赤い回廊をくぐると開山門がある。
本土寺の中でも最古の建物であり、
この辺りは本土寺の中でも特に紅葉が美しいのだが…
pixel7a 5.43mm SS1/420.52 F1.89 ISO40
カメラマンが門の前で頑張っている。
ここは俺に任せて先に行けと
二丁カメラに防寒具の上からカメラマンベストを纏い
七つ道具くらいは装備してそう。
まぁ使えもしない三脚を背負っている小生も人のこと言えんのだが…
有名な観光地に来た以上こういうことはままある。
さて、仏教とは、紀元前6世紀に成立した宗教である。
これが後漢のころ中国に伝来した。
八王の乱の末、五胡十六国、南北朝と時まさに戦乱の時代であった。
仏図澄、鳩摩羅什、達磨、釈道安などの活躍の後、
当時、釈迦入滅より千年が過ぎており、中国にも様々なお経が入っていたが、
困ったことに相互に矛盾する。
そもそも仏陀は何人いるのか?
釈迦だけなのか?過去に七仏が存在するのか?千体以上存在するのか?
衆上は本来仏なのか?書かれた経典や時期によって変わってくる。
しかしお経は大体、釈迦が語り阿難が私はこう聞いているというところから始まる。
このうち、法華経だけが正しく他の経典は方便であると唱えたのが智顗であり、
この宗派を天台宗という。
やがて、最澄が唐にわたり日本に天台の教えを伝えるのだが、
貴族の間で加持祈祷が流行ると加持祈祷をやり、
庶民の間で念仏が流行ると念仏をやり、
武士の間に座禅が流行すると座禅をやり、
しまいには武装して強訴に及んだりするようになっていった。
カオスになった天台宗で智顗の教えに戻れと主張する原理主義者が現れた。
日蓮である。
穏やかに主張すればよかったのだが、舌鋒鋭く他宗派を批判した。
おまけに中国が攻めてくるぞと煽りまくり視聴者…もとい信者を獲得する始末。
(実際元寇が攻めてきたのだが)
結局、あまりに過激な主張は天台宗もどん引きで、法華宗を起こすわけだが、
日蓮の入滅時、日昭・日朗・日興・日向・日頂・日持という六人の高弟がいた。
このうちの日朗が開山したのが本土寺の起源という。
長谷山本土寺、池上の長栄山本門寺、鎌倉の長興山妙本寺を合わせて
郎門の三長三本といい、
どれも日朗が開山し、長と本の字がついている。
徳川が江戸に入ると、この辺りは家康の五男信吉の所領となった。
信吉の生母は穴山梅雪の養女となり徳川家康の側室となっていた。
実の父は信長の叔母を寝取って逆さ磔になった秋山信友の甥、
(武田信玄の娘の旦那の養女の子というほぼ他人だが…)
本堂の裏手にはこの秋山夫人の墓がある。
結局、武田家は滅亡してしまう。
不受不施派(信者以外からお布施は受けないという原理主義…つまり家康に呼ばれてもお前浄土宗やんけと言って来ない)だったので、
幕府に弾圧され、一時衰退するが、
信吉の死後水戸に入った弟の頼房の子光圀が再興し
(このころには不受不施派は追放されていた)、
参道には光圀ががつくらせたという杉並木が残っていたりする。
