以下の内容はhttps://colorfuldays.hatenablog.com/entry/20241017/1729116060より取得しました。


あれはわりあい稀な夏の日

 

⇑ この上に「最高のキャンプ」の思い出を書こう!

⛺️ LogbumCamp特別お題キャンペーン #最高のキャンプ
Logbum Camp
by 損害保険ジャパン株式会社

 

 15才だった。夏休みが始まってからしばらく経ったころ、美術の自由課題への取り組みを通じて、自分の構図を掴む力がかなり乏しいことの何度目かの再確認を余儀なくされたり、こうなったら全体的自由課題の、つまり提出してもしなくてもよい作品で、六畳一間分の刺し子に挑戦しようかと思ったり、若い心ははげしく揺れ動いていた。

 旧盆前には地方自治体の中高の先生方が企画した英語合宿(4泊5日)への参加が決まっており、それまでに学校から出た宿題と、岡山と東京に本部を置く模試の実施会社の通信添削課題等を済ませておこうと、それだけは決めていた。あとは、合宿のあとで大きな本屋をはしごして、なるべく面白い本をたくさん買って読んで、刺し子をして、ぐらいしか当初の計画はなかった。

 夏休みのはじめは、雨続きだった。

 

 英語の合宿の一週間前、「突然ですが、明後日から、3年の有志を引率して、N島で3泊4日のキャンプをします。」と、中学の先生方から連絡があった。3年生はだいたい180人、中体連の県大会が終わって3年は部活を引退してこれから高校受験の準備に本腰を入れましょうという時期だった。わたしは、そもそも部活動に参加していなかったので運動から勉強への気分の切り替えというものに無頓着だったが、自分に課した宿題と添削教材等のノルマもなんとなく終わりそうだったので、特にだれに諮るともなくそれ参加しますと電話で即座に回答していた。

 さて、そのころのN島といえば遠洋漁業に出掛ける人も多く、そして、養殖漁業もさかんな県南地域のはずれに位置する漁村であった。180人の3年生のうち、何分期日が迫ってのオファーであり、行ってもいいし行かなくてもいいし、塾や家庭教師もまったくないわけじゃなし、第一梅雨明け十日ですごく暑いし、というマイナス材料もものかは、なんと都合40人程度がN島に参集した。そしてとくに何をするというわけでもなく、昼間はもっぱら海で泳ぎ、夕方になると地区の方に手伝っていただいた焚き火の周りであれやこれやよしなしごとを話したり、好きな時間帯に眠ったりという3泊4日を過ごしたのだった。

 内耳のトラブルで水に入れない数年間のまっただ中にいたわたしは、はじめから水着などもっていかずにほかの数人と同様にエプロン持参で、公営のキャンプ地の端にある調理所に詰めて、豚汁だとかカレーだとか生姜焼きだとか、15才の好きそうなメニューを飯を炊く間に大鍋や大きなフライパンにどんどん詰め込んでいった。その鍋やフライパンは、あっという間に空になって戻ってくる。キャンプ地の賄い方の地元の奥さんたちももちろん朝夕来てくれるけれども、コンビニエンスストアもないN島では、五月雨式に参加しては帰って行く先生方が担いできてくれる食材がなによりの頼みの綱で、カレーライスだけでも滞在中に3回は出したと思う。

 めしの仕度の忙しさはともかくとして、夜は、星空の下、テントを張って寝る人、集会所のような建物で毛布にくるまる人など思い思いに過ごしていたが、事故や諍いなどわたしの知る限りではほとんどなくて、それまで中体連のための練習や、合間の考査や模擬試験、そのほかの心配ごとでなにかと荒ぶっていた集団意識が次第に鎮められるようなゆるい時間が流れていった。

 さて、昼はとにかく食べることの用意に血道を上げる調理班に、そのほかの同級生たちも気を遣って、洗い物は任せておいて!とか、よろづ屋でスプライト買ってきたよ飲んで飲んで!などと、ふだんに増して親切にしてくれた。釣りが趣味という、それまで話したこともない口数の少ない男の子がふつうの包丁でみごとな刺身を造るのとか、これまたおとなしい女の子が実は包丁研ぎの名人だとか、調理所の中でもいろいろな発見があった。料理たのしいよねえ、と言いながら野菜をざくざく刻んで大火力のプロパンのコンロで炒めるのとかたまに眉毛焦げたけど、もれなく毎度、面白かった。

 N島での最終日は、それまでの晴天が嘘のような鈍色の雲に覆われた小雨の日だった。島の港から船で本土に戻り、そこからまとまって鉄道で町まで戻る人、親御さんが車で迎えに来ている人などに分かれていった。それほど親しい同級生たちでもなく、また、登校日や二学期になれば顔を合わせるに決まっているのに、なぜかここで一区切りという心持ちになり、どこか名残惜しささえ覚えた。これは不思議なことだった。

 いくら不明なわたしでさえ、十分に大人になったいまなら分かるけれども、あのキャンプは、水難をはじめとして、食中毒、その他感染症、事件事故に巻き込まれての死傷の可能性を考えると、先生方がいろんな大切なものを賭けて、それでもわたしたちに与えてくれた貴重なものだった。いくら父母有志の立案だったとか生徒の自己責任でとかいっても、何事かが起これば結局は付添いでいたのにと教師が責められるのは目に見えているのに。そのリスクをとって、あえてあの時間をもたせてくれた先生方と同じことをする勇気は、なかなかもてるものではない。この学年以外、上の学年も下の学年も、突発的に海辺でキャンプを行ったことはない。あとにも先にもわたしたちだけである。それにはある災害が関係しているのだけど、これについてはいまは書かない。ただ、ありがとうございましたとお礼をいうだけでは済まないであろう、大人たちのたいへん深い配慮を感じた夏の日だった。

 

 




以上の内容はhttps://colorfuldays.hatenablog.com/entry/20241017/1729116060より取得しました。
このページはhttp://font.textar.tv/のウェブフォントを使用してます

不具合報告/要望等はこちらへお願いします。
モバイルやる夫Viewer Ver0.14