なぜ私は人間の行動を時代を問わず365日分集め始めたのか
去年の末から、時代を問わず人間の行動を365日分集め始めた。これを下記 note マガジンに毎日投稿している。
内容はこういう感じである。
1945年01月19日 | 浜田晶子
浜田は卒業したての教師で、疎開先に生徒を引率し指導にあたっていたが、結婚の準備のため婚約者の家にやってきた。前日は大忙しで、今朝はなかなか起きられず、八時に起床した。朝食を急かされ、アンコウ鍋で白ご飯を七杯食べた。婚約者はバターを肴にして酒を飲んだ。姑は生徒のためにビスケットをおみやげに持たせてくれた。荷物を取りに学校に戻ると、職員室に同僚がいておしゃべりをした。
出典:浜田晶子 著『疎開教師20歳の日記 : 昭和19年8月~20年3月』,大村書店,1994.8. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/13243136 (参照 2025-12-09)
これを毎日、朝六時に投稿している。
暇な時……つまり油断している時……に読むためのものなので、殺人や強盗など、過激な出来事は掲載していない。歴史の大きな事件はたまに出てくるが、その日に餅を食っていたり、洗濯したりしていたような人をピックアップしている。お子様にも読んでもらいたいので、三歳児にも安心して読み聞かせできるような内容になっている。
なぜこんなことをしているのかといえば、過去の出来事をフラットにとらえるスキルを、なるべく低い学習コストで習得できるツールを提供するためである。
私は成り行きで昔のことを調べ出した人間で、史学を正式に学んでない。そういう本は何冊か読み飛ばしてはいるんだろうけど、私はすぐ忘れるから覚えていない。
ただ長い時間をかけ過去のことを調べた結果、私は歴史を「人間がなにかを行い起きた変化の連続」としてとらえるようになった。私は資料を読むが、結局のところ人間の行動を見ているにすぎない。
このマガジンでは私がいつもしているように、華族も前科者も人類として同列に取り上げ、現代と昭和40年、明治40年という全く違う時代も、人間がいた場所とみなして記述している。つまりここから読み取れるのは、知らない人間が、過去になにをしたのかということになる。
こういうものを読むことで、過去の出来事を単純に起きたこととして認識できるようになるのではないかと、今の私は考えている。
目茶苦茶長い原稿を書いてこういうことを考えるようになった
昨年は50万文字くらいかけて無銭旅行と苦学の関連性にまつわる原稿を書いた。
2010年あたりに、白眼子なる人物によって書かれた「夏休みの無銭旅行」に関する本を読んだことがきっかけで、こういうことを始めた。そして意味不明だと思うが、無銭旅行を理解するためには苦学が必須となる。
ただし私は、無銭旅行をするおかしな人間には異常なまでに興味があるが、旅行と学校にほとんど興味がない。
なぜ興味がないのか。理由は分からないが、私は子供の頃から「人間は個人の活動を主軸に生きており、社会的な活動というのは虚構、全員が嘘と知りつつ付き合いで嫌々やってる」といった認識を持っていた。そうなった理由は不明、資質とか環境が原因だろうけど、こういう認識を持ちながら生きている人間は、社会階層や場所に興味を持たない。社会階層に直結しているのが学校で、場所を移動するのが旅行である。つまり私は、苦学と旅行にほぼ興味がない。
しかし「人間は個人の活動を主軸に生き」ていると考えているような人間は、無銭旅行をするような異常な人間に興味を持ってしまう。結果的に延々と興味のない文献の中から、異常に興味のあるものを探し出すということになり、高ストレスに晒されながら、未知の感覚に触れ続ける時間を過ごすこととなった。
嫌すぎるため何度も吐きそうになったが、自分とは別の価値観に触れることができたのは、なかなか良い経験であった。そして原稿は、社会階層に興味がない人間は、社会階層を知ることができて、社会階層に強い興味を持っている人には、社会階層に興味のない状態(つまり社会階層が低い人)が少し理解できるというようなものになった。
この作業を通じ社会階層に興味のない私は、別の価値観に与することはないが、そのように生きている人々の存在を認識し、敬意を払って生活していこうという結論に到達した。あと階層は良いものでも悪いものでもなく、ただのそういうものがあるという事実だなといった感想である。無くすのは難しいんじゃないのかな?要するに色々な人間がいるっていう話だな。
これに関連することで、メリトクラシーっていうのがある。これはどちらかというと、貧しい人が苦しむ要因として扱われているが、私は別の側面もあるんじゃないかなと今は思っている。
なかなか複雑で難しい話なんだけど、分かりやすいところだけ書くと、富豪の息子が苦学をしましたと語らなくてはならないというのは悪い経験だ。やったことないけど、かなり面倒くさいし周囲に気を使うんだと思う。「まあそういう人もいるよね」でみなが済ましてしまったら、富豪の息子は苦学をしましたと語る必要はなくなる。
上位数%のお金持ちの子供が、インタビューなどで「私の父は本当に普通の会社員で……」などと受け答えするのも、本人にとっても他人にとっても利益がない。本当に普通だと思っているのだとすれば、批判的精神が培われていないという悲劇がある上に、馬鹿だと思われる可能性が高い。お金がない子供にとってもよくなくて、それを金前提の手法だと知ることができず、別の手法を検討する機会が失われてしまう可能性がある。これは良いコミュニケーションではない。
良い対話というのは、「へー今君はそんなことしてるんだすごいね、僕はこんなことしてるよ、金あったから便利だったよ」「俺は金なくて選択肢なかったから、これしてんだけど結果的に金なくてもよかったよ」みたいなもので、こういうことができるのが良い社会だと私は考えている。このような会話を成立させるためには、互いの背景を『ただの事実』として扱えることが必要だ。
そういう訓練として、一番良いのは私の原稿を読むことだが、目茶苦茶長い。読者によっては、長時間未知の感覚に触れ続けるという、高ストレスに晒される時間を過ごすことになる。そんなことをする奴は、かなり少ない可能性が高い。あと単純に長いため、忙しい人は読む気になれないと思うし、そもそもまだ本になってないし、出るかどうかも分からない。忘れたけど最初の企画書と全然別物になってると思う。
直接人間の行動を見ること
もうひとつ、原稿を書きながら思ったことがある。
私は「人間の行動」を見た上で、時代背景や諸々の状況を含めて解釈する。そういう私の思索をすっ飛ばし、直接行動だけを読み続けると、読者によってはまた別の良い結論に到達する可能性があるなと考えるようになったのである。時代や階層を越えた他人の行動を直接見ることで、読む人間が持つ個々の経験や欠落によって、様々な解釈が生まれるという理屈だ。
これで話は「過去の出来事をフラットにとらえるスキルを、なるべく低い学習コストで習得するためのツールを提供したいという欲望」に戻る。
今はなんとなく社会がおかしくなっているなとは感じている。こういうことを感じるようになったのも、私が階層を認識したからなんだけど、このままおかしくなり続け、国力が下って治安が悪くなり、道路もブッ壊れて近所のスーパーで新鮮な魚が買えなくなると困る。
このような状況になっている原因のひとつが、あまり好きな言葉ではないけれど、分断なのだろう。私は分断を、あまり良くないものだと考えている。分断にも色々あって、階層もそうだけど、知的レベルの分断もあんまり良くない。
SNS 等で馬鹿みたいなことを書いている人がいて、たまに知的水準の高い人が「一次資料を見ろ」とか「論文に当たったのか」みたいな説教をしてるけど、普通の人は忙しいので「一次資料を見たり」「論文に当たる」時間がない。かなり嫌な感じだと思う。それよりもむしろ、学習していないけど実際は学習しているみたいなツールを作ったほうが生産的だ。
あと例えば政治家の人が変な発言をしていたとして、目茶苦茶激怒するか、ものすごい勢いで擁護するかに分かれているのも、あまり良くない分断だと思う。なぜ良くないのかといえば良くないからなんだけど、政治家のアホみたいな発言で喧嘩するよりも、政治家が学習できるようなツールを提供し、アホみたいな発言を阻止したほうがマシだと思われる。
私は人間の行動を大量に読んでいて、例えば 2025-02-04 11:19:49から2026-02-03 07:01:29 にかけて国立国会図書館デジタルコレクションに110191回アクセスしている。国立国会図書館デジタルコレクションの総アクセスが45,623,011だから、そのうち0.24%という数字を私が一人で叩き出していることになる。完全に異常者なんだけど、そういう人間なので「時代を問わず人間の行動を365日分集める」ことは余暇でできる。そもそも国立国会図書館デジタルコレクションにアクセスするのも余暇なんだけど、とにかく私はこれをすることにしたのである。
使い方
集めながら考えてるんだけど、これを連続して読むとあんまり面白くない。毎日一日分、誰がその日に何したかを読むと、わりと面白い。だから今のところこういう形式で公開している。
この他の使い方としては、例えば『1904年2月6日に日露戦争が開戦したけど、1954年の02月06日には、入院中の妹尾義郎が、午前、午後ともに寝た。注文していた「結核はこうすれば必ず治る」が届いたので一気に読むと、精神と物質の弁証法的治療といった内容で、実行して記録していこうと考えた。』みたいな感じで、大きな出来事と瑣末な出来事をくっつけると記憶の補助に使える。学校でこれやると、自然に色々な人間の行動が読めるので、人格形成にも良い影響があると思うけど、今の教育現場でそういうことできるかどうかは不明。
他のやる理由
色々ともっともらしいことを書いているが、単純に面白いから人間の行動を集めている。とりあえず三年分くらい集めて、その日に三人くらいそれぞれ何をしたのか、眺めたいという欲望もあるが、そこまで集められるかどうかは謎である。実際に集めると分かると思うが、この作業はかなり面倒くさい。集め終わったら、なるべくオープンに利用できるようにしたい。
もうひとつは、フラットに過去を見るための、私自身のトレーニングという側面がある。私が好きなのは明治35年から大正12年あたりの頭のおかしい奴らの行動なんだけど、この作業をすると各時代の色々な人の行動を調べることになる。こうすることで過去の出来事を、より正しく解釈できるようになる可能性がある。
さらに強制的に学ぶ機会が得られるというのも大きい。例えばこれを公開するためには、note.com の投稿ページに移動して、テキストファイルからコピペした後で日付を指定して、無料スペースを設定して投稿ボタンを押すみたいなことをする必要があるわけだが、私はそんなことは絶対にしたくない。本質ではないからだ。
本質とはなにか、私が過去の文章の中から日時が特定できる人間のいい感じの行動を発見し、要約した上で他人の目に埋め込むことである。これ以外の行為はなるべくしたくないから、自動化することになる。どのように自動化しているのかというと、 Claude Code が Playwright MCP を使って自動化している。だから私はなにもしていない可能性が高い。
あとこのマガジンは基本的に無料で全部読めるという設定なのだが、設定をミスっていて読めない記事がわりとあった。noteの投稿機能が面倒な上に、UI が意味不明だから起きたミスなのだが、無料で読めるようにポチポチするのも本質ではない。だからこれも Claude Code が Playwright MCP で修正した。このように私はなにもしていないが、なにか技術的なことをやっているぞという雰囲気があり、強制的に学ぶ機会が得られているような幻想を見ることができる。
あとは金である。かねてから私は文化を金にしたら面白いんじゃないかと思っていて、原稿を書き終わったから次は金だと思い、張り切ってこれを始めたのだが、私の悪い癖で「良い知というものは人に知られたがる性質を持っているのにそれを阻害するのは糞では?」とか「教育用に使えそうだな……」「世界平和につながるのでは……」「チュッパチャップスは分けられない、チューペットは友達と分けられる、だから最高なんだ。俺たちはチュッパチャップスを独り占めするんじゃない、チューペットを分け合う仲間にならなくてはならないんだ!」などといったことを考え始めた結果、こういうものになった。
ただしスタートラインは金なので、このマガジンを購読すると私に金が入るという仕組みは残っている。金儲けとしては完璧に無為無策であるが、別に会員にならなくてもいいので暇な人は読んでください。