
こんにちは。ココです。
注意欠如多動症(ADHD)で自閉スペクトラム症な息子の行動と会話から何かのヒントを綴っていく当ブログへようこそ。
「ありがとう」って言葉で、水の結晶が変わる。そんな話、聞いたことありますか?
科学的に見て本当なのか、心理的に見てなぜ信じたくなるのか。
今回は化学科の息子と心理学科の母が、ちょっと真面目に語り合ってみました。
- 「ありがとう」という言葉を「水」が聞いている?
- 化学科の息子の視点・水の結晶は感情で変わるのか?
- 心理学科の母の視点・なぜ人は「水からの伝言」を信じたくなるのか
- 「信じる自由」と「科学的リテラシー」
- まとめ
「ありがとう」という言葉を「水」が聞いている?
息子が中学校の頃。情緒支援学級の授業参観で、道徳の授業を見学したことがありました。
その時の授業の中心となったなったのは「水からの伝言」という本でした。
この本は1999年に出版されて以来、世界中で250万部発行された、大ベストセラーです。
ぱらぱらとめくってみた方もいるかと思います。
この本には「ありがとう」という言葉で水の結晶が美しくなり、「ば〇やろう」で結晶が崩れる、という話と共に、その結晶の写真がたくさん載っています。
発達障害のある子どもたちは、感情のコントロールが難しく、時に強い言葉を使ってしまいます。
だからこそ、「やさしい言葉が相手に与える影響」を伝えたい…。という先生の思いで題材になったのでしょう。
親としても、その気持ちはとてもよくわかりました。
しかし当時から科学的見解重視派だった息子は、眉間にしわを寄せています…。
『反論があっても授業参観なんだから、この場は黙っていなさいよ!』という私のジェスチャーを汲み取って(笑)、その時は黙って授業を受けていた息子でした。

息子はこの本を小学生の時に読んだことがありました。事前にこの本をもとにした道徳が授業参観の教科だとお知らせがあったため、息子には「先生はみんなの暴言をどうにか優しい言葉に変えられないかな…って考えて、この題材にしたんだと思うよ?だから異論を唱えてはダメだよ」と念を押してから、参加しました。
それから数年。何かの雑誌でその本を久しぶりに見たのですが。
「あれって科学なの?」「信じたくなる気持ちは?」と、私と息子とで家庭内討論が始まりました。
どうやらこの本、多くの現役教師の方たちが参考にしているサイトで紹介されてから、道徳教材として使う先生が増えていたようなんですね。
「言葉の力」を伝えたい気持ちはとても大切。でもそれが「科学」として語られるとき、ちょっと立ち止まって考えてみたい。
心理学科卒業の母と現役化学科の息子、それぞれの視点から「水からの伝言」を読み解いてみました。
化学科の息子の視点・水の結晶は感情で変わるのか?

水の結晶って、温度とか圧力とか、不純物の有無で形が変わるんだよ。
『ありがとう』って言ったからって結晶が美しくなるなんて、科学的にはありえないよ。
まるで実験レポートのように淡々と言う息子。

そもそも、言葉が水に影響を与える仕組みは見つかってない。
それに、何度やっても同じ結果になる「再現性」がないでしょ?

ふーむ。再現性か…。

たとえば「ありがとう」って言った水が本当にきれいな結晶になるなら、誰がやっても、どこでやっても、何回やっても、同じようにきれいになるはずなんだ。
でもこの本の実験はそうならない。
この写真の結晶は、「気相成長」っていう方法で作られた結晶なんだ。
「気相成長」は水蒸気が冷えて結晶になる過程で、ほんの少しの条件の違いでも形が変わるんだよ。
しかも、50個の結晶ができたシャーレの中から「きれいな結晶だけ」を選んで並べているだけ。
本当に「ありがとう」で結晶が美しくなるのなら、50個のシャーレの結晶が「50個全て」美しく変化しなきゃいけないのに、そうはならない。それじゃあ言葉の違いで結晶が変わったって証明にはならないよね?
確かに、本の中でも「ほとんど結晶があらわれなかった水、美結晶が多い水などあって、その中から水の特質をよく表していると思われるものをひとつ選び出した」と書いています。

科学って、「誰がやっても同じ結果になる」ことが大事なんだよ。
「信じたい」って気持ちはわかるけど、それを「科学」って言っちゃうのは違うと思う。
息子の言葉は、まるでもやもやとして視界をあやふやにさせる霧を晴らしていくよう。
それは化学を学ぶ者としての誠実さと、教育現場へのやさしい問いかけだったのかもしれません。
心理学科の母の視点・なぜ人は「水からの伝言」を信じたくなるのか
さて、今度は「心理学的視点」からこの話を見ていきましょう。
「ありがとう」と言えば水の結晶は美しくなり、「ば〇やろう」と言えば結晶が崩れる…。
そんな話に心がふっと惹かれてしまう人がいるのも、心理学的にはよくわかります。
人は、「言葉が現実を変える」と信じたい気持ちを持っているものです。
それは希望であり、癒しでもあります。
つらい状況でも、やさしい言葉をかければ何かが変わるかもしれない。そんな思いが、心を支えてくれることもあるのです。

たとえば「プラセボ効果」。
これは、本物の薬ではなくても「これは効く薬です」と言われることで、症状が改善する現象のこと。
実際に、薬の乏しい地域で「胃薬」と称してビタミン剤を渡したところ、住民の胃の不調が改善したという報告もあります。
薬そのものの効力ではなく、「治るかもしれない」と信じる気持ちが、体に良い影響を与えることがあるのです。
さらに「確証バイアス」という心理も働きます。
これは、自分が信じたい情報だけを集めて、それを根拠にしてしまう傾向のこと。
「『ありがとう』という言葉で水の結晶がきれいになった」という写真を見れば、「やっぱり言葉ってすごい」と思いたくなります。
でもその裏にある、選ばれなかった写真や条件の違いには、なかなか目が向きません。
子育てや教育の現場では、「言葉の力」を信じたい気持ちが強く働きます。
子どもに優しい言葉をかけることで、心が育つ。それは本当に大切なこと。
だからこそ、「水からの伝言」のような本が道徳の授業で使われるのも、先生の思いとしては理解ができます。
でも、そこで気をつけたいのは「信じること」と「科学として扱うこと」は別だということ。
信じることで心が救われることもある。
けれど、それを「科学の話っぽく」教えてしまうと、子どもたちが「この現象は科学として証明されているんだ」と誤解してしまうかもしれません。
言葉のやさしさと科学は、どちらも大切。
だからこそ、両方を丁寧に区別して伝えることが、教育の場ではとても大事だと思うのです。
「信じる自由」と「科学的リテラシー」

こういう「科学っぽい話」が広まると、予防接種で水銀中毒になるとか、電磁波が危険だとか、根拠のない不安がどんどん広がるんだよ。
それって、陰謀論とかニセ医学にもつながる。だからこそ、科学としてはちゃんと線を引いておかないと危ないと思う。
確かにね…。
科学的に誤った情報が「誰もが信じたい、やさしい言葉」に包まれて広まることはよくある話。
それでも「言葉が大事」というメッセージ自体は否定したくないですよね。だって「カウンセリング」なんかは、「言葉」そのもので相手の傷を癒す手法なのですから…。

言葉が人の心に影響を与えるのは、本当のことだとは思うんだよね。
「ありがとう」って言われて救われることもあるし、「ば〇やろう」で傷つくこともあるでしょう?
だから、あの本を読んで「そうだな。暴言ってよくないよね。優しくしよう」って思う子がいたなら、それはそれで意味があるんじゃないかなあ。

まあね。でも、「科学」って名前をつけるなら、ちゃんと検証して、根拠があることが前提なんだよ。
物語として読むのは自由だけど、「科学的事実っぽく」学校で教えるのは、やっぱり違うと思う。
「信じること」と「確かめること」は、どちらも大切。
心を癒す物語として読むのは自由。でも「科学」と名乗るなら、検証と根拠が必要。
それが、親子でたどり着いた結論でした。
まとめ
「言葉の力」は、たしかに人の心に影響を与えます。やさしい言葉に救われた経験がある人も、きっと少なくないでしょう。
でもそれは「心理」や「人間関係」の領域であって、「科学」の話とは少し違います。
科学を装った主張には、冷静な目と問い直す力が必要なのです。
「本当かな?」「他の人がやっても同じ結果になるのかな?」と立ち止まることは、決して疑うことではなく、むしろ誠実に向き合う姿勢です。
「言葉のやさしさを科学で語る」ことは、とても難しい。
でもだからこそ、その境界を丁寧に見つめることが大切なのだと、私たちはこの一冊を通して、あらためて考えさせられました。
言葉のやさしさと科学は、どちらかを選ぶものではなく、どちらも大切にできるもの。
そのバランスを探ることこそが、これからの教育や子育てに必要な「リテラシー」なのかもしれません。
本日も最後までお読み頂き、ありがとうございました。
