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NW(なにもできないウィーク)[2025/5/16(金)]

大人になってからの遊びのバリエーションが「食べる、飲む、鑑賞する」くらいしかなくなりつつあるのがさみしい。私は公園でピクニックしたり、バドミントンしたり、川で釣りしたり、サーティーワンたべたり、たこあげしたり、散歩したりしたいのだが、誘うと「それはまた今度」とやんわり断られることが多い。なんでだよ~…飯食ったあとにすぐカフェとか入りたくないし、正直 そんなに話すことないよ~…と
思ったりしている。
だから一人でたこあげしたり、釣りしたり、散歩したりしている。一人でやるのは普通にたのしいが、バドだけは相手がいないとできない。だれか一緒にバドミントンしませんか?いつまでたっても小5みたいな遊びをしたい。
年森瑛「#N/A」の一説にもあったけど、なんでコミュニケーションを取るために人と人との間に食べ物を置かなきゃいけないんだろう。ビジネスの場だったら別に食べ物はいらないのに…まぁ外でゆっくり話す=椅子と机がある場所=カフェだから、食べ物や飲み物があるのは仕方のないことなのかもしれない。
しかし「同じ釜の飯を食う」ということわざがあるように、食べ物で人間関係が円滑になる事実はある。ただ、前前職で課のみんなでうなぎを食べたことがあるのだが、その時は誰一人しゃべらなくて、お通夜みたいな空間だった(むしろお通夜のほうがにぎやかまである)。あれは本当になんだったのだろう。マネージャーがあせあせしてた記憶だけがある。


話は変わるが最近少しずつ不用品を処分している。不用品を選別しているときにいつも思うのは、「物を長く大事に使うのと、古くなったらさっさと捨てて新しいものに変えるのってどっちが結局自分を大切にしているのだろう」ということだ。そりゃ消耗品と耐久品とじゃ話は変わってくるだろうが、どちらも両立しうる価値観だからこそ、自分はどっちタイプなのかなと思う。特に思うのが下着やリネン類で、「まだ使えるけど古くはなってきてる」みたいな状態で捨てるのは…といつも躊躇してしまう。タオルやシーツは切って掃除に使えるからまだいいとして、問題は下着である。多分ちゃんと定期的に捨てるサイクルを作った方がいいのだろうな。
ちなみに自分が持っている最古のものははさみで、幼稚園の頃から使っている。ということはかれこれ30年近く使っているわけだ。切れ味が全然悪くならないし、てんとう虫形のフォルムが可愛いので気に入っている。死ぬまで使うと思う。


さて、水曜日、木曜日と久々にリベンジ夜更かしをしてしまった。これをやるのも約半年ぶりと、再サラリーマン生活も板についてきたなぁと思った。なぜなら仕事のストレスがない限りやらない行動だからである。どうせ夜更かしするなら映画を見たり本を読んだりしたいのだが、やるのはダラダラスマホなんだよなぁ。「パズドラしかやる気しないんだよ!」と逆切れする花束みたいな恋をしたの麦くんと一緒です。
気分を上げるために朝はドトールでモーニングを食べようじゃないか!と思い立ち、職場近くのドトールへ。いつも通りクロックムッシュをオーダーしたのだが、食べてもそんなに感動がなかった。え…?と驚いたが、逆に言えばこれは体が疲れてるからあまりおいしく感じないのだと思った。文フリの疲れもあるし、何より転職して3か月だし、疲労がたまってて当たり前だよなぁ。そのほかでもいろいろと心配事があったりするし。今日の夜は軽く走ってから眺めに風呂に入ろうと心に誓う。同じものを食べて対象を定点観測するのは大事だ。



今日は普通に残業をして帰宅、夕食の前にジムに行って走った。そのまま適当に野菜炒めを作って食べた。この時点で9時を回っていて体には悪そうだが、食事を抜くのも良くなさそうなので良しとする。金夜なので映画を見たい気分だったが、疲れてそんな気にはなれず、うた☆プリDebutをすこしだけ進めてから寝た。それにしても今週は本当に何もできないウイーク(NW)だったな。そろそろHSKの勉強を本格化させたいのだが。
GWから加湿器を運用しているのだが、それでも部屋の湿度がひどい。来年の6月には更新が来てしまうので、それまでに引っ越すかどうかを決めたい。最近の賃料の高騰具合からすると、多分引っ越さないと思うけど。


読んだ本

李琴峰『日本語からの祝福、日本語への祝福』

「珠玉の語学エッセイ」という宣伝文句に偽りなしの素晴らしい一冊。
中国語圏では漢字以外の文字をほとんど使わないため、外来語に対しては音訳という手法が使われることが多い。「cool(かっこいい)」は「酷(kù)」と訳される。そのことに対して「意味から離れられない漢字とは対象に、日本語の、特にひらがなは意味から離れ、音は軽やかで、ぴょこぴょこ跳ねているように感じられた 」とつづっている。
中国語(繁体字)話者が日本語を習得する過程を通して、日本語がどういう言語なのかを初めて深く理解できた。日本語、日本留学にまつわるエピソードで筆者の日本語への探求心とガッツがビシビシ伝わってきた。

見た展示

宮本典刀―街の記憶―@吉祥寺美術館

銅板画の展覧会。どの絵も色彩のトーンが統一されていて美しい。小学校の国語の教科書の絵にこんな感じの絵があって、子供心に好きだなーと思っていたので、似たテイストの絵を見られてうれしかった。
版の模様は銅板を腐食させて出すらしい。版画は知らないことだらけで見るものすべてが新鮮である。
宮本さんの版画は基本的に三角屋根の建物をモチーフとしているのだが、ところどころに人影があるのもあった。その物語性がよかった。


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宇多田ヒカルの歌詞は、人生のどこかで「言葉でなく心で理解できた」というタイミングが訪れる。




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