ずっと「自分と話すのが一番楽しいなぁ」と思っていたし「付き合うなら自分みたいな人と付き合いたいなぁ」と思っていたので、結局自分とずっと話して20代が終わった。もちろんいろんな形で他者が介入してきたが、深く介入させないよう無意識的にバリアを張ってきたことは確かである。
私はこれまでの10年ひとりで「暮らし」をやってきた。だからこそ、これからの10年はふたりで「暮らし」をやっていきたいというのは自然な欲求なんじゃないかと考えている。実家を出て独り暮らししたい気持ちが自分勝手ではないように(もちろん行動には責任が伴うが)、誰かと暮らしたいという欲求も自分勝手ではないと思う。しかし、そこには他者がいるわけなので、自分の幸せの道に、相手の幸せの道が交差している状態を目指したい。
もちろん誰かとの生活がこれからの人生のすべてではない。人間としての活動として軽く例を挙げるだけでも、仕事、趣味、友人、一人の時間などがあり、だれかとの生活は1つの要素でしかない。でも確実にこれからの基盤や土台にはなるだろうし、それが崩れるとと心身や生活に影響が出る。
となるとこれからも自分と対話しながら暮らしていくのが一番楽だし、平穏なのかもしれないが、それでも「ふたり」をやってみたい。単純に楽しそうだからやってみたいんだよな、という気持ちになっている。楽しそうだからやってみるのが俺の人生である。
とはいえそんな関係の人もおらず、いいかも?と思っても結局私が勝手に幻滅するみたいなムーブを何回もやっている。これ以上知り合い以上友達未満の人を作ってもどうにもならない、これ以上金と時間を割く関係性を作ってどうなるんだ、極力どうでもいい人間関係を増やしたくないという気持ちが強い。だがどんな人間関係も知り合いから始まるんだと思うと、やっぱりなるべく多くの人ときちんと向き合わなければならないんだろうなと感じている。こういうことを書くと全方位に失礼になると思って今まで書いてこなかったのだが、私は大体こんな気持ちです。でも決して人嫌いとかそういうのではなくて、自分が直感的に仲良くなりたいと思った人にはガンガンいこうぜでガンガンやるし、狙い撃ちの成功確立が高かったりする。
ちなみにこの日(5/23)は大阪万博に行った。これが人生初めての万博で、来られたことが純粋にうれしかった。平日のほうが空いているだろうとわざわざ休みを取ってきたのだが、この日は小中学生の遠足や修学旅行生がめちゃめちゃ多く、会場内はカオスだった。後から知ったことだが、この日が開幕後もっとも来場者数が多い日だったらしい。運がいいのか悪いのか…。一番行きたかったイタリア館の予約が取れなかったのは残念だったが、生きていれば別の機会に今回の展示品を見るチャンスはめぐってくるだろう。
事前予約ではオランダ、ポーランド、アラブの予約が取れたので、あまり並ばずに入れる施設を中心に回った。万博で一番何が面白かったかというと、パビリオンの展示よりも説明員とあれこれ話すことだったので、個人的にはこの回り方で良かったと思う。
パビリオンごとにアピールポイントが異なっていて、「アート」、「伝統や文化」、「産業や観光」、「環境問題などの課題」、「建築と内装で国の雰囲気をふんわり伝える」の5つにざっくり分類できると思った。万博には自国の権威を示す土俵的な側面があるとずっと思っていたが、資本主義の競争レースから外れた展示もまあまああって、それを知れたのが本当によかった。
オランダパビリオンは水没との戦いと水との共存をテーマにした展示だった。月並みだけど海面上昇は世界共通の問題だし 、自分ごととしてとらえなければならないと思った。一個人が一人では生きられないように、国も自国だけの力では生きられない。
1970年大阪万博では「月の石」が、2005年の愛知万博では「冷凍マンモス」が目玉展示だったが、今回はそのような突出した目玉はなかったように思う。(しいて言うならイタリア館のミケランジェロの彫刻「キリストの復活」 なのだろうが、それは美術品であって、産業革新や世紀の大発見的なものではない。太陽の塔のようなマスコット的なシンボルでもないし)だからこそ全体を満遍なく見たいなぁと思えたので、それはそれでよかった。
そして大屋根リングは想像の5倍くらい大きく、一周するにも相当な時間がかかった。リングの上には花や草が植えられており、通路も2~3本に分かれていて凝った作りだった。このリングを散歩するだけでも結構楽しいのでおすすめです。
私は親戚に外国人がいて、その人の出身国のパビリオンに行き陽気な説明員と写真を撮った。それを当人とパートナー(私の叔父)にそれぞれ送ったら「本人は日本にいる○○人が嫌いなんだよね」と叔父からメッセージが来た。知らなかったのは申し訳ないが、なぜそれを私に言う…?と思ったりした。説明員は日本在住じゃなくて本国から派遣されて来た人(日本語はあいさつ程度しか喋れない)だったし…。この人昔からずれてて苦手なんだよな。
万博ではレストランがどこも混んでいて、結局コンビニのサンドイッチやおにぎりを食べた。思いのほか食費が節約できたのでこれはこれで良い。旅では可能であれば現地の名物を食べたいが、食べられなくても別に後悔はないタイプの人間です。
読んだ本
見た映画
すばらしき世界(2021年、西川美和監督)
許可局のバックナンバーを聞いていたらお三方が絶賛されていたので見た。とてもいい映画だった。
どこまでもまっすぐな男、三上(演・役所広司)。施設育ちで十犯六入、ヤクザに居た時期もあり、ケンカのマー坊で名が通っていたらしい。50代でも腕っぷしの太さは健在であることは、作中でも明らかになっている。殺人罪で服役した旭川刑務所を出所後、あるテレビ番組あてに「生き別れた母親を捜してほしい」と身分帳(生い立ちや犯罪歴が書かれた帳簿)を送ったところから物語が始まる。
出所後、生活保護を取得し、就職先を見つけようと奔走する三上だったが、高血圧 の持病もあり、なかなかうまくいかない。「社会から施しをうけて生きるのはごめんだ」と悔しそうに顔をゆがませる三上だったが、ひょんなことから知り合いになったスーパーの店長(演・六角精児)は「それが日本の社会保障なんだから、頼っていいんだよ。まずは体を治して、それからゆっくり始めればいいじゃない」と言っていた。本当にその通りだと思った。ただ三上は長く刑務所にいて税金で飯を食っていたから、なおさら早く堅気として自活したかったのだろうな。
取材をする津乃田・吉澤は「やくざが社会生活を通して更生する姿が視聴者には新鮮に映る。生きづらさを抱える人の指標になるのでは」と言っていたが、生きづらさを抱え、三上から生きる活力をもらっていたのは視聴者ではなく津乃田自身だったのではないかなぁと思った。
最後、三上は高血圧の発作で亡くなってしまう。あれは私には自分で死を選んだようにしか見えなかった。なぜならすぐ近くの机かカバンの中には薬はあるはずで、これまで発作が起きた時のようにその薬を飲めば対処できたはずだからだ。
その日三上は知的障害のある同僚が虐められている場面に遭遇しながらも、暴力的な衝動を抑え、見て見ぬふりをした。その後虐めていた職員が「あいつ、ほんとふざけんなよ」と言いながら身障者や前科者、やくざに対してボロクソにし、知的障害の同僚の物まねをして「似てますよね?三上さん」と問いかけ、三上は逡巡したのち同調していた。就職祝いの席で友人たちに「短気を起こしちゃいけないよ。カッとならずに受け流す、頭に来ることがあったら私たちのこと思い出して」とアドバイスされたことを忠実に守った結果だった。
しかし以前に三上は「お前らのような卑怯な真似をするくらいなら死んで結構たい」と言っていた。優しく朗らかに接してくれる知的障碍者の同僚を裏切ってしまった自分も、お前らのような卑怯者になってしまったと自覚したのだと思う。
そしてボロアパートの二階で暮らす三上の姿に、どうしてもPERFECT DAYSの平山(演・役所広司)を重ねずにはいられなかった。住んでる街も同じ隅田川沿いの下町エリアだし。あそこで薬を飲み、介護施設のパートを続けて運転免許を取り、完全に自活できるようになった姿が三上のifルートなのではないかと思ってしまった。
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バスに乗ってFor Youを聞くとなぜだか涙が出てきます。