この前兄から日曜日会おうという連絡が来た。ちょうど月曜日から兄は東京出張らしく、前乗りするとのこと。私は来週から1週間出張に行く予定があり、かつ土曜日は友人と丸1日過ごす予定があり、日曜日は荷造りや家の細々としたことをやってゆっくり過ごそうと思っていた。うーん…と思っていたが、兄にはいつも良くしてもらってるしなと思い、先述した状況をそのまま伝えて「私の家の近くでうどんを食べるくらいなら行けそう」と伝えると、それで良いと返信が来た。「住んでる町も見てみたいし」ということだ。
本当はきょうだい3人で会おうという企画だったのだが、私が妹に会いたくなさすぎるので妹には外してもらうことになった。結果仲間外れみたいになるのでごめんと思う。
父親からの虐待が原因で高校卒業とともに実家を出た身からすると、身体的精神的に安全が確保されている「帰りたい」と思える実家があるのがものすごくうらやましいと日々思っている(とくに同居してる人は尊敬しかないし、同居してもいいと思える親ってどんなのかすごく気になる)し、実家の人間も大体は嫌い。一方で兄に対してはそこまで嫌な感情は持っていないので、この人間関係は大切にしたいと思っている。でもこの人も田舎の長男であることの特権を得た人だし、かつ金に関しては一癖あるので注意が必要なのだが。
ふるさと納税でHARIOのアクセサリーとガラスボウルを貰おうかなーと思っていたが、最近地震が多いので備蓄用の水と食料を貰うことに決める。HARIOはなくても死なないけど、備蓄はないと最悪死ぬ。登山用品をまとめると非常持ち出し袋みたいになるので、持ち出し用品はわざわざ買いそろえていないのだが、寝袋やバーナーや紙皿なんかはいつもバラバラの場所にしまっているので、この際一つの袋にまとめたい。ただ、登山リュックにまとめるとなると、山行のたびに出したりしまったりせねばならず、やっぱり専用のリュックを買うべきかと迷っている。それか百均でビニールのナップザックを買ってきて、そのナップザックごとリュックに入れ替えるか。これがいいかも。
昼、腹が痛くてチョコザップのトイレにこもる。チョコザップのことは町中にあるトイレスポットだと思っている。昨日から腹が痛くてどうしたことかと思っていたけど、ただ単に昨日食べた家系ラーメンの脂にやられていただけだった。もう家系ラーメンは食べられない体になったのか……一蘭も食えないし、家系も食べれないし、残るのはスタンダードなラーメンと中本、辛ラーメンくらい。冬あんなに辛ラーメンを食べていたのに今は食べていない。
話は変わるけど、今なぜかカードの決済がことごとく不正利用扱いされてしまい、全然カードが使えていない。トホホすぎる…。利用解除してもすぐまた不正検知が働く。カード会社に問い合わせても繋がらないないし。あーもう、という気持ちで帰宅直後に洗濯を仕掛けてからエアポッズのケースがないことに気づく。そういえば、ズボンのポケットに入れっぱなしだったかも…とゾッとしながら鞄を漁っても見当たらない。やっぱり洗ってしまったらしい…真偽が分かるのは40分後。
夕食は冷たい肉そば。フライパンで素揚げしたなす・ピーマン・おくらと一緒に食べる。安定しておいしかった。食後、非常持ち出し袋はやはり自分が普段使ってるもので作ろうと、会社帰りに百均で買ったナイロンのナップザック(ビニールの大きいやつが売ってなかった)に防災グッズを入れていく。百均で買った携帯トイレとトラベル用下着を入れ、あとは薬、カットバン、生理用品、ウエットティッシュ、カイロなどを入れた。遠足の準備みたいで楽しかった。そういえば去年チョコザップからもらったマイクロファイバーのバスタオルがあったことも思い出し、それも入れる。ふわふわなものがあると夏でも冬でも安心しそう。そしたらあっという間にナップザックはいっぱいになってしまった。やっぱり大判のナップザックが必要だ。
風呂をあがってから洗濯機を開けると、ズボンのポケットからエアポッズを発見した。内部が乾くまでしばらく使えないことになる。もうなんか、これは自分が悪いんだけど、泣きっ面に蜂だなと思った。ふてくされてそのまま寝た。何をやってもうまくいかない時期は半年に1回くる。それも最低2週間は続く。こうして気にしすぎていることも原因の一つかもしれない。
週末には期日前投票うぃって外食します。家から役所までが遠いよー。
読んだ本
武田砂鉄『父ではありませんが』
子供を持たないことについて論述した本。子供に関して男はとにかく子供に関して「問われない」と語っていて、本当そうだなと思った。男性の持つ特権性とジェンダーの不平等を理解して、きちんと言葉にしてくれる男性がいることに、読みながらずっと感謝していた。
筆者は「親戚のおじさんが結婚式で『ご両親に早く孫の顔を見せてあげてください』と新郎新婦に余計な一言を言うのはクソだ」みたいなことを語っていたが、私は去年出席した結婚式で30代前半の男性(新郎友人)が「早く二人の子供の顔が見たいです」と言っていて本当に最悪だったことを思い出した。いや、新郎が実は子供好きとか、新郎が実際に「子供が欲しい」と話していたとか、二人の間にしか存在しない文脈があるのかもしれないが、それを祝いの場で言うのは筋が悪すぎる。
本ではまともなことばかり言っていたが、武田本人が親戚の子が嫌がってるのにちょっかい出したり、お気に入りのぬいぐるみでいたずらしたと書いていて、それもなかなかのクソ親戚ジジイムーブだと思うが…と思った。こういう親戚のジジイ本当に嫌いだったよわたしは。
見た展示
『翻訳できないわたしの言葉』@東京都現代美術館
現美で開催中のに行ってきました。映像がメインの作品で全部見ると3時間かかるとの事でしたが、3時間があっという間に感じるくらい充実した時間だった。本展示会はアイヌや在日コリアンにルーツを持つ人、病気で発話のコミュニケーションが難しい人などの生い立ちと言葉の展示。全部対談によって語られているところが良かった。。
自分のルーツとは違う言葉を第一言語に選ばざるを得なかった人、後天的にろう者となったが手話の他に一部発話のコミュニケーションもできる人、日系人として生活しながらも国籍は外国籍のままの人、後から言語を習得しようとしてもマスターはできないもどかしさ、同じ言語を学んでいてもきっかけが異なるからこその葛藤、身体表現――いろんなリアルが対話の中で交差していた。
その対話を通して、「日本人として日本で暮らし日本語をしゃべることができる人(=自分)」の持つ優位性や特権を、今まで全く自覚せずに生きてきたことに恥ずかしくなった。日本は同一民族同一国家(と一概にはいわれるが、それは間違いである)で共通の言葉は当たり前のように「ここ」にあるけれど、これって当たり前のことじゃなかったんだなと思った。
一番最後の部屋では、この展示会に訪れた人のコメントが小さいカードに書かれて貼られていた。中でも多かったのが方言についてのコメント。引っ越し先で方言をバカにされたとか、標準語に無理やり矯正されたとか、家族の訛りを悪く言われたとか、いろいろあった。日本の中でもこういうことは日常茶飯事で起きている(体の内側からあふれ出てくる言葉を矯正される、という展示もあった)。
観た映画
マッドマックス フュリオサ(2024年、オーストラリア、ジョージ・ミラー監督)
新宿TOHOシネマズのIMAXスクリーンで視聴。本作は『マッドマックス 怒りのデス・ロード』の前日譚で、本作は五つの章に分けられている。このあたりの構成が非常に叙事詩っぽい。前作では「行って帰るというシンプルな構造の疾走感映画」だったが、本作はじっくりストーリーで語る系。
フュリオサはグリーンプレイスからさらわれてきた女性、ということは前作で述べられたが、さらったのはイモータン・ジョーではなく、ディメンタスと名乗るバイク集団の長だった。フュリオサがいかにして成長したのかを、本作では彼女の心情に沿ってなぞることができる。故郷へ戻るために力をつける中の日々の中でも見捨てられない戦友のような存在がいた事に少しほっとする。ラスト、自分をさらったディメンタスを許すでもなく、鉄槌をくだすわけでもなく、生かして生を紡がせるというね…若き日のフュリオサを演じるアニャ・テイラー=ジョイの硬派な感じがとにかくいい。ただ2時間半はちょっと長く、特に中盤はダレた気がした。
いい曲なんだけど、「涙は似合わない」のところだけ解釈違い
最近無意識に呼吸止めてるし呼吸浅いしでいよいよやばい!