以前の記事で触れたが、俺は出不精の旅行アンチ・友人ファンボだ。
ゆえに、人生で経験してきた遠出はほとんど、誰かと随伴してのものか、目的地に誰かが住んでいるものか、その二つのケースに大別出来た。
ただ、そういう人間がいわゆる一人旅をした時にどういった経験をしてどういった感覚になるのか、一度知っておくのは有意義かもしれないと思えた。
休職期間は概ね、余暇から得られるプラスと、労働に押し付けられるマイナスで、収支が赤字だと人生を悲観している現状を鑑み、自分がどのような行動からならプラスを得られるのか、色々と手探りに過ごしている。今回の試みも、その一環での思い付きだった。
俺は休職直前、毎日のように通勤中の激甚な腹痛に苦しめられていた。ストレス由来なのかもしれないし、単に埼京線の混雑と揺れがあまり良くないのかもしれない。しかしいずれにせよ、電車に乗ること自体は怖くないぞと身体に教えなくてはと思った。

この電車に乗ると、会社の方向に運ばれていくことになる。だが今はそうする必要はない。

逆方向を目指す。出来れば、遠く。


宇都宮までの車窓は、いかにも郊外という感じの風景が続いた。池袋・新宿・渋谷まで一本で現実的に通勤が可能な地域なのだから、当たり前の話だ。さらに奥を目指す。

宇都宮駅から、JR日光線で5駅。今市駅に着いた。ここでは東武日光線の下今市駅まで、乗り換えの為にそれなりの距離を歩く。
日光駅のひとつ手前という土地でありながら、まさに住宅街といった印象を受けた。宇都宮まで30分程度ならば、田舎とは言い難いのは当然だが、観光地としての色合いが薄いことはそれなりに意外だった。

だからよくあるスーパーマーケットを基調とした複合施設なんかも、生活感があって……観覧車?
スーパーやデパートの屋上遊園地はよくある話だ。だが、そのうちのどれほどが観覧車を保有しているだろうか。乗らなきゃ嘘すぎる。寄り道の判断は迅速だった。



普通、観覧車から見える景色というのは、その遊園地の全景だったり、観光地や繁華街の賑やかな街並みだったりするものだと思う。ゆえに、この住宅街すぎる観覧が逆に面白かった。双眼鏡が無料で貸し出されていたが、アップにできるものといったら、ご近所さんの洗濯物とかになってしまうのではないかと思った。
この寄り道で電車を一本遅らせることになった。具体的には50分程度を持て余すことになる。これくらいの時間感覚で毎日を過ごしたいなと思いながら、知らん街の散歩を続けることにした。


下今市駅からはさらに奥地を目指す。


誰もが知る著名な温泉地。駅前は賑わい、多くの乗客がここで改札を抜けていった。だから、もっと奥へ。


川治温泉。俺は今回の行き先を調べる過程で初めて知った。鬼怒川温泉からいくらか上流に位置し、効能が異なるためにかつては行脚する湯治客も多かったらしい。今となっては近隣の知名度に食われているのではないかと思えるエリア。どうせならば、そういうところにこそ行ってみたかったのだ。
駅間は山、トンネル、山、山、谷、トンネル。田舎とかをすっ飛ばして、人の気配のない大いなる自然の中を縫う。



川治湯元駅では、俺を含めて4人程度が降車した。ここの温泉宿を拠点にして日光観光、というのが主流の旅程のようで、雰囲気はさておき実態はまだまだ廃れていない温泉街のようだ。


しかし、バブル期ほどの体力はいまや経営者にも観光客にもない。川沿いに過剰なほど建てられたホテルの半数以上は、取り壊しをする金すらないまま、正真正銘の廃墟になってしまっていた。
その静けさは確かに心地よかったが、ノスタルジックなものとして享受していい風景なのかどうかは……多少のしこりが残る。
俺が宿泊する場所は、そうした時代よりも前からこの地域に温泉宿を構えていたが、やはり経営母体は何度か変わり、全国でホテル展開している資本グループが介入することで存続したという経緯のようだった。駐車場には結構な数の車が入っており、しぶとく生き残るだけの理由と客入りがあるのだろう。
予約はしていたのだが、チェックイン時に本当に一人での宿泊か二、三度確認される。ま、そうだわな。話しぶりからは連泊というのもあまり多くはないらしい。どうだろう。振り返ってみると、フロントの対応が不慣れなだけだった気もしてくる。



部屋は小奇麗ながら壁にはひびが入っていたり、部屋から見える建物はだいたい廃墟だったりしたが、むしろそれでいいなと思った。益体もないことを静かに考えるだけの旅行に、賑わいは必要ない。
広縁でもったりと過ごしながら、この地域について軽く調べる。約款・ホテル案内のバインダーを熟読するのも、ホテル宿泊時には欠かせないマイルーティンだ。
川治温泉の由来は江戸・享保の時代まで遡る。天然ダムの決壊により洪水に見舞われたこの地域だが、地表が削られたことで温泉が湧出。無臭無色でいわゆる温泉らしさは肌感でしかわからなかったが、外傷に効能があるらしい。

……調べる過程で目に入ったホテルのサジェストがこんなんで文字通り横転したのだが、見なかったことにしようと思った。
夕食の前に大浴場に向かったのだが、他に入浴客は一人もおらず、実質の貸し切りだった。これは後から気付いた事なのだが、このホテルにはそもそも風呂が併設されている部屋や、貸し切りの大きな温泉もあるらしい。わざわざ大浴場を使う客は多くはないのだろう。
露天風呂を目当てに、日没前の入浴を選んで正解だった。景色は部屋からのものと大差ないが、全裸で風を浴びるのはやはり心地がいい。山の中ゆえに虫が多く、特に蚊が寄ってくるのには閉口させられたが、概ね気持ちの良い時間だった。


ビュッフェスタイルの夕食を終え、部屋に戻った頃にはそれなりの眠気が襲ってきていた。朝それなりに早く起きたこと、長距離移動の疲れがあったことを思えば当然の事だろう。
家で膨大な量のコンテンツを目の前に、迫りくる明日から逃避し続けるいつもの夜とは、状況が大きく異なる。なんだか耳も熱い。眠気に身を任せても良いなと思えて、そのまま横になる。
建付けにガタが来ているのか、蚊は部屋にもたびたび入り込んできて耳元を掠め、寝るまでに3匹ほどと格闘させられた。これだけは明確なマイナスポイントだったな。
翌日。6時前に鼻血を噴き出して起床。止血しながら明らかに体調がおかしいことに気付く。やや重めの風邪といった体感だ。この体調不良が何かはわからないが、これを導いた状況には心当たりが多すぎた。
一人で露天風呂を満喫しすぎ、その後靴下も履かずに体を冷やしたこと。山間部なのに昼間の暑さにかまけて暖房をつけずに寝たこと。部屋の空気清浄機に給水を怠り、加湿機能が動作していなかったことにも気付いた。……俺ってもしかして旅行下手過ぎんか。身体も心も重たくなりながら、自販機でスポーツドリンクを大量に買い込み部屋に戻る。
こうして二日目の日中は、ほとんど部屋で体調の回復に努めることになった。救いだったのはそもそも健康でも部屋でダラダラ過ごすつもりだったことで、観光目当てではなかったことがダメージを軽減したと言えよう。
14時ごろ、外から防災無線とサイレンが聞こえてくる。ダムが放水を行うので川辺から離れなさいという警報だ。山間部やねえと浅い感想を抱きながら、どれだけ水位が上がるものなのかと興味は湧く。
【イベント情報】
— 国土交通省 五十里ダム管理支所 (@mlit_ikari_D) 2025年4月3日
4/18(金)#鬼怒川春のダムまつり が開催されます。
今年も #川俣ダム と #五十里ダム の放流が二本立てです。
ぜひお越しください♪
詳細はこちら ↓https://t.co/oC18CzR2Jm#鬼怒川4ダム pic.twitter.com/KhzvrLMcus

放水が実際に始まってから15分程度。窓を閉めていてもわかる轟音が来た。これほどの物なのかと興奮してスマホを構える。ビフォーの写真は幸い確保済みだ。


写真で振り返るとイマイチインパクトには欠けるが、濁流が音を立てて上流から押し寄せ、水位がドンドンと上がっていく様は中々のものだった。
川治温泉の由来、立ち並ぶ廃ホテル、窓を震わせる水音。自然に対する人間の抗戦の歴史と、そして利用して巨大化し、今や下り坂に入りつつある文化。そういったものにクソ真面目に思いを馳せさせるだけの、十分な雄大さがあった。
最終日はチェックアウトから電車の到着までそれなりの猶予時間がある。川沿いを散策してから帰ろうと決めた。
日が沈むころには随分と体調は回復していた。症状は風邪のそれだったが、本質的には重めの湯冷めだったというところか。靴下を履き、暖房と加湿器をつけ、万全な準備をしてその日は眠りに就いた。

最終日は天気も良く、散歩日和だった。電車は一本逃すと次は二時間後という世界ではあったが、どうせ急かすような用事はない。気が済むまで散策しよう。



既に人が放棄したパイプからも、滾々と湧き出し続けている温泉。しかしせっかく感傷に浸っていたところを蚊柱に阻害される。ここでようやく気付いた。季節外れの蚊に何度も何度も苦しめられるのは、温泉地ゆえに温かい水場が季節問わず存在しているからで、こういった廃墟が生み出す無数の水たまりなど、まさにボウフラにとっては最高の環境なのだろう。
エモガキの時間は終わりだ。やはり自然と人類の戦いは人類に肩入れすべきだろう。戦いの象徴、ダムを見に行く。





わくわくダムダム資料室では何度か他の観光客とすれ違った。昨日の放水時はもっと盛り上がったのだろうが、俺のようにその放水を川辺で知り、後からダムを訪れるというケースも少なくないのだろう。



ブログ映えするような、上手いこと言語化された感想は出てこなかった。シンプルに来てよかったなとは思い、人造湖を眺めて過ごした。
行きのように鈍行列車を使おうとすると、六時間近く待つ羽目になるということだったので、帰りは特急料金を支払って都内まで一撃で帰ることにした。
この二泊三日の当初の目的は、こういう行動をした時に自分が何を感じるのか知ることだった。しかしやってみればそんな単純な話ではなく、壮大な題材を前に複雑な感傷に身を委ねていいのならば、俺はやはり際限なく余暇を食いつぶしてしまう。
有意義だった。楽しかった。しかしまあ、社会復帰からはむしろ遠ざかったような気もしている。
