お磨きの日、名古屋の兄弟子さんがいらっしゃいました。
その方が内陣を掃除している際、本尊である十一面さんの顔をフッと見ると「あ、田阪君だ!」と思ったようです。
誠に畏れ多いことでございます(汗)。

師匠曰く、行者の境涯が上がると行者が仏の顔に似る、もしくは行者の境涯が下がると仏像の方が行者の顔に似てくるものらしいです。
後者やったらホンマにすみません!
ただ、別の見方で言えば、感応道交が出来ているということでしょうか?
修法で行者が本尊になり、本尊が行者になります。
入我我入というものです。
それが上手くいってるから、顔つきというか、雰囲気が似てくるのかもしれません。
大変畏れ多い事でございますが。
そういえば昔X(旧Twitter)で、あるお坊さんが霊覚者に会った際、「君、十一面さん拝んでるね。」と言われたそうです。(実際ずっと拝んでいたようです。)
当時の僕は僧侶でもないですし、そんなことあるんかなーと思っておりましたが、こういうことなのでしょうか?
そういえば、十一面さんは本当にコンタクトが取り辛かったです。
お不動さんで一洛叉をしていた際、すぐにコンタクトが取れた感じがありました。
安心感がドッと入ってくるのです。

当時は気のせいかなぁと思っていたのですが、
不動供を何百座もしているうちに何度も同じ感覚になりますので、
「あぁ、やっぱりそうか、勘違いじゃなかったんだ」と思いました。
お不動さんは優しいと皆おっしゃいますが、その通りだなぁと思いました。
反対に十一面さんは最初拝んでも何も感じない。
お不動さんの場合は唱えた真言が安心感のようなエネルギーが自身に跳ね返ってくる感覚があったのですが、それが全くない。
糠に釘、スッカスカです。素通りしていきます。
「お前みたいなもんが拝めると思ってんのか?」
と言われてる感じでした。
ただ、今はそういったことはなく、
自身即ち十一面という感覚になります。
もっと十一面さんのことを知りたいので、拝んでる最中色々問いかけるのですが、それでもなかなか分からない。掴みどころのない方ですね。
ただ、十一面さんはクールな方と皆おっしゃいますが、根っこは熱い方なのかな?と勝手に思っております。
ギリギリになるまで叩き落として、「もうあかん!」となると「よっしゃ!引き上げたるわ!」と助けてくれる方なんじゃないかなと思っております。
あんまり調子に乗ったこと言うと障碍が出そうですので、この辺にしておきます。
合掌。