仏教には八正道というものがありその中に“正見”という言葉があります。
仏教は因果論と三世思想が根本にある宗教です。
なので、正見の内容の一部をすごく簡単に申しますと、
今という結果、現状は過去世から続く原因により
起っているものであるということを認識せよとうことです。
また、その“現状という結果”がまた未来の原因となり、
それが永遠と続いているということです。
(あまり学問的には詳しい人間ではございませんので、細かいところはご容赦ください)
その正見まで深いものではありませんが、
私はあることをきっかけに、
“物事を正しく観ようとする努力”をすることが癖になりました。
この話は後々に書いていこうかと思っていますので、
詳しいことは割愛させていただきますが、
これがきっかけで“客観視する”というスキルが身につきました。
ふたつともかなり厄介な病気です。
なったことない人には想像がつかないかもしれませんが、
主に“死ぬのではないのか?という強烈な不安感”と、希死念慮という“理由もなく死にたいという感情”が体と精神を支配する病気です。
この感情を抑えるためにいろいろな薬を処方される訳なのですが、
それでは足りなくて、良くなるためには、
これは“病気の症状だ”という認識が必要です。
つまり、意思と感情を切り離す、
自分の体の状態を客観視するという訓練をしないとなかなか良くなりません。
感情に飲み込まれてしまうと極論自〇してしまったり、そこまでいかなくても感情を思いのままに野放しにすると、それが余計にひどくなってしまいます。
脱臼癖みたいなものなので、その状態が続けば続くほど、その激しい感情は襲ってくるようになるのです。
それを客観視して自分の意志で食い止める。
いや、食い止めるというか放置する。
例えば感情の渦に飲み込まれている状態であれば、
「なんでこんなに私は不幸なの」
と言いながら物や人にあたることだとすると、
放置するというのは
「ああ、今自分の体の中は悲しいという感情でみたされているな」
と“引いて見て、第三者のように観察する”ということです。
すると不思議ですが、時間がたつとその感情が引き潮のように引いてきます。
ああ、感情って永遠とおなじ状態ではなく、
波があるんだなと分かるようになってきます。
病気の話が長くなってしまったので、ここで終わりますが
この経験が今後の人生にすごく役立つことになりました。
この話は次回に。
合掌。