
こんにちは。ココです。
注意欠陥多動性障害(ADHD)で自閉症スペクトラムな息子の行動と会話から何かのヒントを綴っていく当ブログへようこそ。
小学校の時が一番大変だった「ADHD」。
中学生になって多動は少し調整できるようになってきましたが、訓練を重ねても「いまだにできない」こともあります。
今日はそんな「できないこと」への理解のお話です。
ADHDの多動は高学年になると落ち着いてくる
小学校低学年頃に顕著に現れ始めるADHD(注意欠陥多動性障害)の「多動」「衝動性」。
発達障害の中でも際立って「周囲からの批判」を受けがちな症状ですが。
多くの場合、「多動」「衝動性」は小学校高学年頃から徐々に目立たなくなっていきます。
授業中に歩き回る、走り回る、教室を飛び出す。
いきなり癇癪を起こして手が出てしまう、周りを見ずに道路の向こうに飛び出してしまう。運動会で暴れ出す、集会で大声を上げる。
毎日が大変で、親も先生も心がバッキバキに折れ続けるので「高学年になったら落ち着く…??この子が??」なんて絶対考えられない!と思うのですが。
本当に多くのADHDの「多動」「衝動性」は、小学校高学年頃になると少しずつ、少しずつ、鳴りを潜めていきます。

個人差があるけど、大部分のADHDの子の「多動」「衝動性」は規模が小さくなっていく傾向にあるよ!

僕は小学校でナンバーワン!の多動、衝動性だったけど、6年生頃には目立った行動はなくなってきたんだよ。
「ここで騒いだら、6年生なのに恥ずかしい」っていう気持ちが強くなってきたことと、周囲を観察する心の余裕が出てきたことが大きいかな。

6年生になっても多動、衝動性が激しくて「低学年時と比べて微塵も」規模が縮小していない場合は、知的障害も併発している、発達障害ではない「ADHDと酷似した」症状を見せる他の疾患(双極性障害、適応障害、反応性アタッチメント障害、パーソナリティ障害など)の場合があるかもしれません。
ただし、本当に個人差があって一概には言えないことなので、専門医に相談してみるのが一番ですね。

一人一人が違うカラーを持っているよ。「多動」はADHDの子ども達だけが持つカラーではない、ということも周知されて欲しいな。
多動は「消滅する」わけではない
高学年になって落ち着いたように見える「多動」「衝動性」。しかし別に「消滅してしまった」わけではありません。
「多動」は貧乏ゆすり、ペンをぐるぐる回す、机をトントン叩く、身体を「変に見えない程度に」動かす、咳払いをよくする、など、飛び抜けて目立つ行動ではないものに移行しているだけだったりします。

僕は高学年の頃、やたら首をコキコキ回していたみたい。自分では気付かなかったけど。
執拗にキョロキョロしたり、席を立ったりするのは「変だよね」って自分で思い始めて、首を回す行為になっていった感じ。
中学生になった今は、首をやったらコキコキするのも「やっぱ変だよね」って思って…。
でも身体がつい動いてしまうから、「うんうん」と首を縦に振るようにしているんだ!うんうん、って頷くようにすると、何か「話聞いてるな」って風に見えるでしょ~?

すごいっ!息子くん、ナイスな多動っ!
じゃあ「衝動性」はどうやって回避してるの?

僕の「衝動性」は、道路に飛び出すとか列に割り込むとかではなく「かんしゃく」だったんだけど、それは病院で処方されている薬で緩やかに時間をかけて落ち着いていった感じかな~。
担当のお医者さんは、成人までには薬を抜くことができそうだね、って今までの経緯から予想を立ててくれているよ!
ただ、会話を横取りして話し出してしまう「衝動性」は、なかなか抑えられないみたいです。
途中で「あ、しまった…。またやっちゃった」と気付くようなんですが、それを毎回繰り返していますね。
ここで「すいません、横入りしてしまいました」と謝ることができれば二重マルになりますが、今のところはまだ謝ることができません。
「謝罪が難しい」のは自閉症スペクトラムの特性なので、これからも訓練が必要なところです。
「不注意」はずっとサポートが必要な症状
対してADHDの「不注意」は、なかなか改善が見られない症状です。
「周囲が迷惑を被りにくい」「本人だけが困った感がある」症状なので、辛辣な批難を浴びることの少ないのが幸いなのですが。
多くの場合は、生涯、周囲がサポートを続行していかなければいけないでしょう。
支払い日を忘れる、重要な持ち物を紛失する、約束をすっぽかすなど、日常の些細な事から重大な事項まで「うっかりミス」を連発します。
手帳に書く、手のひらにマジックで記入する、など自分で対策をするようになっても、結構忘れるようです。
本人の努力で多少改善されることはありますが、ここは家族や周囲がずっとサポートをしていかなければならないかも…と考えておいた方がいいですね。
社会に出て、親元から離れたら「私達親が」毎日心配でハラハラしているかも…なんて憂いている私です(笑)。

理解があってサポート力のある友達や会社の同僚、パートナーなど、誰かしらと出会ってくれたら嬉しいな…。と儚い希望を抱いています(笑)。
「できない」という判断が必要なこともある
誰しも「できるようになりたいけれど無理なもの」があります。
断捨離、ダイエット、料理、資格取得。
運動、ママ友との付き合い、義実家とのやりとり、接客業の仕事など。
発達障害の子どもたちにも、「できるようになりたいけれど無理なこと」があります。
知能以上の学習、ボタンのついた洋服の着替え、机の整理整頓。
空気を読むこと、自発的に髪を洗うこと、家庭科の調理実習。
100ます計算をする、逆上がりができる、30人以上の教室で授業をうける、課題を期日までに提出する。
できるように療育機関に連れて行ったり、家庭で訓練を重ねる努力をしても、やはり「当人には無理なこと」というものが出てきます。
大切なのは、できることを増やすことだけではなく、「訓練してもできないこともある」ことを「理解してあげる」こと。
そして本人自身にも「これは自分には難しい」という自覚を持たせること。

「無理しないで。できないことってあるんだよ。僕は人間の言葉はどう頑張っても喋れないしね」
「うん、そうだね!でもこうやって大好き!って言ってくれてることは分かるよ!」
「そうそう。できないなら別の方法を探したり、周りに手助けしてもらう、っていうことを覚えたらいいんだよ。僕は喋れないけど、こうして君に大好きってちゃあんと伝わっているしね!」
特に自閉症スペクトラムを持つ子供たちは、自分の限界が分かりません。
基本的に自閉症スペクトラムの人は真面目なので、親が訓練に熱心過ぎると、限界値を超えるまで頑張ってしまいます。
そうすると限界値を超えた時点で折れてしまい、不登校、自己否定感の拡大、別の精神疾患を患う、などの二次障害に発展してしまう恐れもあります。
できるように訓練することは大切です。
しかし「自分には難しいです」と相手に伝えることができる、ということは、この子たちにとってより重要な「社会で生きていくためのスキル」となるのです。
できないことは努力をして工夫をしてみる。それでもできないことは「これは自分には難しいのだな」と自覚して、周囲のサポートを求められる。
自分の特性を理解して、必要なところは「人に頼る」ことができること。
それは彼らがその一生を通して学んでいかなければならない、大切なことなのです。
まとめ
発達障害は「病気」ではないので「完治」するものではありません。
訓練や周囲のサポート、投薬、カウンセリング等で「できるようになる」ことが増える可能性はありますが、その「特性が消滅する」わけではないのです。
だいたい小学校高学年~中学生中盤頃から、「これはこの子には無理なんだな…」というジャンルがハッキリするようになってきます。
私たちはその「できないこと」を理解してあげる。
理解した上で、「どうサポートしていくか」を改めて本人と一緒に模索していく。
その積み重ねが、「折れないココロ」を育てていきます。
「できない」ことを習得させようと頑張りすぎない。
もちろん、あなたも「頑張りすぎない」で。お互いが「限界値を超えない」。
この子たちの最大の特効薬は、あなたの「笑顔」ですからね!
本日も最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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