この度、普通自動車第一種運転免許(AT車限定)を取得したことを、皆さんにご報告いたします。

春から自動車学校に通って、夏に忙しい時期があって少し足が遠のいたりしつつ、半年かけての取得となった。
36歳になって運転免許を取得するのだから、何か目的があると格好よいのだが、特に具体的なものはない。
家庭があるから、自動車を運転できると便利な場面があるだろうとは思う。運転が明確に苦手だと分かれば、残りの人生も都会の駅近に住み続けることになるし、そうでなければもう少し自由がある、くらいのことは考えた。何にしても、やってみないと分からない。
以前から身近な人には、事あるごとに免許を持っていないことを自己申告していたほど、免許がないことをアイデンティティの一部にしてきた。しかしそうやって、自分で自分を定めてしまうのは不自由だ。我が身に変化があるほどよいし、好きな言葉は「君子豹変」だ。
そういうことを考えて、免許を取ることにした。
子供の頃から、車そのものや、レースゲームは嫌いじゃなかった。父の運転する自動車の助手席に乗るのはおもしろかったし、グランツーリスモもかなり楽しんだ。
グランツーリスモにブックレットが付属していたのか、あるいは別売のガイドブックだったのか覚えていないが、速く走るために、自動車の走行を物理的に説明してくれる読み物があった。ABSの仕組みのようなことも書いてあったような記憶があるが、そういう知識は免許の取得に際しても役に立つ。一方、コーナーの手前で急減速して荷重を前輪に移動させてコーナリング・フォースを高める、というようなテクニックは、当然ながらお蔵入りになった。
何にせよ、自動車自体にはわずかながらも親しんでいたことは、存外に役に立ったかもしれない。過去に父が運転しながら話していたことが蘇ってくるような場面も多かった。
ところで、36歳が急に自動車学校に行くと、ちょっと変な感じになるのではないかと少しだけ心配したが、これは全くの杞憂だった。そもそも、今時、30代や40代で自動車学校に通う人はそれほど珍しくないのだろうし、年齢に関連して「2回目じゃないよね」という意味のことを言われたのは一度だけだった。自動車学校の指導員もそういうことを言わないように気をつけているのではないか。
一方で学ぶ側としては、36歳であることで、見えてくることもある。
教え方の巧拙は現実に差があるのだと思う。もちろん教官の皆さんは全員プロフェッショナルで、とてもありがたかった。
その中でも、まずはなるべく野放しにしてくれて、然るべきタイミングでフィードバックをもらえる、そういう風にしてくださると、自分で気づくところもあって、よく身になった。
少しやりづらかったのは、例えば運転中に「このまま進むとどうなると思うか」のように問われるような場合で、コミュニケーション上の正解を探すことに一生懸命になってしまった。
翻って我が身を振り返ると、36歳ともなれば日常的に後進を育成するようなこともあると思うのだが、果たしてうまくやれているのか、考えてしまう。
見えてくることと言えば、自分自身の傾向、あるいは癖について、少し自覚した。
例えば「路肩に寄せて停止」する場面で、路肩に対してちょうど適切な距離まで寄って停止できると100点だと認識して、100点を取ろうと考えてしまう。しかし本当のところ、寄りすぎて路肩に擦ってしまえば事故だ。だから100点を取ろうと寄せることにこだわるべきではなく、安全を最重要に考えなければいけないと思う。
そういう、悪く言えばゲーム感覚とでも表現されるような、考え方の癖が自分にはあると知った。恐ろしいことだ。恐ろしいが、知らなければどうしようもなかったところ、幸い知ることができたのだから、気をつけようもあろうと思う。
近頃の自動車教習所は、自宅でオンデマンド学科教習を利用できることもあって、仕事をしながらでも通いやすいようだ。実際、仕事を休むこともほぼなく、週末のどちらかで技能教習を受けるようなペースで進められた。
免許を取得しても、これからさらに安全運転に努め、乗車時間を増やして経験を積んでいかなければならないのだと思うが、とにかく一区切りである。今まで、免許を持っていないけどなんらかの事情で自動車を運転させられる(ダメに決まっている)悪夢を見ることが度々あったのだけど、これからはそういう悪夢を見なくて済む。
免許がないことがアイデンティティだった自分はもういない。