お万の方は勝浦城に入った正木時忠の孫娘で
徳川家康の側室となり頼宣(紀州徳川藩祖)、頼房(水戸徳川藩祖)を産む。
彼女はここ勝浦城が生誕の地とされている。
PENTAX KP + HD PENTAX-DA 16-85mmF3.5-5.6ED DC WR(30mm)SS1/320 F6.3 ISO100
誕生寺や清澄寺の近くで生まれたからか、熱心な日蓮宗信者だったのだが
1608年に江戸城で浄土宗と日蓮宗がディベートする際(慶長宗論)に
登城してくる日蓮宗の坊さんをボコボコにした(物理)挙句
這う這うの体で江戸城にたどり着いた日蓮宗は苦痛のあまり呻くことしかできず、もちろん普通に登城した浄土宗の前で、はいディベート開始、浄土宗勝利とこんな有様であった。
あまりの仕打ちに身延山法主の日遠が抗議の辞任をすると捕らえて磔にしようとする。
お万の方は日遠に帰依していたので
日遠を殺すなら私も死にますと死に装束を縫いはじめる。
さすがの家康も降参して日遠を解放するという話が残る。
まことに、水戸黄門の祖母にして、暴れん坊将軍の曾祖母と言うのも納得の猛女であった。
なお1630年には日遠の弟子の日暹が池上本門寺の日樹を論破し、
本土寺や中山法華経寺などの不受不施派は弾圧された。(身池対論)
実は論破されたのは身延山側だったが
もはや問答無用で不受不施派側が弾圧されたという説もある。
