この四年間、色々な死を見てきた。
最愛の祖父が亡くなり、翌々年に父親が亡くなり、その翌年に尊敬して生き方の指針にもしていた空手の先生も亡くなった。
金翅鳥院でも色々な動物が亡くなった。
特にレンちゃンが亡くなったときは涙が堪えられなかった。

今まで温かったはずの体がものの数分で氷のように冷たくなる。
今まで父親だったものがただの“物体”になる。
そういう経験をここ数年で嫌というほどしてきた。
それまで肉親の死は小学1年生のときから経験していなかったので、縁遠いものだと思っていた。
でも違った。
“死”とは特別なものでもなんでもなく、自然のプロセスのただただ一部でしかない。
頭では分かっているつもりだったが、死を目の当たりにする経験を重ねて心底思い知らされる。
自分にも遅かれ早かれその時が来るのだろうと死に直面する度に思わされる。
生には制限時間がある。
ではその間何をすればよいのか?
人生は長い暇つぶしという話もよく聞くが、
ただの時間潰しには長すぎる。反対に色々なことに挑戦するには時間が足りない。
何かに絞ってそれを成し遂げようとするのでギリギリなのかもしれない。
どういう結果になろうとも死ぬ時に
「ああ、辛かったけども生きてて良かったな」
「報われたな」
と思うようにするには全力疾走し続けるしかないと僕は思う。
「武士は死ぬことと見つけたり」
という言葉の意味が少し分かった気がする。