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発達障害の息子と3代のうさぎが教えてくれた「奇跡のつながり」

 

こんにちは。ココです。

注意欠如多動症(ADHD)で自閉スペクトラム症な息子の行動と会話から何かのヒントを綴っていく当ブログへようこそ。

 

森の小さな草むらで、ひっそりと息をひそめていた一匹の野生の子ウサギ。

イースターの季節。そんな「うさぎと紡いできた」小さな物語をお届けします。

 

● 喪失や困難、そして新しい命とともに。発達障害児息子とその対応に翻弄されていた私たち家族に、静かに寄り添ってくれていた「うさぎ」のお話。

 

 

野生の子ウサギとの出会い — すべての始まり

 

これはまだ私たち夫婦に子供がいなかった頃のお話です。

 

ある日、私たちはハイキングコースで野生の子ウサギに出会いました。

親からはぐれたのか、木の下の草場でじっとしていたのです。そのあまりの可愛さに、道行く人が何人も立ち止まっていました。

 

私もずうっと見ていたいくらい可愛かったのですが、「人間が接近し過ぎると捕食者が寄ってくる」という話を思い出し、数枚の写真をとって、後ろ髪を引かれながら先を進みました。

鷹やとんびが回遊していないか、キツネなどがいないかチェックしながら。

 

茶色いうさぎ

 

幼い私を支えてくれた「うさぎのぬいぐるみ」

 

小さいころから病弱だった私は、手術のため3歳で入院しました。

同居していた祖父は、そんな私に「抱っこして一緒に寝られる」うさぎのぬいぐるみを買ってお見舞いに来てくれました。

そのうさぎのぬいぐるみは、病院での不安な時間を埋めてくれました。

 

退院してからも、そのうさぎのぬいぐるみは大切な友達となって、寝る時もどこかへドライブに行く時も、いつも一緒でした。

 

伯父がお土産の人形を買ってきてくれても、誰かに他のぬいぐるみをもらっても。

私にはその「うさぎのぬいぐるみ」だけが特別なぬいぐるみでした。

そんな様子を、祖父は嬉しそうに見ていたそうです。

 

 「本物のうさぎ」への誤解と、あの日の衝撃

 

しかし、小学校のウサギ小屋の記憶は、私の中でずっと「本物のうさぎはあまり可愛くない」という誤解を育てていました。

 

狭い小屋の中で少し汚れた毛並みのまま、あまり掃除も行き届かない環境で過ごしていたあの子たちを見て、幼い私はそう思い込んでいたのです。

 

けれどあの日、ハイキングコースで出会った野生の子ウサギは、その思い込みを一瞬で覆しました。

 

木陰の草むらでじっと息をひそめていた小さな命は、驚くほど愛らしく、穏やかで、そしてどこか神聖な存在に見えました。
その姿は、その後ずうっと私の胸の奥に深く残りました。

 

うさぎと階段と女性

 

それからというもの、私は会社のパソコンの画面や携帯電話の画面に「うさぎ」の写真を落としてきては、毎日のように子ウサギの写真を眺めて癒されていました。
その柔らかい毛並みや丸い瞳を見るだけで、仕事の疲れや不妊の悲しさを埋めてくれるような気がしていたものです。

 

流産と喪失の中で、うさぎがくれた癒し


そんな日々の最中に、突然の流産が訪れました。不妊8年目の流産でした。

 

涙が止まらず、胸の奥が空洞になったような日々の中で、私はただうさぎの写真を見つめ続けるしかありませんでした。

 

そんな私に、ある日夫が声をかけてくれたのです。
本当はそれほどうさぎ好きではなく、猫派だった夫が色々調べてくれていたらしく、
「〇〇市にうさぎがたくさんいる店があるんだって。行ってみない?」

 

飼う気はない、と言っていた私に「見るだけでも可愛くて癒されるかもよ」

夫が笑って言うので、数週間後の休日に私達は〇〇市へ足を運びました。

 

うさぎ型の雲

 

運命の出会い

 

そして私は、夫に誘われるまま、うさぎのたくさんいる店へ向かいました。
驚愕でした。
「うさぎって、こんなに可愛い動物だったんだ!」

 

思わず叫んでしまうほど、そこにいた小さな命たちは柔らかく、温かく、そして衝撃的なほどの可愛らしさだったのです。

きちんとケージが掃除され、手入れをされたうさぎたちは、お日様のような匂いがしていました。


そしてお店で抱っこさせてもらったうさぎの体温は、まるで空へと戻っていった子どもを抱きしめているような、不思議な温もりでした。
目頭が熱くなり、もうこのまま連れて帰りたい!という衝動に駆られました。

 

家族として迎えた日

 

けれど「命を飼う」のですから、衝動買いは控えました。
すごく連れて帰りたかったけど、「命の重さと責任」について、もっとよく考えなくちゃ…と思ったのです。

 

実は、あの日野生の子ウサギに出会ってから、私は頻繁にうさぎの飼育の本を読んでいました。
1年間、うさぎの知識を少しずつ集めていました。いつか迎える日のために心の準備をしていたのです。

 

それでも、いざ「飼う」という選択を目の前にすると、帰り道の足取りは迷いで重くなりました。

 

「飼う」ということは、「いつか別れる日が来る」ということ。

可愛さも、癒しも、その後の悲しみも、喪失も。全部ひっくるめての覚悟が「飼う」という行為には付随するのです。

 

同じことを悶々と迷っていると、何日かしたある日、夫が言ったのです。

 

「行こうよ。きっとあのうさぎは君のこと待ってるよ。今頃、風呂敷広げて荷物くるんで、背中に背負って待ってるよ。いつ迎えに来るのかなあ?って」
その言葉に、思わず笑ってしまいました。

 

胸の奥にあった迷いが少しずつほどけていきました。
そして次の週。
私たちはもう一度、うさぎを迎えるためにお店へ向かったのです。

 

想定外の出会いと、運命の子


ところが、前回「この子にしよう!」と思って迎えるつもりでいたうさぎは、すでに「売約済み」になっていました。
ピーターラビットのような、小さくて愛らしい「ネザーランドドワーフ(小柄な立ち耳うさぎ)」でした。

 

その子を飼うことばかり思い描いていた私は、あっという間にしょんぼりした気持ちになりました。

やっぱり、うさぎを飼う縁はなかったのかなあ…。

 

そう思いながら店内を見渡していると、ふと視界の端に、小さな鼻がひくひくと動くのが見えました。


大きな「セレブうさぎ(血統も価格も一流のうさぎ)」に押しつぶされるようにして、その子はほとんど姿が見えませんでした。

ひくひく動く鼻と、左右からほんのわずかに見える垂れた耳…。垂れ耳の種類である「ホーランドロップイヤー」の子でした。

 

本を読むうさぎ


耳たれなんて、まったく想定していなかったのに、その押しつぶされた小さくて弱々しく映るうさぎが、まるで自分の沈んでいるココロのように思えて…。


店員さんにお願いして、その子をセレブうさぎの下から救い出し(笑)、そっと抱き上げてみると。

 

その子はお鼻をひくひくさせてから、私の洋服をかじかじと噛みはじめました。
まるで「僕が行きたいよ。つれてって」と言っているみたいで…。

 

理想として思い描いていたのはピーターラビットのようなネザーランドドワーフだったはずなのに、気付けば私と夫は、この耳たれの小さな命に心を鷲掴みにされていました。(笑)


そしてその日、私たちはホーランドロップイヤーのその子を家族として迎えることにしたのです。

うさぎと息子が紡いできた年月

 

それから月日が経ち、私たちのもとに息子が生まれました。
うさぎは今の子で三代目。
発達障害児息子との壮絶な日々の中で、歴代のうさぎたちはいつも、じっとその小さな体を私達に寄り添わせてくれました。

 

息子は生まれたときからずっと、うさぎと共に成長してきました。
壮絶な日々の中、泣きながらベッドで一緒に過ごしてくれたうさぎ。
その小さな身体を撫でながら、うさぎの柔らかい毛皮に私の涙がにじむとき、いつも思うのです。

 

「ああ、あの時抱きたくても抱けなかった野生の子うさぎ。でもいまこうしていっぱいいっぱい抱きしめられる。自然の中では決して触れることが許されなかった存在を、今私は抱っこできている。そしてうさぎも、私を大好きで一緒にいてくれる。それがどんなに奇跡的で幸せなことなのか」と。

 

うさぎを抱く女性

 

息子のかんしゃくや爆発に振り回され、学校に頭を下げ続け、理解のない言葉に傷つく日々があっても。

 

きっと探せばそれ以上の幸せを、私たちはこの手に抱えているのでしょう。

それをうさぎは毎回教えてくれます。

この日常は、ただの毎日ではなく、「奇跡のつながり」そのものなのだと。

 

「いのちはこんなにも美しく、切なく、儚く、尊いものなのだ」と。
その小さな身体で、うさぎは私と息子に、そのことを何度でも気づかせてくれるのです。

 

命が教えてくれること


それから息子は成長し、発達特性ゆえの学業の難しさや易怒性に、時に翻弄され、時に自分なりに昇華しながら学校生活を送っています。

 

そんな息子の帰りを、毎日ひくひくと小さな鼻を動かしながら待っているのが、我が家のうさぎです。
(帰ってくるとおやつをくれるから、という理由もあるのですが(笑))

 

それでも、息子の高ぶった感情を優しく撫でてくれる、かけがえのないヒーラーであり、弟のような存在でもあります。

 

うさぎは今日も、家族の一員として、確かにそこにいます。

 

うさぎと男の子


どうかあなたも気付いてほしい。

 

今、その手に抱えているものが、いかに奇跡的な時間なのかを。
目の前の困難に途方に暮れているその命が、「ここに存在している」という事実が、どれほどまでに尊いのかを。

 

そしてその命が、どれほど儚く、美しく、そして本当は驚くほど「強い」のかを。

まとめ — 触れられなかった命と、今抱きしめている命

 

あの日、ハイキングコースの木陰でじっとしていた野生の子ウサギ。
触れたくても触れられず、ただ胸の奥がきゅっと締めつけられるような思いで、その場を離れたあの瞬間。

 

子ウサギは私に「触れることが許されないもの」があることを教えてくれました。


そして今、私の腕の中には、あの時抱くことを許されなかった命と同じ温度をもつ、小さなうさぎがいます。
息子の隣で、家族の真ん中で、ひくひくと小さな鼻を動かしながら、今日もうさぎはじっと寄り添ってくれています。

 

あの日の子ウサギは、きっともう森のどこかで風になっているでしょう。
けれど、あの出会いがなければ、今の私たちの「奇跡のつながり」は生まれていなかった。

 

触れられなかった命が教えてくれたこと。
触れられる命が、今も毎日教えてくれていること。
いのちは、こんなにも儚くて、尊くて、美しく、そして強い。
その真実を、私はあの日からずっと抱きしめ続けています。

 

本日も最後までお読みいただきありがとうございました。

 

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