであるのかが、誰にも分からなくなってしまっていることが判明したのだ。😱

 

通帳と、届け出た可能性のある印鑑を数本、父のマイナンバーカード、そして父本人を、銀行の窓口に送り届けて、無事にカードを再発行してもらった。

 

 

(_ _).。o○

 

午後、自分のかかりつけの歯医者さんに電話して、事情を話して予約をキャンセルした。前回、型を取ってもらった差し歯、出来上がってるはずだけど、入れてもらえるのはいつになるやら。また土台から作り直し、なんてことにならなければいいのだけど…

 

内科と精神科の予約日も迫ってきている。こちらは処方薬をもらう必要があるので、延期はできない。新幹線で往復しまくることになりそうだ。🚄

 

(_ _).。o○

 

午後から、母の見舞いに行った。

顔色がとてもよく、食事もしっかり摂れているとのことで、安心した。

 

リハビリも、少しずつ始まっているという。

実家の近くに転院先を探してもらっていることなどを伝えて、15分の面会時間を終えた。

 

病院の帰りに、駅ビルのショッピングモールで着替えを購入。一泊の予定だったから、洗い替えもない状態だった。😱

 

 

3月19日(木曜日)

 

自宅では、亭主と息子の二人暮らしが続いている。平日の日中、息子は介護施設で過ごすので、朝の送り出しと、帰りの出迎えだけで済む。

 

末っ子と私がいない暮らしで、息子が不安定になることを懸念していたけど、全く動じることなく、淡々と過ごしているとのこと。

 

私と二人きりの時は、わりと動揺しまくる息子なのに。よほど母親に信頼感がないのだろうかと末っ子に愚痴をこぼしたら、「そりゃそうだ」と即答された。なんでだ…

 

 

(_ _).。o○

 

午後、末っ子が一旦自宅に帰った。

パソコンや勉強道具、着替えなどを持って、土曜日にはまた実家に来てくれることになった。

 

帰る前に、おかずを一つ作っておいてくれた。とても助かった。土曜日に転んだときの左手中指の突き指が、まだかなり痛む上に、ほとんど曲げられないので、料理がかなり辛いのだ。ほんと、アホだった。

 

(_ _).。o○

 

私は、精神科の受診のある土曜日に一度帰って、日曜日にまた実家に戻ることにした。

 

新幹線の切符は、当日に駅で取ればいいかなと思っていたのだけど、末っ子に「連休だぞ!予約しないと立ち席になるけど、体力もつのか?!」と脅されたので、末っ子に頼んで、ネットでチケットを取ってもらった。

 

「えきねっと」というサービスでチケットを予約し、それを手持ちのSuicaと紐付けすると、Suicaだけで新幹線の改札を通れるのだとか。知らなかった。

 

そんな便利なサービスなら私も使いたいと思い、「えきねっと」のアカウントを作ろうとしたのだけど、なにをどうやっても登録できずにはじかれるので、諦めた。こうしたことは、私にはよく起きる現象で、家族には「怪電波出してるからだ」と常々言われているけど、そんなものは出していない。たぶん。

 

土曜日、私が実家を出てから末っ子が実家に戻るまでの間、だいたい四時間ほど、父を一人にすることになる。不安なく過ごしてもらえるように、出来ることをしようと思った。

 

(_ _).。o○

 

末っ子が出かけたあと、父と一緒に母の見舞いに行った。入院後、父が母に会うのはこれが初めて。すっかり顔色がよくなった母を見て、父は「きれいになったな」と喜んでいた。

 

父と母が会話をしている横で、私は看護師からお話を聞き、治療計画書など、いくつかの書類にサインをした。貧血改善のための食事療法もしているという。まだ先の話だけど、退院が近くなったら、詳しい情報をもらって、配食サービスと連携する必要がありそうだ。

 

(_ _).。o○

 

父と出かけている間に、宅配が来ていたようで、不在票が置いてあった。入院騒動の前に、私が頼んでおいた冷凍食品のようだった。電話で再配達をお願いした。

 

 

3月20日(金曜日)

 

ゆっくり眠りたいのに、なぜか午前3時には目覚めてしまう。二度寝しても5時には覚める。寝不足が酷く、軽い頭痛が慢性化しつつある。とてもまずい。

 

長丁場を乗り切るためにも、どんどん手を抜いて、ラクをしないと。

 

午前中は特に何もなかった。

父とテレビを見たり、あれこれと話をしたりして過ごした。

 

普段はテレビをほとんど見ずに暮らしているけど、父は起きている間ずっとテレビを眺めている。

 

昔から父は、NHKか、時代劇をやっているチャンネルしかつけない。高校の時、そのことを作文に書いてNHKの作文コンテストに応募したら、佳作をもらった。賞金は5000円。書籍代にしたような記憶がある。

 

うちの息子(28歳・重度自閉症)も、自宅にいゆと、NHKと時代劇ばかり見ている。こういう嗜好って、隔世遺伝するものなのだろうか。謎だ。

 

(_ _).。o○

 

午後、配食サービスと、荷物の再配達の受け取りをして、その後はまた、のんびり過ごした。配食サービスのおかげで、父の食事の心配がないのがありがたい。

 

 

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介護メモ(3月17日)

3月17日(火曜日)

 

いろいろあったはずだけど、だいぶ忘却しているので、思い出せることだけ書いておく。

 

自宅のほうでは、この日、息子(28歳・重度自閉症)が、意気揚々とショートステイに出かけたとのこと。私と末っ子は実家滞在。長女さんは隣町のグループホーム在住だから、夜は亭主が一人で自宅を守ることになる。夕食は一人分だけ料理する意志など微塵も無いからスーパーの弁当を買ったと言っていた。まあ、そうなるか。

 

この日の午後1時、地域包括センターの生活支援コーディネーターさんが実家に来訪。

 

父(94歳)の状況について、丁寧に聞き取りをしていただいた。とても穏やかな明るい感じの方で、父も楽しそうに話していた。

 

聞き取りのなかで、「豊齢力チェックリスト」という、耳慣れないものが登場した。

 

「豊齢力」というのは、実家がある某市が提唱するもので、「豊かに年齢を重ねていける力」を意味する造語であるらしい(GoogleのAIによる)。

 

チェックリスト項目は、こんな感じ。↓

(途中いつくか飛ばしている)

 

  • バスや電車で1人で外出していますか
  • 日用品の買い物をしていますか
  • 預貯金の出し入れをしていますか
  • 友人の家を訪ねていますか
  • 家族や友人の相談にのっていますか
  • 階段を手すりや壁をつたわらずに昇っていますか
  • 椅子に座った状態から何もつかまらずに立ち上がっていますか
  • 15分位続けて歩いていますか
  • この1年間に転んだことがありますか
  • 転倒に対する不安は大きいですか
  • 6か月で2~3Kg以上の体重減少がありましたか
  • お茶や汁物等でむせることがありますか
  • 口の渇きが気になりますか
  • 週に1回以上は外出していますか
  • 昨年と比べて外出の回数が減っていますか
  • 今日が何月何日かわからない時がありますか
  • (ここ2週間)毎日の生活に充実感がない
  • (ここ2週間)以前は楽にできていたことが今ではおっくうに感じられる
  • (ここ2週間)自分が役に立つ人間だと思えない
  • (ここ2週間)わけもなく疲れたような感じがする

 

父は、そこそこの結果だったように思う。

 

チェックされていない私のほうが、だいぶまずいような気がした。😱

 

外出の機会はどんどん減っている。

日用品の買い物は、ほとんど配達頼み。

階段は手すり必須。転倒不安どころか、つい先日盛大に転倒している。まだかなりあちこち痛い。

15分続けて歩くのは、かなりきつい。

日付は常に分からない。

 

…まあ私のことは置いておく。

 

父の介護保険認定調査のために、訪問調査センターというところから人が来てくれるそうで、電話で訪問日時を決めることになった。

 

ケータリングについては、父は必要ないと言い張っていたけれど、とりあえずお試し3回は無料とのことなので、翌日からお願いすることにした。父に食べてもらって、良さそうであれば、包括センターの方に連絡して、私の支払いで契約してしまおうと決めた。

 

午後3時過ぎ、母の見舞いに行くために、タクシーアプリでタクシーを呼んだ。

 

実家から病院までは、タクシーで20分ほどかかる。料金は3000円前後。公共機関を利用すれば、600円くらいで済むようだけど、バスの本数が少なく、うまく乗り継いでも一時間以上かかる。往復二時間、電車とバスで立ちっぱなしでは、私の体力がもたないので、高いけどタクシーを使っている。うっかり過労や風邪で倒れでもしたら、いろいろと詰んでしまうから、絶対に無理はしない。

 

母と面会していると、看護師さんが来て、病院のソーシャルワーカーさんの予定がちょうど空いたと知らせてくれたので、面談をお願いすることにした。

 

ソーシャルワーカーさんは、母の転院先の候補として、市の中心部に近い病院と、実家に近い病院を、それぞれいくつかリストアップしてくれていた。

 

市の中心部に近い病院リストは、他県に住む私が新幹線から降りてすぐに行ける場所ということで選んでくれたみたいだけど、実家に近い病院のほうが、退院後の通院に便利だし、なによりも父が安心すると考えて、そちらのほうをお願いした。

 

住所を見ていくと、実家に一番近い病院は、徒歩圏内にあることがわかったので、そこを第一候補として、ベッドの空きが確認出来次第、連絡をもらえることになった。

 

話の途中で、ソーシャルワーカーさんの前の職場が、長女さん(29歳・難病持ち)の幼少の頃の長期入院先だったことが判明。当時お世話になった小児科の医長さんの名前もご存知で、世の中狭いとつくづく思った。

 

リハビリ病院への入院は、最長3ヶ月までで、だいたい2ヶ月で退院になるという。三月下旬に転院すると、退院は五月下旬。両親の介護の認定が出るのが四月下旬。

 

三月いっぱいは私が実家に滞在するとしても、四月以降、どう遣り繰りしても、父が一人になる日が出る。介護サービスが使えるようになるまでの間、綱渡りの生活になりそうだ。その綱渡りに、私の体力が持ちこたえるかどうか、自分でもさっぱり分からない。

 

分からないことを悩んでも無意味なので、体力を極力温存しつつ、お金で解決できることがあれば惜しまずにお金を使って、出来ることをやろうと決めた。

 

ソーシャルワーカーさんとの面談終了後、母の母を見てから、タクシーで帰宅。

 

晩ご飯は末っ子が作ってくれた。豚汁と、チンした鰻。

 

 

介護メモ(3月14日〜3月16日)

先週土曜日(3月14日)

 

末っ子と二人で実家に帰省したら、母(88歳)が立てなくなっていた。

 

朝の5時にゴミを出しに外に出て、道端で転んだのだという。

 

同居している父(94歳)は、目が覚めて、家の中に母がいないのに気づき、玄関先で倒れている母を発見。

 

母は、ゴミ捨て場からの30メートルほどを、何十分もかけて、玄関前まで這い戻ったらしい。😭

 

足腰の悪い父が、なんとか頑張って家に引っ張り上げたものの、母は自力で立ち上がれる状態ではなかったため、2階の寝室ではなく、玄関そばにある居間のコタツまで、引きずるようにして連れて入ったという。

 

末っ子と私が実家に到着した時、母は、大鍋いっぱいに炊いた赤飯をコタツの上に据え、せっせとかき混ぜていた。

 

私たちが帰省する時、母は必ず赤飯を大量に炊いてくれる。転んで台所に立てないので、普段は全く料理をしない父に指令を出して、赤飯を炊かせ、魚を焼かせ、惣菜なども作らせていたのだとか。

 

座って赤飯を混ぜている母は、口は猛烈に元気だったけど、顔色が紙のように白かった。これまでの人生で、ここまで顔色の悪い人を私は見たことがない。転んだだけで、こんなに白くなるものかと思いながら、身体の痛みの様子を聞いてみたけど、

 

「ただの打ち身だから、動くと痛いけど、座ってれば、どうってことないの!」

 

と、元気に言い張る。外科で診てもらったほうがいいと言っても、「湿布貼ってるから大丈夫!」という。

 

それならば湿布の在庫はあるのかと確認すると、ほとんどないというので、近所のドラッグストアまで買いに出ることにしたのだけど…

 

両親の住む家は、私が実家を離れてから建てたものなので、私は住んだことがなく、周辺の土地勘もない。

 

Googleマップで位置を確認して向かったら、ドラッグストアの看板は見えてきたのに、入り口と反対側の道に出てしまった。店の周囲をぐるりと迂回するのが面倒で、隣の店の駐車場を横切ってショートカットをしたのだけど、隣の店の敷地とドラッグストア入り口へ続く道との間に、30センチ弱ほどの段差があった。

 

その段差を、階段を降りるようなつもりで降りたのが、まずかった。

 

片足が下についた時に、落下の勢いがついていたらしく、体を支えきれず、見事にコケた。

 

メガネが吹っ飛び、両膝をそこそこ強打。

咄嗟に地面についた左手のおかげで、頭などを打つことはなかったものの、左手中指を猛烈に突き指した。

 

数分、動けなかったものの、足回りの痛みはそれほどでもなく、捻挫もしていなかったので、なんとかドラッグストアまで行って、痛みどめ効果のある湿布などを、どっさり買い込んで帰宅した。

 

打ち身程度であれば、泣くほど痛くても(正直泣きそうだった)、私のように立ち上がって歩いて帰れるのだ。

 

転んだまま立ち上がれず、30分も這っていたという母は、本当に打ち身程度なんだろうかと思ったけれども、本人に病院に行ってもらわなければ、どうにもならない。けれども母は病院は必要ないと言って、ゆずらない。

 

なにはともあれと、買ってきた湿布を母に貼る作業を開始。

 

痛むのは、左太もも上部の裏側だという。湿布を貼るためには、ズボンを脱いで、うつ伏せか横向きに寝てもらう必要があるのだけど、母は上半身を少し動かすだけでも激痛が走るようで、支えながら、少しづつ体を倒して、なんとか横になってもらった。

 

湿布を貼るために、少し触っただけでも、痛みがひどい様子だった。当分トイレに立つのは無理だと、母も分かっていたようで、紙オムツを装着していた。なんでオムツがあるのかと思ったら、前に父が入院した時に買ったものだったという。それって確か、10年以上は前だったのではと思ったけど、オムツに賞味期限はないだろうから気にしないことにした。

 

打ち身にしては、やはり痛がり方が酷すぎる。

 

もしかしたら、骨折しているのではないかと思って、外科で診てもらったらと言っても、やっぱり病院には行かない、必要ないという。土曜の午後だから診察をやっていないだろう、タクシーに乗るにしても起き上がれないから無理、貼ってもらった湿布のおかげで少し痛みが引いてきた…と、病院に行かない理由ばかり積み上がる。

 

それなら救急車を呼ぼうと言ってみても、とんでもない、いらないと元気いっぱい断られる。😭

 

(この時に強引にでも救急車を呼んでいればと、翌日深く後悔することになる…)

 

湿布のために横になって以降、母は座ることも出来なくなった。夕食の時間になっても食欲がなく、末っ子が切って用意したいちごを数個食べただけで、もう入らないという。水分不足が心配なので、お茶や豆乳を少しずつ飲んでもらった。

 

母の容赦ない指示で家事をしてくれていた父は、だいぶ疲弊していたはずなのに、なにかというと甲斐甲斐しく立ち働いてしまい、なかなかゆっくり休んでくれない。

 

末っ子と私は一泊だけして、日曜午後には帰る予定だったけど、このままでは母(88歳)の介助に奔走する父(94歳)が先に倒れる未来が、嫌でも見えた。

 

3月15日(月曜日)

 

朝起きて、母の様子を見に行くと、顔色に生気というものが全くなくなっていた。痛みのせいで全く眠れず、38度を超える熱も出たという。

 

どう考えてもまずいと思ったけど、母はそれでも「湿布貼って、家で治す」という。

 

父も心配そうにはしているものの、母が元気に喋れているためか、緊急を要する状況とは思えないらしく、病院行きを推してくれない。母がしばらく寝込んでも、自分が世話するから心配ないと言うばかりだ。

 

ここに至って末っ子と私は覚悟を決め、帰宅を延期し、母の救急搬送に向けて動くことにした。

 

まず、年中無休の救急電話相談窓口に連絡して、母の状態を伝えたところ、「救急車を呼ぶべき状態です」と断言された。

 

それを両親に伝え、問答無用で119番に電話。娘の私だと止められるかもしれないので、孫(最強)の末っ子にかけてもらった。

 

数分で救急車が家の前に到着。

救急隊員さんが、丁寧に母や私たちに聞き取り調査をして、足の状態を確認した上で、

 

「おそらく折れてますので、救急対応の病院を探しますが、ご希望はありますか?」

 

と聞かれた。他県在住の私が通いやすいように、新幹線の駅の近くの病院を考えようかとも言われたけれど、この時点で実家での長期滞在を覚悟していたので、実家近くの病院にしてもらった。

 

ほどなく搬送先が決まり、母は居間で担架に乗せられ、救急車へと運ばれて行った。

 

母の着替えや処方薬、マイナンバーカードなどの諸々を抱えて、私も同乗。

 

生まれて初めて乗った救急車は、乗り心地は大変良かったけれど、握った手が異様に冷たい母のバイタル表示が気になって、あまり生きた心地はしなかった。

 

午前9時過ぎに病院に到着。

私は救急外来の待合室に行って、看護師さんに声をかけられるまで待つように言われた。母は別の入り口から運び込まれていった。

 

一時間ほど待ったところで、診察室に呼ばれ、医師から説明を聞いた。

 

大腿部頸部骨折。

かなりの量の内出血。

高血圧。

酷い貧血状態。

 

CTの映像を見せてもらった。折れたというより、も、大腿骨の先端の一部分が、三角形に欠けて無くなっているように見えた。

 

母、どれほど痛かったことだろう。

座って赤飯などかき回している場合ではなかった。絶対に。

 

 

骨折については、金属を入れる手術をすれば、立てるようにはなるけれど、これまでのように歩行できるようになるには、長いリハビリが必要であるという。

 

手術の日取りは未定。

手術の前に貧血の治療が必要になる可能性もあるけれど、そのあたりを判断できる外科医が日曜日で出勤していないため、今はなんともいえないという。

 

で、手術前の入院期間が長期になりそうであれば、転院してもらうことになると言われた。

 

救急対応の病院なので、手術が速やかに済んだ場合でも、今月中には転院になるとのこと。

 

そんなことを今言われてもどうすりゃいいんだああああっ😱と、心でムンクになっていたのが顔に出たのか、転院については、病院のソーシャルワーカーさんが相談に乗ってくれると言われたので、叫ばずに済んだ。

 

説明はさらに続いた。

 

母の状況によっては寝たきりになる可能性もあり、そうでなくても、年齢的に、いつ何があるかは分からないので、それは覚悟しておいてほしいと。

 

さらに、骨粗鬆症で骨が脆くなっていた場合、そちらの治療も必要になるし、手術で入れた金属を付け替えるような処置も必要になるかもしれない…という話もあった気がする。

 

怒涛の説明が終わり、待合室に戻って座っていると、看護師さんが入院案内のパンフレットを持ってきて、今後のことを一通り説明してくれた。入院中の母の着替えなどはすべてレンタル、オムツなども必要な分だけ購入手配してくれるとのことだった。

 

レンタル申し込み書や、いろいろな同意書など、何枚もの書類にサインをしてから、さらに待っていたら、お腹が空いているような気がした。起きてから飲まず食わずだったことも思い出し、入院案内のパンフで院内地図を見たら、ローソンが入っていると書いてあったので、おにぎりとトマトジュースを買って食べた。

 

その後、またしばらく待った。

 

退屈だけど、さすがの私でも本を読むような気分でもないので、入院案内パンフを精読していたら、見舞いの人は不織布のマスク着用のこと、ウレタンマスクや布マスクは不可と書いてあった。

慌ててローソンに戻ってマスクを買い、待合室に戻ろうとしたところで、看護師さんにつかまった。母の病室が決まったのを知らせるために、私を探しまわってていたらしい。申し訳ないことをした。😭

 

母は、点滴をして痛み止めを処方してもらったためか、顔に赤みがさしていた。ほっとした。

 

ここから先の出来事の時系列が、すでに怪しくなっている。あまりにもいろんなことがありすぎて、前後関係が分からなくなっているのだ。

 

これ以上分からなくならないように、覚えていることを順不同で書いていく。

 

病棟での面会は15分以内とパンフレットにあったけど、入院初日ということで、おまけしてもらって、母とゆっくり話した。

 

3月16日(月曜日)

 

LINEで従兄弟と話していた内容を再読したところ、この日の午前中に、私は地域包括センターに電話したようだ。

 

生活支援コーディネーターの方に両親の現状を伝えて、要介護認定申請をお願いしたところ、母の申請については入院先の主治医との間で進めてくれるとのことだった。父の申請については、コーディネーターの方が実家に足を運んでくれることになった。

 

認定が出るのは、4月下旬くらいになるという。

 

母は病院でお世話になっているから心配ないけれど、私が帰ってしまえば、父が実家で一人になる。

 

家事のほとんどを母がやっていたから、父一人では食事もきちんと取れない可能性がある。

 

福祉の支援を受けられるようになるまで、私が実家に居られればいいのだけども、私の家には要介護4の息子(28歳・重度自閉症)がいる。いまは亭主が春休みで家にいるから問題ないけど、仕事が始まると人手が足りない。

 

コーディネーターの方に、一人になってしまう父の食事について相談したところ、介護認定前でも使えるケータリング兼見守りサービスを紹介してもらえることになった。父はそんなものは不要だと言い張るけれども、独断で申し込んでしまうこことにした。

 

 

お昼頃だったか、母の担当の看護師さんから電話が来た。

 

急遽、本日最後の手術枠が空いたので、病院に来てほしいとのこと。昼食後、タクシーを呼んで、病院に向かった。

 

午後2時過ぎ、外科の病棟に行くと、看護師さんが出迎えてくれた。母は大部屋から個室に移動していた。輸血を受けたからか、顔色がすっかり良くなっていて、握った手もあたたかだった。

 

医師の説明を聞くように言われ、小部屋に案内された。すぐに外科の先生が来て、パソコンで母のCTの映像を出して見せながら、妙に圧の強い声で、怒涛の説明を展開した。

 

骨折の状態と、手術後のリハビリについては、救急外来で聞いた説明とほぼ同じだったように思う。

 

骨折による内出血がひどかったせいで、とにかく貧血が重いので、輸血で対応するために、術中と術後の血液の手配をしていると言われた。

 

………

 

もしも、転んだ日のうちに強引にでも救急車に乗せていたら、貧血の重症化だけでも免れたかもしれないし、痛みで一晩寝られないような思いをさせることもなかった。打ちどころがもっと悪ければ、最悪の事態だってあり得たと思う。

 

老人の転倒は、絶対に甘く考えてはいけない。

 

たとえ本人が「たいしたことない、大丈夫」とか「家で治す」とか、強硬に言い張っていても、とにかく病院に運ぶべし。歩けなければ問答無用速攻で、救急車を呼ぶべし。逡巡、ダメ、絶対!

 

両親が生きている限り、このことを肝に銘じることに決めた。

 

………

 

私が後悔をガンガンと肝に銘じている間も、医師の怒涛の説明は強圧モードで続いていた。

 

手術で切ったところはテープでしっかり押さえて、傷口が開かないように管理するという話もあって、今時は縫わないだなあと思ったことも覚えている。

 

大腿骨骨折の話が一通り済んだあと、おまけのように言われたことで、思考が止まった。

 

「全身を撮るから色々分かっちゃうんですけど、肺に二か所、それなりに大きな影がありますねえ。あと、胆嚢と腎臓に、結構大きい石がありそうで」

 

肺にそれなりの大きな影っていうのは、いわるゆ癌ってやつなのでは。

 

胆嚢や腎臓の石が結構大きかったら、いずれ遠からず、激痛のフェーズが来るんじゃないの……

 

母。

マジでほんとに、赤飯混ぜてる場合じゃなかったよ…

 

それらの病気については、外科では判断できないので、他の科に相談してほしいと言われた。先々のことを思うと頭痛がしたけど、いまは大腿骨問題が最優先なのは間違いないので、棚上げすることにした。

 

説明が終わり、母の病室に戻ると、看護師さんから手術についてのお話があった。本日最後の枠なので、前の手術との兼ね合いで、開始が夜になるかもしれないけど、どうしますかと言われたので、病院内で待ちますと伝えた。

 

ところが何分もたたないうちに、看護師さんがカッ飛んできて、「これからすぐ手術室に入ります!」と言って、バタバタと準備が始まった。

 

「私は頑張らない!」という母を「頑張らないように頑張って戻ってきて!」と見送ったあと、終わるまでどこで待てばいいかと看護師さんに聞いたら、院内のローソン前のベンチを推薦してもらったので、そこで軽食など取りながら待つことにした。

 

ローソンのヴィジソワースは、怒涛の状況に疲弊していた胃と心に、優しく沁みた。

 

母の手術は二時間ほどで終わったようだ。

 

ローソン前のベンチで呆然としていると、看護師さんがわざわざ迎えにきてくれた。もしかすると、館内放送で呼びだされたかもしれないれけど、全く聞こえていなかった。

 

外科の病棟に上がると、執刀してくれた医師からの説明があった。手術前に怒涛の説明をしてくれたのと同じ先生だったけど、別人のように圧が抜けて、ふわふわと頼りなさげな声色だったので、まさか手術に不具合でもあったのかと不安になったけれども、そんなことはなく、すっかりうまくいったらしい。外科のことは何も分からないけれど、手術が激務であることは間違いないから、きっと燃え尽きて消耗した状態だったのだろう。

 

説明を聞き終えて、母の病室に行った。母はまだ麻酔から覚めていなかったので、部屋に来てくれていた看護師さんとお話をしていたのだけど、何を話したのか全く覚えていない。私もだいぶ疲れていたのかもしれない。

 

しばらくして、母が目を覚ましたので、少しだけ話をした。痛みは遠くれる離れたところに去った感じがして、寒さや冷たさも感じないという。顔色はとても良かった。

 

タクシーで実家に戻ると、末っ子が晩ご飯を用意してくれていたので、父と3人で食べた。

 

あまりにも長くなったので、とりあえずここで切る。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




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