歌詞の瑕疵
幼少の頃に覚えた童謡や歌謡曲の歌詞は視覚(文字)ではなく聴覚(耳)で学習することが常例でした。そのため歌詞の趣意を曲解して記憶に留めるということが誘発されました。また、歌のながら聞きにおいても同様の 誤謬が生じました。
そんな錯誤をもたらした歌をいくつか取り上げて振り返ってみました。
そして,最初にに取り上げた歌は…
シャボン玉
野口雨情(作詞)と中山晋平(作曲)によって大正11年に作られた童謡、「シャボン玉」の歌詞です。

🐰歌詞の解釈
1行目は,
シャボン玉飛んだ
屋根まで飛んだ
シャボン玉が高く飛びました。どの程度の高さまで飛んだかは「屋根まで飛んだ」という文中の「まで」という助詞により到達点が屋根であることが判ります。そして下記イラストの情景が想起されます。

🐷解釈の瑕疵
ところが、「屋根まで飛んだ 」という文中の「まで」を「そこまでも」といった程度や極端さを表す助詞と解釈すると、歌詞が呼び起こす 画像は以下のようになります。
「まで」を予想外・強い程度の意と解釈すると😱
この歌詞の真意は…
「シャボン玉」という童謡は、単なる子供の遊びを描いた歌のように聞こえます。
ところが、この歌詞を丹念に読み解いてみると、作者の内奥からにじみ出る深い無常観が見えてきます。
歌詞の4行目の、
生まれてすぐに こわれて消えた
という一節から、守りたくても守れない儚い命に対する悲しみと優しさが伝わってきます。
歌の中での「シャボン玉」が「幼い命」、「一瞬の美」、「儚い希望」などの象徴に思えてきました。
「シャボン玉」という作品はレクイエム(鎮魂歌)なのです。