久々に気力のない日だった。前日の歯列矯正の調整が痛むせいなのか、暑さのせいなのか、両方のせいなのかとにかくやる気がなかった。
暑いととにかく外に出たくなくなる。自分の場合外に出てしまえば割とどうにでもなるのだが、昨日はそれができなかった。これが仕事なら普通に外に出たのに…と思ったが、この災害級の厚さの中毎日出社させられている方がおかしいので、そもそもこの前提がおかしいなと思った(取材の日以外はマジで出社する合理的理由がなくて、本当に苦痛。テレワークさせてくれ…通勤の苦労はしなくていい苦労だと思う。転職したい。)せめて一日涼しいところにいられる日は涼しいところにいようとなんとか自分を納得させた。本当に、毎日出社させる意味が分からない。合理的な理由なんてない。多分熱中症で人が死んでも変わらない気がする(前職では熱中症で亡くなった方がいたけど、特に職場環境は変わらなかった)。
つい2年くらい前まで真夏でも四六時中マスクを着けていたなんて信じられない。コロナ禍真っ只中の時は「コロナ」という話題も言ってはいけないあの言葉みたいな扱いで、異様な雰囲気だった気がする。どこに行っても消毒したりCOCOAの提示を求められたり、そんな日々だったが意外とそんなに記録には残っていないし、自分も記録してない。信じられるか? 赤ブーのイベントに入るのに接触確認ページを提示しなければならなかったなんて…
あの頃はどこもかしこも空いていて本当に快適だった。あの人っ子一人いない新宿、戻ってきてほしい…
本当は今日こそ千倉に行く日で、千倉の最高気温は32度程と東京よりずっと涼しい。千倉に行きたいのは、とにかくもう東京の臭い空気を吸いたくないからなのであった。いつも通勤で使う地下鉄の通路がとにかくドブとカビの匂いがして、とにかくそれを毎日嗅ぐのが嫌だった。海に行ってきれいな空気と海の香りをかぎたった。出・東京。EXODUS、エグゾダス、えくそだすっ、エキソドスの気分だった。が、出発の朝、どうしても行く気になれず(歩いて電車に乗ってバスの出発地の東京駅にいくのですらハードルが高い)、キャンセル料を払ってバスをキャンセルしてしまった。自分の経験上、行きたくないけど行った場合、6割くらいは「やっぱ来てよかった!」になるが、2割くらいは「やっぱ来なくてもよかった」になり残りの2割が「体調が悪くなる」になる。その賭けは今日は避けたかった。
昼くらいになると、「あーーーーやっぱり行けばよかったな千倉に。移動と言ってもバスで2時間寝てるだけなんだから…」という気持ちが押し寄せてくる。自分っていつもこうだ…5月6月は毎週末どこかしらに出かけて「出かけてることで時間を有意義に使っている気になっているだけなんじゃないか」と思っていたけど、やっぱり家にいるよりどこかに行った方がいい気がしてくる。これもある種の強迫観念か。
せめて夕方にプールに行こうかと思ってたが、去年屋外プールに入ったらプール熱をもらったし、もし今手足口病なんかをもらったらひとたまりもないな…と思ってやめた。屋外プールは冷たくて好きなんだけど、屋内プールより病気を貰う確率が高くなる気がする。ちゃんとシャワー浴びてうがいしてもこれだもんな。なんか、失うことが怖くてなにも動けなくなってるなと思った。そして結局何も手に入れられない。
辛いものでも食べてリフレッシュしたかったが、そうめんすら噛めないありさまで(歯が痛くて千倉に行ったところで何も食べられないというのも断念した理由のひとつ)これはフラストレーションもたまると思った。かといって運動もしたくない。なにもしたくないの境地に至ってしまった。クリスタで漫画を描いても操作感に慣れず(Adobeのソフトの操作に慣れてしまったため)描いたりやめたりを繰り返す。漫画を読んだり久々にスマホを見たり、寝てごした。ものすごく怠惰な一日だった。もうちょっとこう、人生を気楽に考えたい。読書とかいくらでもしたいことはあるわけだし。
そういえば最近、除湿器を買った。一晩で2リットルのタンクが満水になる。空気中に2リットル以上の水が浮いてる室内、やばいな…勝手から湿度でイライラすることは減った。特に寝室が湿気やすいので、睡眠時の不快感が減ったのはうれしい。水と一緒に陰な空気まで除去してもらっているような気持ちになる。こうやって機械によって自分の生活がよりよくなっていくのはうれしいことだ。
読んだ本
小沼理『共感と距離感の練習』
小沼さんの本は文フリ時代から全部読んでいて、今まで出した本の思想的な部分をぎゅっと凝縮した本だった。「わかる」と「わからない」のあわいたどる筆者の筆致が好きだ。
ガザ・パレスチナの問題、ピンクウォッシュの問題、自分も傷つく可能性のある話題に自分から関わりに行くのがすごい。ただ、自分の心を守るためにそういった話題を意図的に避けることも間違っていない。
シス男性でゲイという立場で感じたこと。でもシス男性ということで受けている特権みたいなものにももっと触れてもいいんじゃないかと思った。自分もそうだけど、持ってるものより削られた部分に敏感になってしまう。読みながらずっと思ったのは、シス男性のゲイよりシス女性のレズビアンの方が社会的な扱いもアレだしよっぽど透明化されているよ、ということ。比べるものでもないけどね。
誰かのことを「わかる」と思うのは不思議だ。痛みや悲しみが、自分の中へ流れ込んでくるように感じる。私が体験したわけではないのに、まるで自分のことのように思えて、楽しそうなら私も楽しくなるし、つらそうなら同じようにつらくなる。混ざり合ってしまって、境界線があいまいになる。混乱しながら、ほんの少しだけ、神秘や魔法のようだと思う。
よく振ったボトルの中で、水と油が混ざり合い乳化するのを思い浮かべる。攪かく拌はんされてきらきらと輝いて、きれいに見える。だけど言葉を交わしたり考えたりしているうちに、少しずつまた分離していく。あなたはあなたでしかなく、私は私でしかないことを思い出す。お互いがはっきりとした輪郭と異なる質感を備えていて、混ざり合ってなどいない。
錯覚みたいなものだ。「わかるかも」は、「共感」は、神秘でも魔法でもないのだった。
清田隆之(桃山商事)『自慢話でも武勇伝でもない「一般男性」の話から見えた生きづらさと男らしさのこと』
正直言って胸糞悪くなる本だった。ヤリチンとかストーカー、DV夫ってこんな風に自己を正当化するんだ…と知ってぞっとした。全員に共通していることが、「獲得できなかった理想の初恋と青春をやり直そうとしている」ということ。かくも全員こうだと、ちょっとびっくりする。それでも不妊治療に取り組む男性や父子家庭で子供を育てる男性の話は聞けて良かった。
www.youtube.com
私は「おんな二人がきゃっきゃわいわいしゃべってるだけのコンテンツ」が好きだということを、さまっすを聞いて再確認した