昭和時代の高校生のころの話。
当時、アルバイトは高校で禁止されていたが、なぜか年末年始の郵便局バイトはOKとなっていたので、パソコン新機種購入の軍資金のために初のバイトチャレンジへ。
学校が冬休みに入った日がバイトの初日。高校生が6,7割で残りは大学生とか主婦とかだった。初心者でも簡単にできる短期バイトの定番だったんでしょうね。
仕事は配達と仕分けの2種類。自分は配達担当で確か時給は550円くらい。仕分けよりが20円高かったかな。
赤いカラーリングの自転車で少々恥ずかしかったが、ヘルメットをかぶるので知り合いに会ってもばれにくいかなと自分に言い聞かせた。
配達エリアは繁華街を抜けた住宅街。坂がほとんどなく、また企業も少ないので小包や書留などの特殊なものが少なく比較的楽であった。そもそも12月もクリスマスを過ぎると正月までは郵便のやり取りが減る傾向はあったようだ。配達トレーニングとしてはちょうど良かったのだろう。
ヤクザとかが居そうな雑居ビルの集合ポストに怪しげな白い粉が入ったビニール袋にビビったり(単にお清めの塩が入っていただけ)、南極観測隊からの家族にあてた写真葉書を配達したりとか少し刺激的なこともあったりすることもするが、基本穏やかな仕事でした。
午前、午後の2回の配達が終わっても定時まで時間があったりすると年賀状の仕分けの手伝いとなる。当時郵便番号は市区町村の区分けまでの5桁の時代。機械化も進んでいなくてほとんどが手作業。しかも、企業が冬休みになる28日、29日に書いて出す人も多く、大みそかまでの3日間は仕分け担当の人は夜遅くまで残業してましたね。
そして元旦。配達担当が一番忙しい日。仕分けできている分はその日のうちに配達するのが決まりでバイト部隊も朝8時から仕事開始です。みかん等を収穫するような黄色のコンテナに郵便物を詰めて、通常は郵便局と配達エリアと2往復もすれば完了なのですが、その日は15往復くらい。中には当時県議会議員、のちに市長になる政治家の家だとその一軒だけで2往復しました。葉書だけでコンテナ2箱分って、メールなどがない時代とは言えすごかったですね。年賀はがきの当たりで切手シートを100枚は堅く、一等も当たったんだろうな。
一方、普段の配達では行かない家にも年賀状だと届いたりするので、改めて地図を見ながら苦労してポストを探しだして配達。それでも15:00くらいには全て完了しました。
正月ということもあり、仕分けも休みなので定時前だけど仕事終了。自宅に帰ってコタツに入ってウトウトしてました。すると、呼び出し電話があり至急郵便局へ。まだ年賀状が届いていない家があると説明があった。郵便物の紛失となると重大インシデントになるのでかなりヤバい状況ということで緊迫した面持ちの局員から状況説明の要求。その番地の家には配達した記憶があったのでそのことを説明、改めて現地へ。すると、自分がポストだと思って入れたところはその家の物置の受け口だということが判明。初めて配達した家で、道路際は物置で細い路地を入ったところに自宅玄関があるというトリッキーな住宅構造でした。
最終的に一言謝まって問題には至らなかったのですが、学生仕事でも大きな責任が生じるということで本当良い社会勉強になりましたね。ただ、ほぼ最低時給なのにちょっとトラウマになりかけたので、翌年以降このバイトをやることはなかったですが。

(郵便局そばの温水池からの2025年正月の富士山)