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アサシンクリードオデッセイについて/レベル制というエデンの果実について

「狼は俺の父親だ」からのメインテーマ好き

 世間が引き続きうるさいのでアサシンクリードオデッセイをクリアした。このゲームへの違和感を言葉に出来ないまま途中で投げてしまい、ここからヴァルハラまでプレイ出来ていないので5年越しのクリアとなる。

 本作はオリジンズからのRPG路線作の第2作。そしてナンバリングで言えば4、外伝を含めればローグ以来のフリーラン中の海戦を復活させた意欲作である。舞台としても今までで一番旧い古代ギリシャが舞台だ。

 今回、クリアすることでその違和感をようやく言葉に出来るようになったのでその記事を書く。素晴らしい古代ギリシャの冒険そのものについては既に他の人が語っているだろうからあらすじをだらだら書くことはしない。

あの日ベセスダとバイオウェアに成りたかったアサシンクリード

行動したようにネームドの生死が変わる

 アサシンクリードオデッセイにおいて「ロールプレイ」の演出は、バトル・シナリオ面両方で成功している。何の気無しに「ここで人を殺すことはない」と取った選択で島全体が疫病に包まれ、よくも崖から落としてくれたなと剣を抜けば二度と父と言葉を交わせなくなる。そのような重要なメインクエストの選択肢に始まり、旅の途中での小さな頼み事からの小旅行。そしてくすっと笑えたり切ない終わりを迎えての次の旅へ。

 バトル面でも各種アビリティ・熟練度システムで「ビルド」が組めるようになった。ひたすら毒と暗殺を尖らせるもよし。槍と弓で戦うハンタースタイルも良し。これにランダムドロップの装備・その刻印(武器毎バフ、エンチャント)も相まってプレイヤー毎の主人公像・主人公スタイルに合わせたロールプレイが出来る。

 アサシンクリードオデッセイが「異色作」と言われるのはまさにここにあって、今までの作品はあくまで「歴史上に居たとあるアサシンの人生の追体験」であった為に変えられなかった振る舞い、変えられなかった信条を完全に崩している。が、身も蓋もない事をいうとこれは「アサシンクリード」というIPとシステムを使った単なるRPGになってしまった事も意味している。

 オープンワールドRPGとしてのバイオウェア作品、ベセスダ作品、CDPR作品に非常に色濃く影響を受けている、と言って差し支えない。アサシンクリードオデッセイは長年続いてきたオープンワールド作品として、彼らに挑むことを決めた。というわけだ。

 アサシンは自ら手にかけた者ですらその死に際して向き合った。が、今回の主人公は最後までオデッセイを続ける独りの「ワシ使い」で居続けた。明確に「アサシンクリード」として戻ってくるのはシーズンパス購入者用DLC「最初の刃の遺産」ぐらいである。

オープンワールドにおけるレベル制というエデンの果実について

敵対組織の持つオーパーツで槍をやり直す主人公。

 ひとしきり褒めたので違和感、そしてその正体である「レベル制」について話していきたい。

 さて、アサシンクリードの話としてでなく一般的なRPGの話をしよう。レベル制である場合、それは「〇〇というエリア、◯◯というダンジョンの敵は手強い」という足切りの役目と、「もう◯◯レベルなのでここらへんの敵は楽勝」という褒美としての役目がある。そしてプレイヤーのレベルが上がったとて、装備も整っている前提の調整なら装備も揃えねばならない。これを特にMMORPGの界隈では「装備更新」と言う。

 しかし「〇〇レベルなのでここらへんの敵は楽勝」というのには少々問題がある。該当エリアのクエストは、適正レベルの時に適正なクリアをしない場合プレイヤーに何の魅力もない報酬が渡される事になってしまう。理想としてはプレイヤーにとって普遍的な価値の固有アイテムか、レベルに応じた係数でもって報酬額を増やす事でいつ挑んでもいい状態にするのが良さそうだ。

 バトルだってそうだ。プレイヤーばかり先に強くなられると、適正レベルでの戦闘はごく一部のエリアでしか起きないことになってしまう。特にオープンワールドならこれは致命的で、敵のレベルも一緒に上がるようにしなければならない。

 ここまで読んで妙なことになった事にお気付きだろうか。
 レベルが上がる
 =敵のレベルも上がる
 =報酬も上がる
 =扱う数字が緩やかにインフレしただけで何も体験の上で変わっていない
  どころか、装備のレベルだけは変わらないので装備更新しなければならない。

 つまりプレイヤーはレベルが上がったぞ!何かがちょっとだけ強くなった!と緩やかな上昇に喜ぶ。引き換えに敵がまた強くなり、それに対応する装備を揃える必要がある。最大レベルが99なら98回装備更新を楽しめるというわけだ!

 はっきり言おう。アサシンクリードオデッセイは本当に98回装備更新するゲームだ。

 経験値は現在のレベルに対し「必要経験値の◯%」が払い出される。敵を倒した時の報酬である装備の売値も、素材も、数字の形をしているが実際はインフレ率に応じた払い出しがされる。相手する敵の硬さもやる事も変わらない。何故なら自分のレベルと相手のレベルはずっと同じだから。

 これが楽しいのかと言われると、悔しいことに楽しい。常にゲームからの外圧がかけられ続け、何かをする必要が常に生じる。報酬は報酬で有り続ける。何やら必殺技が増えたり、何やらダメージ効率がこの旅で上がったらしい。何故ならレベルアップ画面で操作をしたから。そういう確かな事実があまり変わらない体験の上で、積み重ねてきた実感と数字だけが上昇していく。

 更にアサシンクリードオデッセイはここに一捻り加えた。町で「狼倒して来てよ」と受ける小さなクエスト報酬も、何十人と兵士が守る厳重な砦攻略報酬も、何ならメインクエストの進行で手に入る報酬すらも、全て価値が同じなのだ。これなら徒労感は無い。何をやっても現時点で「価値がある」と認識できる報酬が渡されるのだから。

 つまりだ。アサシンクリードオデッセイは「レベル制」を乗りこなし、その結果本当に特定の所でしか手に入らないユニーク装備以外、メインクエストから文字通り使い捨てのインスタントなクエスト、ランダムエンカウントの野生生物から海上での戦いに至るまでその全ての価値を同じにする事に成功した作品である。

 

3本のオープンワールドゲームがたどり着いてしまった場所

画像は歴史に忠実な火炎放射器搭載船で相手を丸焦げにするシーン

 ここでUBI製でないゲームについて2つ触れなければならない。

 一つは「バットマンアーカムナイト」だ。

cr.hatenablog.com

 このゲームはオープンワールドでの「やること」を完全に物量作戦で押し切った。強化して、死ぬほどマップ上にバラまかれたビーコンをクリアし続けるゲームである。それも一つオープンワールドとして正しい。無数のクエストをこなすと最後にコスチュームなりイベントなりが見られる。そのために本当に100個クエストを投げてくるゲームだ。

 そしてもう一つは「ゼルダの伝説 ブレスオブザワイルド」だ。
 ブレスオブザワイルドでの実質的な成長というのは、実は数えるほどしかない。

  • 四神獣撃破にまつわる英傑スキル
  • 蛮族・古代装備
  • 祠でのスタミナ・体力アップ
     →に付随するマスターソード
  • 一応インベントリ拡張としてのコログ(成長と言うかは疑問だが)

 それで終わりだ。では何故あんなにも夢中になって遊べたのか。それは常に「失い続けるからこそ得続けねばならない」という圧がゲーム内でかかり続けていたからだ。まあ実際はライネルをヘッドショットで楽に殺せてしまえばもう何も必要ないことに気付いてしまうわけだが、まあそれは置いておこう。

 圧倒的物量、汎ゆるものが失われ続けるシステム、そのどちらもオープンワールドとしての正解だ。そこにアサシンクリードオデッセイは「全てに価値があり、そして全てが遊べば遊ぶほど今の手持ちが無価値になるシステム」で新たな正解を出してしまった。 しかもここに膨大なクエストを更に通り越した「無限クエスト」もある。ボリューム問題を98回の装備更新、それのためのリソース回収で上昇”感”で遊ばせていくのだ。

違和感の正体はいつまで経っても刺さらないブレード、
増えていく様々な吹き飛ばし方のゲーム。

画像は結構ごもっともな事を言う敵幹部

 つまり5年前の違和感の正体は「成長したという話の筈が、相手へ及ぼせる事含めて全然変わらないとはどういう事だ?」と言語化が出来る。実はレベルそのものには意味がなく、「エピックやユニークアイテムの刻印」が1%単位でちょっとずつ上昇しており、最終的に相手を2倍速で倒せるようになる。だが「レベルは装備更新の為にしか存在」と気づくまでは単なる下手くそな負荷にしか見えていなかった、というわけだ。

 ここまで未プレイの人が読むと「何も変わらんの?」と思うかも知れないが、実際のオデッセイは使えるガジェットが増えたり、必殺技や与えるデバフの持続時間が増えたり、中盤以降特定行動を更に尖らせるチューンが出来るようになってより「吹き飛ばし方」が増えていく。

 が、それは「様々な吹き飛ばし方」が増えていくだけで、結局ゲームクリア迄で「全敵のステルス一撃死」は叶わなかった。そこだけが「アサシンクリード」として惜しい。砦を突っ切って篝火を破壊して、ついでに敵のエリート兵を見つからずに刺して!とやった所で敵の体力がミリで残ったり全然刺さらなかったりするのである。そこで「周りの敵が気付くまでに仕留めきれるか」が重要で、まあそここそアサシンの醍醐味でもあるがここだけが最後までもったいないなと感じた次第だ。

最高のオデッセイと、やっぱり余計な神話要素

鳴り物入りアトランティスだが出来は正直すこぶる悪い

 物語やその体験についてだが、率直に言って非常に面白かった。ユニーク武器以外全ての価値を均すことで全てのクエストから砦の攻略まで楽しめたし、遺跡で子どもの話を聞いただけの所から迷宮の奥で待つミノタウロス戦になるのも最高だ。メインストーリーもリニアな所はリニア、そして待つべき所はどっしりと構えて待ってくれるから横道に逸れる事に違和感はまったく無い。今作はまだエデンの果実が失われきらない時代という事もあり「あの単眼の巨人は空想でなくエデンの果実で暴走した人だった!」とやることで整合を取っている。また同様に道端のクエストが発展すると「この島を覆う不穏な影…それは悪い組織の仕業だった!」とメインクエストでも対立する組織幹部だったりして既存シリーズの要素もゲーム内の要素も綺麗につながっている。

 特にDLCの「最初の刃の遺産」の出来は白眉で、ゲーム内でうだうだ言っている組織は神の名の下でポリス間戦争を続ける権力者に対していよいよ破滅したがっている人らに過ぎず、「世界平和」の為に動いている古き結社との戦いが描かれている。自身の身体に流れるレオニダス王の血脈、握り続けてきたレオニダスの槍が一組の男女を出会わせ、主人公は親となり、そして信条を託す…というのは前述のバイオウェアやベセスダ方式のロールプレイにガッツリのってかなり楽しめた。例えオデッセイしかアサシンクリードをやる予定のない人にも是非やっていただきたい。

 翻ってアトランティス編は正直蛇足と言って良い。紆余曲折あってオーパーツを手に入れた主人公がオーパーツ利用者に相応しくなって貰うために仮想のエリュシオン・冥府・アトランティスに出向くという話で、メタ的には現生人類と先史人類の付き合い方や交流が描かれるものではある。が、歴史のイベントに介入も出来ないし、やることは現生人類の支配者・敵対者として振る舞う先史人類の小間使いが主だ。何より「ギリシャ神話に出てくる神ってこういう物言いや振る舞いするよね~」の体験に留まってしまっており、そもそもが仮想な時点で「介入」が大きくそがれるのも良くない。

ポイベー関連イベントでボロ泣きしました。

 もちろん、良いところはある。整合性を無視してまでやっただけあり、本編開始時には既に故人であったレオニダス王に「じいちゃん」と呼びかけるパートでは泣きそうになったし、本編の中で失われてしまった命を改めてエリュシオンに送り出す所ではボロッボロ泣いた。死んでもなお悪を行うものには鉄槌を振り下ろし、そして番人として神話の大英雄に会うことも出来た。まあ番人関連めちゃくちゃ薄味なのでここは全く納得は出来ていないけど。

 これらの物語は「オデッセイ」であるが故、どのタイミングで楽しんでも良い。いや、楽しめるように出来ている。話も報酬も均したからこそ、何もかもが振り返れば「旅」になるように出来ているのだ。

この野郎3名のつながり本当に好き

 そして物語はヴァルハラ発売記念のクエストで幕を閉じる。「何故神話やオーパーツは現代に向け失われ続けたのか。テンプル騎士団と奪い合いをしなければならないほど貴重になったのは、古代ギリシャのワシ使いが2400年かけてずっと破壊し続けてきたから。彼/彼女は誰よりも偉大なアサシンで、その信条に基づき2400年のオデッセイを今も続けていたから…という非常にロマンチックな終わり方だ。

 アサシンクリードオデッセイはアサシンでなく「ワシ使い」のオデッセイとして編まれながら、本編でなく度重なるDLCで2年かけて「暗殺者の信条:オデッセイ」として完成した。このオデッセイが一番好きでも良いし、オデッセイだけ好きと言うのも無理はない。このゲームは「旅と出会う人々、その中で少しだけ強くなる自分」を楽しめる、唯一無二のゲームだからだ。

 次回はヴァルハラの予定でしたがUBISOFT+(有料サブスク)で何故かDL出来ず、サポートに連絡しても5月末から丸2週間放置されているので別のゲームをお届けする予定です。




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