師匠が昨日、
「神仏の世界にはお金というものがないから、単純にお金が欲しいといってもピンとこない」
と仰っていました。

僕はそれを聞いて色々考えさせられました。
では財運上昇、金運上昇、商売繁盛などの祈願はなぜあるのでしょう?
お金の概念がないのではれば、そういった願いも聞き入れてくれず、叶わないのではないのでしょうか?
これは僕なりの答えなのですが、
神仏はダイレクトにお金は運べないけども、その代わり“人の縁”を運んで頂けるのではないのかなと思いました。
“お金は天下の回りもの”という言葉がありますが、お金の本質は流れであり、それは人が運んでいるものです。
だからお金というものを“水物”であると捉えていないと駄目だと思います。(四柱推命ではお金は五行の水の要素に分類されるようです)
最初、羽振りが良かった社長が豪遊して散財し、時代が変わって途端に稼げなくなるなんて話はいつでも聞く話ですよね。
それはこの状態(お金が稼げている状態)がずっと続くと勘違いしているからです。

「じゃあまた稼げばいいじゃん」と思うかもしれませんが、お金稼ぎの天才でない限り難しいと思います。運の要素が多分にありますから。
話が少し脱線しましたが、
じゃあどうお願いすれば良いのでしょうか?
答えは簡単で、“ゴール地点をお願いすること”です。
「何万円欲しい」ではなく、「何々が欲しい」「何々になりたい」とお願いすることです。
そしてお願いした後、
“自分の思いつく範囲、できる範囲のことは全てすること。”
これに尽きると思います。
すると思いがけない出逢いがあったり、巡り合わせがあったりするわけです。
僕もお坊さんになりたかったのですが、こういう形でなれるとは思ってませんでした。(普通なるには何百万というお金がかかります。)
ただ、あまりプロセスにはこだわらない方が良いでしょう。
例えば「何々をしていつまでに何百万貯める」みたいにキッチリカッチリ決めてしまって、それに固執することはあまり望ましくありません。
軌道修正が難しくなってしまうからです。
そして叶えば必ずお礼参りをしましょう。
助けてくれた人がいるなら、必ず感謝しましょう。
「全て自分の実力で手に入れたんや!」と思うのは愚の骨頂です。最たるものやと思います。
実力を発揮できる土俵に立てるのも運ですからね。
そこに感謝のない人間は多少成功しても長続きしないでしょう。
お金だけではなく、人も離れていき、前より悲惨な状態になるかもしれません。